5話 二章 健康診断と、風紀委員長と生徒会(1)

 健康診断当日。午前十時、風紀委員会と生徒会の移動指示のもと、学園の健康診断がスタートした。


 肺と心臓の検診機器が設置された第三視聴覚室の扉前は、サードと風紀部員の二人で警備にあたる予定になっていた。しかし始まって早々「一学年生の肌着が紛失する」という事件が起こり、こちらの人員から向かわせる必要が出てしまった。


 室内にも三人の風紀部員が警備に入っていたので、サードは紛失事件の騒ぎの対応をリューに任せ「俺一人で二人分の戦闘力はあるし、表扉は俺だけで問題ない」と答えて、自分と警備にあたるはずだった部員を彼に同行させて見送った。


 だが、入れ違うようにして、何故かご機嫌斜めの生徒会副会長レオンがやって来た。


「え……、なんでお前がいんの?」


 サードは呆気に取られて、思わず素の口調でそう尋ねてしまった。するとレオンは、目が合うなり、一人で二人分の戦力という言葉が、どれだけ安易な結論で無謀であるのかを説き始めた。


 嫌われていることは理解しているつもりだが、相槌の言葉一つ返すたびに説教を追加された。もう口を閉じているしかなかったサードは、話を聞いて、風紀部員の会話を偶然ロイが拾い上げた結果、レオンがここに寄越されたのだと知った。


 それは風紀委員会が、人員不足なのを見越しての協力だとは煩い説教でなんとなく分かった。とはいえ、だからと言って、この状況に納得が出来るはずもない。


 これは確実に人選ミスであるし、正直、この組み合わせはないと思う。


 サードは横顔で説教を聞きながら、冷静沈着でクールな風紀委員長という顔面設定が、精神力の消耗により早々に崩壊してしまいそうな気がした。


「そういえば、警備の日程が詰まっているように見受けられましたが、あなた自身の健康診断はどうなっているのです?」

「隙を見計らって、他の生徒と同じところで受けるから問題ない」


 サードは、目の前の広々とした三階フロアの廊下に視線を向けたまま、しれっと答えた。


 そうしたら、レオンが秀麗な眉を強く寄せた。


「役職持ちでありながら、その他大勢の生徒と同じ待遇とは、恥ずかしくはないのですか。ゆくゆくは次期『皇帝』の右腕か左腕に収まるのであれば、今のうちから、きちんと相応しく動くべきでは?」

「はぁ? なんだそりゃ」


 つい、素で尋ね返してしまった。


 そんな話など聞いたこともない。問うようにサードが訝しげな目を向けると、レオンが冷ややかな美貌をやや上げて、中指で眼鏡を押し上げてからこう言った。


「この学園に『次期皇帝』がいて、将来の幹部たちも揃っている状況であれば、何も不思議なことはないでしょうに。あなたは、前代未聞の『最強の風紀委員長』。『皇帝』を支える剣として、名家であるソーマとあなたが必然的に軍の総――」

「おいおい、そんなのおかしいだろ。だって俺は、聖軍事機関には入隊しないんだぜ?」

「は……?」


 初めて見るレオンの呆けた顔を見て、サードは、うっかり本音で言葉を返してしまったと気付いた。


 風紀委員長である『サード・サリファン』は、拾い育てくれた義父のために精進する学生、という設定だ。向上心を持って学園での役職に務めている生徒が、聖軍事機関を目指さないというのは設定に相違が生じてしまう。


 くそぉッ、こいつが色々と面倒臭いのが悪い。毎度何かと張り合って目の敵にするし、眼中にないって宣言してやりたいくらいだしな!


 そう内心悪態を吐いたサードは、レオンが目を細めるのを見てギクリとした。


「…………それは、一体どういうことでしょうか?」


 レオンの形のいい唇から、地を這うような声がこぼれ落ちた。上手いいい訳と方法を早急に考えながら、サードは視線を泳がせて一歩後退する。


「えぇと、だからそれは……ほらッ、そういうのは『皇帝』とかが決めることだし!? たかが風紀委員長でしかない俺の推薦が決まるとか、想像もつかないというか……」


 時間稼ぎのように喋る分だけ、どう言い訳すれば誤魔化せるのか分からなくなってきた。言葉遣いもあやしいし、このままだとボロが出そう……。


 その時、扉の向こうから生徒たちのざわめきが聞こえてきた。タイミング良く検査が終わってくれたらしい。サードは逃げることを決めて、素早く扉の開閉を行った。


「じゃッ、俺は次の場所に移動するから、後はよろしく!」


 サードは風紀委員長らしい真面目な表情を作ると、威厳たっぷりに言った直後、素早く踵を返して駆け出した。後方からレオンの非難の声が聞こえてきたが、無視して全速力で廊下を走り抜け、三学年の検査が始まっている階下の大広間へ向かった。


