2話 一章 サード・サリファンの役割(2) 

 風紀委員室に戻ると、指示内容の書かれた紙切れが引き出しに入っていた。それに目を通したサードは、五時間目の授業が始まってしばらく経った頃、理事長室の応接間を訪れた。


 学園の校舎は、授業棟と専門教室のある別棟が回廊で繋がり、校舎中央に図書室や講堂が設置されていた。一階に保険室と職員室を置いた授業棟の四階に生徒会室、別棟の四階に風紀委員室、そして中央四階の大会議室を抜けた先に理事長室が存在している。


 理事長は、固い皮張りの三人掛けソファに腰かけていた。ほどよく引き締まった身体をしており、その容姿は五十代になったばかりには見えないほどに若い。長い黒髪と黒い瞳を持っており、国王陛下の従兄弟にあたる人物でもあった。生粋の黒髪黒目は、この国には王族の他にはいない。


 彼が腰かけるソファの後ろには、学園の守衛である、騎士団に所属する二人の若い男が帯刀した状態で直立していた。


「前年同様に、生徒会の人間は特別室での検診になるだろう。風紀委員会は健康診断の誘導と管理にあたり、前年通り交代で検査に入ってもらう」

「はぁ。なるほど」


 向かうのソファで、間の抜けた声で相槌を打つサードは、到着した際に手渡された日程表を見下ろしていた。そこには、数十分刻みでびっしりと予定が書かれている。


 こうして事前に作成された予定表に関しては、持ち出すことが不可であるため、今のうちに頭に叩き込んでおく必要があった。正式に採用されるものは、これからの会議で生徒会書記がまとめたものが記録として残される。


「一ついいですか? あの…………これ、俺が抜け出すタイミングが見当たらないんですけど?」


 風紀委員会の人数が減少したせいか、昨年のように検診時刻について記述がない日程表にサードは困惑した。一体どのように動けばいいのか、明確な指示がないのは一番困る。


「風紀委員長という特別な立場も、生徒会と同じ扱いであると生徒たちは認識してくれている。お前の様子を見て、向こうから合図があるだろう」

「はぁ、そうなんですか。……一般の生徒には生徒会と同じように受けると思わせて、生徒会の人間にはタイミングを見計らって一般の生徒のところで受けている、と思わせる感じでいいんですかね?」


 今回は精密検査が入る予定であるので、普段より時間が掛かってしまうことも考慮しなければならないだろう。この身体も『ガタが出始めている』ので、風紀の仕事が忙しいという理由だけで、その時間を短縮させることは出来なかった。


 サードの身体は、この一年で随分予定寿命を下回ってしまっていた。今回の詳細検診で、身体の寿命が、どれほど短くなったのかハッキリするらしい。


 さて、どのタイミングで抜けるべきか。

 そうサードが考えつつ日程表と睨みあっていると、不意に理事長がこう言った。


「『月食』の時が近い。君の身体に故障があるのは、望ましいことではない」


 理事長は淡々と言葉を発する人なので、表情もほとんど変わらない。日程表から視線を上げたサードは、彼の深い漆黒の瞳をしばし見つめ返した。


 故障、という言い方に対しての回答がすぐに浮かばない。一体何を指していて、どういう意図があっての質問なのか。恐らく嫌悪感などもあるのだろうと推測したサードは、ひとまず場の空気を和らげるべく、少年らしい笑みを浮かべてから、こう答えた。


「いつでも百パーセントの解放(せんとう)が出来るよう準備は整ってますので、安心してください。改良された『悪魔の血の丸薬』で、発作の時間も短縮されましたから」

「もつのか」

「『月食』まで、そう月日はないと聞いていますから余裕でしょう。それから、この一年でご存知かとは思いますが、俺は誰一人として人間を襲っていない。この身体は悪魔の血しか求めないように出来てますから、余計な心配はいらないですよ」


 理事長が抱えているであろう警戒について、いつものようにさりげなく再度言い聞かせた。役目を終えるまでは寿命はもつと言われているので、そちらについてサード自身は不安を抱いてはいない。


