22話 五章 閉ざされた学園、魔獣の襲来(4)下

 サード達は、エミルがいると思われる運動場へ向けて走っていた。そんな中、『死食い犬』についてユーリスに意見を求められたレオンが、思案を終えて口を開いてこう言った。


「魔獣同士で連携を取り、場所に応じて動きが違っていたようにも思えます。僅かながらに知能はあるのかもしれません。……まぁ、変則的な動きで捉えにくい『魔獣(ばか)』には手を焼きましたが、こちらにも変則的に動き回る風紀委員長(ばか)がいましたからね」

「おい、今、バカっつったか? 風紀委員長と書いてバカって呼んだのか? あ?」


 睨み付けるサードの横で、まるでそんな突っ込みなど聞こえていないかのように、ユーリスが「やっぱりレオン君もそう感じたのか」と相槌を打つ。


「主人である悪魔が定めた獲物には手を出さないというと、もしかしたら少しは知能を持ち合せていると考えるべきかもしれない。そうすると、群れを統率するような、もっと大きな個体が複数いてもおかしくはないよね」

「おいコラ、無視してんじゃねぇぞ、副会長と会計」

「お黙りなさい。今は真面目な話をしているのです」


 サードとレオンが睨み合う。


 その時、しばらく思案し続けていたソーマが「あの」と控えめに発言した。


「ユーリス先輩、それは大物の『死食い犬』が存在していて、知能がいくらか発達しているから出てくるタイミングを見計らっている、という可能性もあるわけですか?」

「その可能性もあるだろうね。何せ、歴代の聖騎士たちは『死食い犬』で命を落としたこともあるとは記録に残っている。そうすると恐らく、そこに記されていたように『馬よりも大きい個体』が出てくると考えていいと思う」

「お前らは、今すぐ保健室に行け。そんでもって、終わるまで出てくるな」

「え? 保健室ってどういうことですか、サリファン先輩?」


 仏頂面で断言したサードを、ソーマが不思議そうに見つめ返した。その途端、レオンが「ふぅ」と短い吐息をこぼしてこう言った。


「ソーマ、気にしなくて結構ですよ。我々の『皇帝』に勝利を与えることに集中しましょう」

「ソーマ君、保健室の件は、頭からどかしてくれて大丈夫だからねー。うん、気にしない気にしない」

「阿呆かッ、少しは気にしろよ! お前らのうちの一人でも瀕死状態になってみろ、スミラギに最期の瞬間までねちねち説教されたあげく、俺が逆さに吊るされるかもしれねぇだろが!」


 考えただけでも嫌な最期である。悪魔細胞を完全開放した反動で、身体の内部が崩壊してゆく苦しみの中で逆さ吊りに縛り付けられたあげく、嫌味と説教を延々と聞かされる姿を想像するだけで悪寒が込み上げる。


 するとユーリスが、どこか同情的な眼差しをサードに向けた。


「もしやとは思っていたんだけど、スミラギ先生って、結構なスパルタなんだねぇ」

「結構じゃない、めちゃくちゃスパルタなんだ。俺は半年間で、学園の最高レベルまでの勉強を叩き込まれたんだぞ」

「えッ、それってすごいですよ」


 走り続けているせいで、若干息を切らせ始めたソーマが、ガバリとサードの横顔に目を向ける。


「英才教育を三、四歳から始めても入学出来ない人もいるのに、たった半年間ですかっ?」

「これって『すごい』になるのか? スミラギが言うには、記憶力は『まぁまぁいい』らしいけど、痛覚以外の神経はいじられてないはずだし、実際どうなんだろうな」


 サードは、きょとんとして首を捻ってしまう。『すごい』の基準については、平均的な値を知らないのでよく分からない。


 そうしたらレオンが、「ふん」と鼻を鳴らしてきた。


「頭が空っぽだと、詰め込みやすいといいますからね」

「なるほど、そういう『常識』もあるのか」

「そこで納得しちゃだめですよ、サリファン先輩……」


 あっさり素直に納得しそうなサードを見て、ソーマがやんわりと軌道修正を行いつつこう尋ねた。


「スミラギ先生から事情は聞いたんですけど……その、どれくらい痛みを感じないんですか?」

「極端に鈍くなってる感じ? 骨を砕かれるのは堪えるけど、剣が刺さったくらいなら普通に動けると思う――」


 答えながら、先程までの戦闘で、筋肉や神経系への負荷も全く感じていなかったことに遅れて気付いた。呼吸の乱れも起こらなければ、疲労感もなく、だから周囲一帯の『死食い犬』の殲滅が完了しても実感が伴なかったのだろう。


 完全に肉体活性がされてから、現実味が薄い。


 おかげで、一つの達成感も湧いてこないでいる。そもそも魔獣をどんなに殺しても、胸の内側でくすぶる殺戮衝動は満たされていないとも気付けた。


「――……昔は、舌触りとか温度とか、もっと身近にあったんだけどな。今はまるで夢を見ているみたいで、ちょっとだけつまらないような気がする」


 よく分からないけれど、とサードはポツリとこぼした。


 本来の五感の一部を失くしてしまったことを、惜しく思っている自分がいるような気もするのだ。生憎、胸がすくようなこの感覚が、どんな想いや感情なのかは理解出来ないだけに少しどかしくも思う。


 兵器である自分とは違って、温かさや、言葉にならない何かを知っているらしい『人間』に尋ねれば、答えが分かるだろうか?