 そこの扉前を担当していた三学年の風紀部員が、物凄いスピードでやって来る風紀委員長に気付いて驚きの目をした。サードは到着するなり、唇に人差し指を立て、室内をそっと覗き込んで進行具合を窺った。


 扉が解放されたままの大広間には、カーテン台の設置された各検査場が設けられていた。手に健診票を持った学生たちが、のんびりとした足取りでそれぞれ必要な検査を受けている。


「何か問題はあったか?」

「あ、いえ、何も。室内に六人の部員がいますが、落ち着き次第、順番に検診を受けてくる予定です」


 警備にあたっていた風紀部員の返答を聞いて、サードは「そうか」と相槌を打って彼の隣に並んだ。


 同性の検診会場への乱入者など、まるで考えられないことなのだが、それが実際に起こってしまうのがこの学園である。それはそれで嫌だなぁ、と風紀を担う者として後ろ手を組んで、警備にあたりながら遠い目をしてしまった。


「あの、委員長はいつ検診を……?」

「俺は役職持ちの生徒会と同じだから、気にするな」


 用意していた台詞を答えながら、サードは複雑な心境になった。


 この立ち位置はすごく疲れるな、と思った。もし仲が良い他の生徒同士であったなら、返答の相違に気付いて簡単にばれてしまう嘘である。


 しばらく待機していたところだ、サードは気の許せる部員の隣ともあって、思わず堪え切れず欠伸をこぼした。


 昨日は、夜中の発作で二回目が覚めてしまっていた。それに加えて、先程のレオンのせいで顔面筋と精神的な消耗も激しく、違反行為を起こした人間が出たとしたら、ストレスで即叩き潰す自信がある。


 ストレスと言えば、仔猫には癒されたなぁ……と、サードは改めて思い返した。学生生活に終止符を打つべく『月食』には早めにやって来てもらいたいが、もう少しだけ、あの小さくて柔らかい生き物を愛でたいような気はする。


「なぁ、部員一号。猫って可愛いよな」

「部員一号って、まだ俺の名前覚えてないんすか……まぁ、そうですね。でも俺はどちらかと言えば、リスとかハムスターとかの方が好きです」


 耳にしたことがない単語をあげられてしまった。


 それは一体『なん』だろう。サードは、つい、隣の風紀部員をチラリと盗み見てしまった。一年共に風紀の活動をしているが、一つ年上である事以外名前も知らないでいる。


「……仔猫、小さくて柔らかいんだぞ。それでも『リス』なのか?」

「リスやハムスターの方が、小さいじゃないですか」

「………『リス』と『ハムスター』は、ここにいないのか?」

「え、野生ですか? 実家で飼ってはますが、さすがに野生では見たことないですね……」


 どうやら、仔猫よりも小さい生き物が存在しているらしい。初めて聞く『リス』や『ハムスター』という生き物が、サードはとても気になってきた。時間があれば久々に図書館にでも立ち寄り、動物図鑑を広げてみてもいいかもしれない。


 サードがそう真剣に考えていると、男子生徒が控えめに「あの、委員長」と呼んできた。


「もしかして、リスやハムスターを知らないのでは――」

「知ってる知ってる。そんなの『常識』だろ。俺の家族は犬派だったからさ」


 その時、


「ねぇねぇ、僕のリスは真っ白で珍しい子なの~」


 不意に、そんな可愛らしい声が割り込んで来て、サードと風紀部員は「え」と固まった。


 揃って視線を下へと落としてみると、そこには生徒会の腕章をつけた幼い美少年のエミルがいて、首を傾げて二人を見上げていた。


 聖騎士一族の人間であるエミルも、戦闘のプロである。生徒会の中でも一番気配が読みにくく、サードはあっという間に距離を詰められた事実に、自分の気が抜け過ぎていたことを察して内心反省しつつも尋ねた。