 悪魔が現れるまで、ギリギリでも生きていればいいのだ。半悪魔としてのリミッターを外して、身体の中に半分流れている悪魔細胞を全て『解放』すれば、燃え尽きるまで、百パーセントの力で闘い続けられるのだから。


「話は以上ですよね? なら、俺はこれで失礼します」


 そう続けて立ち上がると、理事長の後に控えていた衛兵が反射的に、僅かに剣の柄に触れるのが見えてサードは動きを止めた。


 兵器として多くの血生臭い実験を受けているうえ、悪魔の血を持つ『半悪魔体』を、人間が嫌うのは当然だろう。悪魔を殺し、そのためだけに死ぬことを定められた存在ではあるとはいえ、その潜在意識に宿る『殺戮衝動』や肉体の中身の半分は悪魔とは無縁ではない。


 長い歴史の中で、これまで多くの人間が悪魔の犠牲になった。そのため、人間側が悪魔という異質な存在に抱く憎悪は強い。


 訓練のために、何百人もの犯罪者を殺した事実もある。人間相手に殺人衝動が起こらないよう改良されているとはいえ、もしかしたら……という可能性はゼロというわけでもないのだ。


 そういった事情もあって、自分が『人間にとっては安全な実験体の対悪魔兵器』であると理解してもらえないことは、サードも知っていた。


 だから、警戒されないよう身構えずに、相手が抜刀しないようじっと待つのが大事だった。斬りかかられてしまったら、訓練で慣れた身体は、自動反撃に出てしまう恐れもあるからだ。


「――『悪魔の血の丸薬』は切らさないようにしなさい」


 彼らが剣から指を離し、ピリピリとした空気が解けた後、理事長が淡々とそう言った。


 大事な栄養源の一つであり、薬にもなっている存在だ。サードはそれを考えながら、「分かっています」と答えて理事長室を後にした。


               ※※※


 五時間に一回、サードは『悪魔の血の丸薬』と呼ばれる黒いボール状の薬を飲まなければならなかった。


 回収された悪魔の血を元に製造されたこの丸薬は、悪魔の血を求める身体の、悪魔を喰らいたいという乾きを抑えてくれる。それと同時に、体内に半分存在している悪魔細胞にとって食事と同じエネルギー源としても役に立っていた。


 人間の身体に中途半端に流れる悪魔の細胞成分は、人体の細胞を破壊していく毒だった。悪魔細胞は、超治癒再生という突出した能力を持っているのだが、半悪魔体は基盤が人間の身体であるため、次第に器が劣化し、超治癒再生のサイクルが間に合わなくなるのだ。


 そのため、ひどい乾きは誤魔化せても、体内の崩壊は止められないという悪循環に陥る。『悪魔の血の丸薬』を摂取することで、悪魔細胞が稼働力を上げて超治癒再生しようが、人間の内臓は誤魔化せないほどぼろぼろになる。


 それが、サードが抱えている『身体のガタの問題』だった。


 人気のない廊下は静寂に包まれていた。暖かな春の日差しにつられて、サードは窓の向こうに広がった青空へと目を向けた。


「……いい天気だなぁ」


 ふと、初めて青空を目にした時のことが脳裏に蘇った。


 こんなに綺麗なものがあるのかという感動は、今も薄れずに残っている。色鮮やかで見飽きず、何度だって、こうして目を向けてみたいと思うのだ。


 ずっと見ていると、まるで懐かしいような、胸がぐっとつまるような不思議な気持ちがした。仲間でもあり、兄弟でもあった同じ半悪魔体の少年たちと同じ血が、彼らがとうとう見ることも叶わなかった眩しい色彩に惹かれるのだろうか。


 もう一度外を見てみたいと、外から連れて来られた別の少年が小さく呟いていた。彼はサードの向かいの檻にしばらくいて、「悪魔の血に少しでも適合すれば、もう少し長く生きられるよね?」と泣きながら笑い、その翌日に不適合で死んだ。


 もし失敗したら、また百年後に向けて同じことが繰り返される。


 だから、必ずやり遂げなければない。


 サードは、別棟へ続く回廊前の時計で時刻を見やった。そろそろ、先に投薬してから五時間になる頃合いだと確認して、歩きながら胸ポケットに常備している『悪魔の血の丸薬』を口に放り込み、一気に噛み砕いた。


