6話 二章 健康診断と、風紀委員長と生徒会(2)上

 生徒会や風紀委員会の各役職持ちは、成績が優秀であれば授業の出席も免除される。貴族としては生徒同士の交流を持った方が、将来に役立つとして、役職持ちの生徒たちもある程度は教室へ顔を出して授業を受けた。


 けれどサードは、入学初日に風紀委員長に就任して以降は、教室に足を運んだことはなかった。


 普段から校内の見回りの他は、風紀委員会室に居座り、書類業務を行っていた。風紀委員会が歴代最少人数となっている今、やるべき仕事は山のようにある。


 昨日の健康診断も、大きな問題もなく無事に終わっていた。今日は朝から通常授業が開始されており、生徒がいる教室以外は静かなものだ。


 休憩がてら見回りもかねて部屋の外に出ようと思い立ち、サードは書類業務を進めていた手を止めた。ふと、またあの仔猫に会えるかもしれないという期待が脳裏を掠めて、真っすぐ校舎裏へと向かった。


 校舎裏は、相変わらず静かなもので仔猫の姿もなかった。


 そのまま、仔猫を助けた木の下の芝生に寝転がった。眩しい日差しを遮ってくれている木の葉から、チラチラと覗く青い空を眺めながら、昨日の健康診断の結果について思い返した。


 精密検査で確認されたのは、この身体が、長く見積もっても余命三ヶ月を切っているということだった。


 このスピードでいくと、恐らく一ヶ月後には、更に余命が短くなっている可能性もあるという。発作の際には、超治癒再生の遅れを取り戻すため『悪魔の血の丸薬』を飲むようにと追加で指示も受けた。


 悪魔が現れる月食については、二週間以内に起こるだろう研究者たちは推測を語ってくれた。月食の動きが確認された場合は、全校生徒をすみやかに敷地外へ連れ出し、悪魔を逃がさないため学園の敷地全体に強固な結界を張る。


 つまり月食は、どんなに遅くとも一ヶ月内には確実に起こる。だから縮まった余命については、計画になんら支障もないといことが確認されたわけだ。


 サードは『宣誓契約』に名を連ねていないが、半悪魔体であるので悪魔への攻撃が有効だとされていた。身体の半分を占めている悪魔細胞を百パーセント完全開放した場合、七日七晩の肉体活性化と引き換えに、身体は細胞の活動寿命値を超えるまで止まらず稼働し――死に絶える。


 けれど苦しいのも痛いのも、その日を迎えれば終わる。


 サードとしては、人間の顔の識別が出来ない悪魔と闘う際、こちらを戦い相手として認識させるためにロイが持つ『皇帝の首飾り』が必要であることが気掛かりだった。どのタイミングでもらえるのか、まだ指示をもらってはいない。


 そんなことをつらつらと思案していたところで、ふっと込み上げて欠伸をこぼしてしまった。ふと、小さな音が上がったので横になったまま目を向けてみると、そばの茂みから、色違いの小さな生き物がひょっこりと顔を覗かせてきたのが見えた。


 それは、先日に出会った灰色の仔猫だった。見覚えのない薄い金色の長い毛並みをした仔猫もいて、サードはガバリと上体を起こしてまじまじと見入った。


「お前、友達を連れてきたのか?」

「に、にゃ~……」


 灰色の仔猫が小さな耳を垂れ、ちらりと金色の仔猫を振り返る。金色の仔猫は、ふわふわとした長い尻尾を振って「にゃーん」と上機嫌に鳴いた。


 困ったことがあればまた来いとは言ったが、まさか本当に会えるとは思っていなかった。サードは嬉しくなってしまい、ぎこちなくそばに寄ってきた灰色の仔猫を、抱き上げて思い切り頬ずりしてしまった。


「めっちゃ癒されるなー。やっぱり小さいし柔らかいなぁ、お前」

「にょぉぉおおおおおおおおお?!」

「ははは、相変わらず変な声だなぁ」


 サードは仕方ないと諦めて、爪も立てず抵抗する灰色の仔猫を解放してやった。すると、仔猫は怯えたように、金色の仔猫の後ろに隠れてしまう。


 どうやら、抱き上げられるのは苦手らしい。しかし金色の仔猫の方は、自分から進んでこちらの膝頭に身を寄せてきた。


「人懐っこいな。急に抱っこしても怯えないか?」


 両手で抱え上げて尋ねてみると、金色の仔猫は楽しげに「にゃーん」と鳴いた。


 そのまま抱きしめてみると、金色の仔猫は全然嫌がらなかった。毛が長いせいか、とてもふわふわとした柔らかさがあって、膝の上に降ろすと大人しく座ってくれるほど人慣れしていた。


 灰色の仔猫は、怯えつつもサードの隣に腰を落ち着けた。まるで会話をするように「みょ~……」と困ったように鳴き、サードの膝の上で金色の仔猫が「にゃ、にゃにゃにゃ」とどこか得意げに応える。


「やっぱり変わってんなぁ。それに、猫って『にゃー』って鳴くって教わったけど――」


 そう疑問を口にしたサードは、唐突に思い出して「あッ」と声を上げた。「すっかり忘れてた」と呟いたら、金色の仔猫が足をつついて服を引っ張ってきた。


「にゃにゃ?」

「ん? なんだ、俺に質問してんの? 猫が『にゃー』以外の鳴き声があるのか、訊き忘れたなぁと思って」


 膝の上にいる金色の仔猫の頭を撫でながら、サードはそんな独り言をして首を捻った。仔猫同士が、顔を見合わせる。


「他のことは訊いたんだよ。生肉とかじゃなくて専用のごはんがあるだとか、それから魚を食べるんだろ? あ。そういや『猫ごはん』って、どうやって作るんだろうな?」

「に~……」

「にょ、にょにょぅ……?」

「うーん。俺、知らないことが沢山あるんだよなぁ」


 何気なく呟いた言葉が、すとんと胸に落ちてきた。どうしてか、ふと、「君が恐れを知らないのは、守りたいものも、未来もないからだ」と言った理事長の声が耳元に蘇った。


 サードは金色の仔猫を抱えて、腹に乗せるようして横になった。


 もうすぐ死んでしまうのだから、別に知る必要はないのだ。それなのに、そもそも疑問があれば、任務に関係のない事までスミラギに訊いてしまうのは、どうしてだろう?