「おい、会長補佐。こんなところで何してんだ? つか持ち場は? 堂々とサボってるとかだったら、遠慮なくシめるぞ」

「サリファン君が冷たい~」

「分かりやすく怒ってやってんだよ」


 サードが拳を固めると、エミルは少し慌てたように手を振って「さぼりじゃないよッ」と言い、身の潔白を証明するように健康診断受診表を掲げて見せてきた。


「僕、これから健診なのッ。ほら、ちゃんと健診表も持ってるもん!」

「む。確かに健診表だな……あれ、お前一人なのか?」

「途中でソーマと合流する予定だよ」


 そういえば、生徒会は風紀委員会の仕事が円滑であると判断出来れば、後を任せて健診に向かう予定になっていたな、とサードは遅れて思い出した。


 ということは、今のところ、一学年生の体操着が盗まれた以外の問題は起こっていないのだろう。……サードとしては、同性の体操着を盗む生徒の心境が理解出来ないでいるのだが。


 むしろ、盗む動機についても考えたくない。


「ねぇ、サリファン君」


 エミルが首を傾げてそう尋ねてきたので、サードはしつこいなと思って、うんざりしつつそちらへと目を向けた。


「なんだよ」

「ウサギは好き? リスも可愛いと思うんだけど、僕ね、人形だとウサギがいいんだ~」

「ふうん――つか、俺に人形の趣味はねぇ。だから、とっとと行け」


 なんだ『ウサギ』って?


 つか、男なのにヌイグルミが好きとか、こいつ変わってるよな……


 人形が好きなのは、女の子に多い趣味だとサードは教わった。入学当時、大きな白いぬいぐるみを背負っていたエミルは目立っていて、女子のような顔立ちと小さな身体をしていた彼を見た少年たちが、黄色い声を上げていたの覚えている。


 強烈過ぎて忘れられない場面だった。ロイやレオンたちが現れた時も、野郎共の気持ち悪い歓声が飛び交っていたものである。


 いや、考えるまい。考えたら頭が痛くなる!


 そもそも、サードにとってこの学園の独特な空気同様、エミルも理解しがたい少年の一人だった。どうして女の子のような趣味を持っているのだろうか。そして、何故、いつも『ぬいぐるみ』を連れ歩くのかも理解出来ない。


「同じ男なのに、趣味まで可愛らしいのがすごいと思います」


 歩き出したエミルの後ろ姿を見て、風紀部員が何とも言えない様子でそう言った。サードは訝って、その横顔を見てしまう。


「あれ『可愛い』か? 同じ男だぞ。よく『変な形のぬいぐるみ』持ち歩いてるし、ただの変な奴だろ」

「え? 変な形?」

「は? 変な形だろ?」


 その時、サードたちの声に反応するように、数メートル先でエミルが足を止めて、こちらを振り返った。


 何か失言しただろうか。


 だって、『変な形』だろ……?


 冷や汗が、背中を伝っていくのを感じた。ここ最近、台詞を間違えてしまう事がたびたび起こっているのは、寝不足のせいだろうか。


 そう考えたところで、ふと、自分が必要以上に口を開いているせいだと気付いた。だって、『風紀委員長のサード・サリファンは無駄なお喋りはしない生徒』だから。


 サードは咳払いを一つすると、表情を引き締めて、話をすり替えるようにしてこう言った。


「俺に『女の子の趣味』はないからな」

「はぁ。それは存じ上げておりますが……。委員長は、誰よりも男らしいですからね」


 その凛々しいお姿で、女の子趣味がある方が驚きますよ、と風紀部員が呆れたように呟いた。エミルがコテンと小首を傾げ、それから視線を離して歩き去って行った。


 しばらく警備を続けた後、健診を受けていた一学年、二学年の半数が教室に戻ったタイミングで、交代制で風紀部員の受診が始まった。


 サードは見回りや健診といった用件の詳細は語らないまま、風紀部員の一人に自分の持ち場を任せて、一旦その場を離れた。


 人のいない廊下を選んで歩いていると、白衣姿の男が『用意が出来てる』ことを知らせてきた。サードは一つ頷くと、表向きは使用予定のない第二会議室に足を運んだ。


 そこには、複数の白衣の男たちがいた。こちらを見た途端、彼らは機嫌を取るように揃って張り付いた作り笑いを浮かべてきた。


「ようこそ、『サード』。さぁ、検査の時間だよ」


 室内の周囲は、六人の屈強な衛兵で固められて物々しい雰囲気があった。


 サードは彼らの位置と数を把握すると、自分は『人間にとって敵』ではないと伝えるように、――研究者たちに向かって、少年らしい陽気な笑顔を返して「はい」と従順に答えた。

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