 ちらりと隣のソーマを盗み見ると、すぐに視線が絡んだ。どうやら彼は、ずっとこちらを見ていたらしい。


「なぁ、書記」


 レオンとユーリスの視線を横顔に感じながら、サードは小さく口を開いて声を掛けてみた。


 そうしたらソーマが、目尻に薄い皺を浮かべるみたいに目を細めて、何かをこらえるような声で「なに?」と問い返してきた。質問してもいいみたいだと思って、サードは「うん」と答えてからこう言った。


「痛覚が制限されているとさ。腹に穴が開こうが、全身の骨が折れようが動けるし、毎日の実験とか手術の痛みも気にならなくて楽だった。仲間たちが声を揃えて『痛みが鈍くなってくれて本当に良かったね』って言ってたけど、俺は胸のあたりが涼しいような感じがして、そこに加われなかったんだ。――これって『人間』でいうところの、どういう感情なのか分かるか?」


 当時を思い返しながら、サードは知りたいと思っていたことについて尋ねた。


             ※


 それは多分、とソーマは口にしかけたが、微塵にもそういった感覚を知らないと告げるような、のんびりとしたサードの顔を見て言い淀んだ。レオンとユーリスが眼差しで牽制してくることに気付いて、言葉を呑み込む。


 この人は、本当に『何も知らない』んだ。


 だから、自分の置かれている『ありえない』現状を、疑おうともしないのだろう。


 恐らく『普通』も『平凡な暮らし』も『人間らしさ』も分からないから、悲観も苦悩もなく、真っ直ぐな眼差しで、自分が置かれている残酷で過酷な現状を、疑わず受け入れてあっさりと口にも出来るのかもしれない。


 それが当たり前だと思って、ここまできた。だから比べようとも、考えたことがないのかもしれないけれど――それがソーマには、とてもとても、なんだかとても哀しくなるのだ。


             ※


「サリファン先輩、その、ごめんなさい……。ちょっと、分からないです」

「ん~、そっか。じゃあ本当に、ただの気のせいなのかもしれないな」


 なんだ、そっか、とサードは走る先へと目を戻す。


「仲間は、今の方がいいって言っていたから、なら、きっと俺の方がおかしいんだろう。痛みがはっきりしていた頃の方が、今よりずっと生きていたような気がするなんて、そう思う俺の方に何かしら欠陥があるってことかもしれない」


 地上に出てから、よく理解に困る何かが胸に込み上げることがある。きらきら眩しい色彩が目に沁みて、一瞬思考が止まったことにも気付かないで眺め続けたりして。


 不思議だよな、とサードは独り言のようにそれを話した。


「一年と七ヶ月の生活がさ、それ以上に長いはずの過去を押しのけて胸の中を占めているのは、なんでなんだろうなぁ」


 そんな疑問も口にしてみたが、やはりソーマ達から答えは返ってこなかった。



 ようやく見慣れた運動場に出た。そこで目に飛び込んできた光景に、思わずサード達は揃って足を止めてしまった。


 広々とした運動場には、大きな地割れがあった。普通の人間が落ちたら、怪我をするレベルでは済まなさそうな大きな穴も開いている。



 あまりにも荒れた運動場は、つい先程までと違い過ぎて衝撃的な光景に仕上がっていた。つい、サードは一瞬、言葉が出てこないままポカンと口をあけてしまう。


「これは完全にエミルの仕業ですね。全く、好き放題火薬の無駄遣いを――」

「あッ、レオンにユーリス、それにソーマとサリファン君までいる! やっほ~!」


 苦々しい表情でそう呟いたレオンの台詞を遮るように、声変りもしていない可愛らしい声が上がった。


 二十数体分はあろう魔獣の死骸が飛び散っている運動場の中央に、太陽色の髪を硝煙にふわふわとさせたエミルがいた。彼は少女のような満開の笑顔を咲かせて、こちらに向かって大きく手を振ってくる。


 そんなエミルは、背中に可愛らしい人形ではなく、物々しい巨大なロケットランチャーを背負っていた。そして右手には、彼の華奢な身長よりも大きく長い大剣があって、その剣先は地面を抉っていた。


「……物騒だ、物騒でしかない。ものすごく面倒な予感がする」


 頼むから、全員保健室に閉じこもっていてくれないかな。そう思ったサードは、顔に手を当てて「くッ、考えるだけで頭が痛い」と項垂れた。

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