 吐き気がするほど苦くて甘い、悪魔の血の味がした。


 これを甘いと感じる味覚が、既に普通の人間の感覚からは離れているのだろうな、と、サードはぼんやりとそんなことを思った。


 計画の下準備は、ほぼ完了していた。『月食』の当日に全生徒を学園の外に避難させ、悪魔でさえ破れない強固結界を発動させる手筈も整え済みだ。外に配置されている衛兵の半分以上が、既に王宮魔術師と王宮騎士団の人間と入れ替わっている。


 どうせ死ぬのだったら、悪魔を道連れに、派手な終止符を打ってやろう。


 改めてそれを思った時、初めて理事長に会った際、未来について訊かれ「悪魔に脅かされる実験体のない未来が欲しいと思う」と正直に答えた一件を思い出した。理事長はあの時、「――君が恐れを知らないのは、守りたいものも、未来もないからだ」と叱りつけるように言ったのだった。


 それがどういう意味なのか、今も理解出来ないでいる。地下施設での地獄を繰り返さない。それだけでは、何が足りないというのだろうか?


 そう考えながら歩いていたサードは、回廊を抜けてすぐの窓の外に目が向いて「ん?」と首を捻った。


 人間の視力よりも格段に性能の高い、悪魔と同じサードの赤い双眼が、窓の向こうに茂る木の葉の隙間から覗く仔猫の動きを捉えた。震えている様子を見る限り、どうも降りられなくなってしまったらしい。


 猫という生き物については、町中でちらりと目にしたことはあった。小さくて可愛くて、守ってやりたいと思わせるような小動物だと思う。


 生徒でなくとも、守るのが風紀の役目だろう。


 という建前を全肯定したサードは、仔猫に触れたい一心で直後には窓を開け放っていた。冷房の利いた校舎内で、窓の解放状態が続くことは望ましくはない。しかし、仔猫助けが優先である。


 窓枠に足を掛けて、三階下の校舎裏まで飛び降りる。木から「みぎゃああ?!」という声が上がるのを聞きながら、サードはクルリと回って芝生の上に問題なく着地した。


 問題の木へと向かった。そこから見上げてみると、木の頂上付近の幹に挟まれるように、灰色の仔猫の身体が埋まっている様子が確認出来た。


「よっと」


 小さな掛け声を合図に、己の高い跳躍力を利用して木の上へと登った。あっという間に辿りついたサードを見て、子猫がギョッとしたように目を剥く。


 まるで人間みたいなやつだな。そう思いながら、サードは仔猫の鳶色の瞳を見つめ返し、敵意はないぞと伝えるようにして声をかけた。


「ほら、怖くないって。俺が下まで連れてってやるから、おいで」


 以前町に出た際、野良猫に向かって「ちっちっち」とやっていた少女の姿を思い出した。それを真似て誘って呼んでみたものの、仔猫は震えるばかりで動く様子がない。


 腰が抜けているのかもしれないと思って、そっと手を伸ばしてみた。


 警戒心が薄いのか、すんなりと仔猫に触ることが出来た。予想以上に毛並みは柔らかくて、持ち上げてみると、これまで持ったどんな物よりも軽くて小さいことに驚いた。


「うわぁ、何これ。柔らかいしあったけぇなぁ」


 猫を触ったのは初めてだった。サードは一人感動してしまい、仔猫を両手で掲げてしばし「うーん」と考える。


「これ、飼っちゃ駄目かな」

「にゃッ?!」


 仔猫が灰色の毛並みを立てて、短い悲鳴を上げた。


 学園の校則には、個人的にペットを飼育していいとは記載されていない。とはいえ、学園内や寮内での異性不順交友は禁止されているのにもかかわらず、壁が薄い一般生徒寮でも盛ってる連中が黙認されている現実がある。


 つまりそう考えると、ペットの飼育もいけるのではないだろうか……?