 灰色の仔猫が視界の端に映り込み、サードはつられたようにそちらを見て、その小さな頭を撫でた。癒されるはずなのに、なぜか笑顔は出てこなかった。


「……なぁ、猫。お前は眩しいこの世界で生まれたんだろう?」

「にょ?」

「この世界が、好きか?」


 尋ねてみると、灰色の仔猫が分からないというように小首を傾げた。金色の仔猫が胸元まで上がってきて、サードの顔を覗き込んでくる。


「俺さ。去年くらいまでずっと、空っていうのがあって、そこが青や黒や燃えるように赤くなるなんて知らなかったんだ」

 

 猫相手に何やってんだろうなと思いながら、サードは気ままな独り言を口にした。この学園では、気を休められるところなんてちっともなかったから、こうして風紀の仕事を休憩して、外に寝転がっているのが心地良かった。


「草や木が生えていて、流れる川があって。朝になれば太陽が昇って夜には星が瞬いて……多分、眩しいこの世界が俺も好きだ、と思う」


 初めて目にした地上は、見たこともない色に溢れ、眩しいぐらいに鮮やかな世界だった。サードはそれを思い返しながら、灰色の仔猫を額へ抱き寄せた。


「『猫』が、こんなに小さくて柔らかくて、暖かいなんて知らなかったなぁ」


 目を閉じると、触れた仔猫から小さな心音が聞こえてきた。なんだか心地が良くて、そのまま眠れそうだと身体から力を抜いた。


 少しだけ眠ってしまおう、それから仕事に戻るのだ。

 そう考えながら、サードは目を閉じて――


 不意に、体内の温度が急速に下がるような違和感を覚えた。


 不快感が、胃から食道を駆け上がって肺がギシリと軋んだ。慌てて起き上がった拍子に、仔猫が転がり落ちてしまったのには気付いたものの、片手で身体を支えつつ、もう一方の手で口を塞いで込み上げる咳の音を抑え込むので精いっぱいだった。


 仔猫たちが驚いたように「にゃにゃーッ」「にょぉおおお?!」と鳴きながら、その場を走り回った。


 サードはその騒ぐ声も半ば拾えないほど、自分の身体の内側で、内臓組織が壊れ潰れていく音を聞いていた。悪魔細胞に馴染んでくれた強靭な骨だけでも、害がないのは救いである。


 とはいえ、やはり忌々しい苦痛であることに変わりはない。半悪魔体であるが故の『発作』の波が去ってくれるのを、ただじっと待つしかなかった。


 それから数分、ようやく超治癒再生が追いついてくれたようだった。再生価値のなくなった血肉が口内に留まる不快感を覚え、サードはそれを草の上に吐き捨てた。


 途端に、どっと疲労感を覚えて、倒れ込むように仰向けに横になった。


 口を押さえていた手に、少量の血が付着している様子が目に映ってぼんやりと眺めてしまう。その時になってようやく、灰色の仔猫と金色の仔猫が、何事かを訴えるように鳴いている声に気付いた。


 力なく目を向けてみると、こちらに寄り添うように顔を覗き込み「にょー」「にゃー」と主張する二匹の姿があった。


 まるでどこか人間みたいな仕草にも見えて、サードはそれをおかしく思いながら、血の付いていない左手を伸ばして二匹の頭をポンポンと撫でた。


「大丈夫、ありがとな。ちょっと疲れただけだ」


 右掌の血をジャケットの内側に擦り落とし、口許に残った血を拭った。内側の胸ポケットから『悪魔の血の丸薬』が入ったケースを取り出して、一粒を口に放り込んで噛み砕く。


 ふと、そばにいる金色の仔猫が、中身の見えないその黒いケースを凝視しているのに気付いた。国の最重要研究機関のマークが銀色の紋様で入れられているから、それが猫の目には珍しいのかもしれない。


 サードは疲労した思考でぼんやりと思い、ケースを胸ポケットにしまった。


 そのタイミングで、金色の仔猫がくるりと踵を返した。灰色の仔猫が慌てたようにその後を追って、二匹とも茂みの向こうへと消えていってしまう。


「そっか…………、もう帰るのか」


 少し残念には思ったが、二匹なら寂しくないだろう。サードは少しばかり休むことを決めて、そのまま目を閉じた。


 数分でも休めば、身体は元の状態まで回復する。それまで、肌を撫でていく柔らかい風を感じるのもいいかもしれないと思った。


 けれど、実験で痛覚器官をいじられている。だから風の正確な手触りや、温度を感じることは出来ないのも事実だった。


「……ああ、まるで半分偽物みたいに、現実感が薄い世界だ」


 サードは少しの侘しさを、ぽつり口の中にとこぼした。



 それから、どれほど経っただろうか。風に揺られる葉の音を聞いていたサードは、人の気配を覚えて、ふっと目を開けた。


「サード君、こんなところでお昼寝という名のさぼり中?」

「ユ、ユユユユーリス先輩やめましょうよッ」


 目を開けなければ良かった、とサードは後悔した。


 そこには面白そうに目を細めるユーリスと、困り果てた顔のソーマという、生徒会の会計と書記の組み合わせがあった。

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