「とすると、隠れて飼える可能性もあるよな。……ん? でも猫って、何を食うんだ? 生肉とか、鳥か?」


 確か、研究所で戦闘犬の食事がそれだったような気がする。


 そう思い出しながらサードが呟くと、仔猫が全否定するように「みぎゃーッ」と悲痛な声を上げた。どうやら違うと主張しているようだ。その反応を見ていると、やっぱりまるで人間みたいだなと思ってしまう。


 とはいえ何かある時は、誰かに訊くのが一番だ。一番身近にいる自分の教育係を思い浮かべたサードは、仔猫を片腕に抱え直すと、座っていた幹からひょいっと飛び降りた。


 校舎三階ほどの高さしかないのだが、仔猫は高所が駄目なのか、地面に着地するまで悲鳴を上げていた。着地した途端、腕の中でぐったりしてしまう。


「えッ、もしかして抱き潰しまちったのか? どうしよう、そういえばコイツ、すごい柔らかいもんな!?」


 サードは、慌てて仔猫を下の芝生の上に横たえた。殺す技術しか持ち合わせていなかったから、この場合にどうすればいいのか分からず「どうしよう」とうろたえた。


 その時、仔猫がゆっくり身を起こした。ぐったりとしてはいるものの、怪我はないらしい。全身を小刻みに震わせていることから、どうやら高所からの落下について精神的なショックでも与えてしまったようだった。


 無理に動かすのも可哀そうに思えたので、サードは仔猫をすぐには触らず、しばし観察することにして木の下に腰を落ち着けた。


 暖かな木漏れ日の中、吹き抜ける柔らかな風が心地良い。頭上を過ぎった影に目を向ければ、島に多く生息している鳩が、どこかへと羽ばたいていくのが見えた。


「あ、鳩だ。――鳩だったら、お前のご飯になるかもしれないな」

「にょッ!?」

「でも口が小さいからなぁ、すり潰さないと駄目かなぁ」

「ぴぎゃぁあああッ!」

「猫なのに変な鳴き声だなぁ。俺、猫って『にゃー』って鳴くんだって教わったけど、色々あるんだな」


 叫ぶくらいには、元気が回復したらしい。仔猫の愛らしさに誘われたサードは、そっと持ち上げて膝の上に乗せてみた。


 初めて感じる柔らかくて暖かい感触に、思わず「おぉ」と小さく感動の声が上がった。試しに両腕で抱き締めて頬をすり寄せてみると、ますます離れ難いような気持ちにかられた。


 その際に一瞬、仔猫がギョッとしたように毛を逆立てた。しかし、数秒もしないうちに諦めたように力を抜いて、されるがままになった。引っ掻かれるものばかりだと思っていたサードは、それには少し拍子抜けしてしまう。


「おい、猫ちゃん。猫は引っ掻くものだって教わったのに、お前は引っ掻かないのか?」


 思わず問い掛けながら、肉球に触れて確認してみた。幼いながらにちゃんと爪はあったので、恐らくは大人しい部類の猫なのだろうかと思う。


 そう考えると、ますます欲しくなって、サードは「飼えないかなぁ」と呟いて仔猫を抱き寄せた。ピンクの肉球に頬を押し返され、それが可笑しくて笑い声を上げると、明るい鳶色にも見える猫の目が見開いた。


 その時、授業の終了を告げるベルが鳴り響いて、腕の中にいた仔猫が身をよじった。


 サードが解放してやると、仔猫は彼から少し距離を取るように草むらの手前まで逃げて、そこで一度足を止めてこちらを振り返ってきた。


「もう帰っちまうのか?」

「に、にゃー……」

「帰る場所があるんなら、それでいいんだ。困ったことがあった時は、助けてやるから、その時にはまたココにおいで」


 そう声を掛けると、仔猫は渋るように尻尾を揺らせた。それから草むらの中へ身を翻して、走り去って行ってしまった。


 小さな足音が遠ざかっていくのを聞きながら、サードは「よし」と膝を叩いて立ち上がった。放課後の会議に必要な資料を一旦風紀委員室へ取りに戻るため、何事もなかったような顔で、校舎へ向けて歩き出したのだった。

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