1話 一章 サード・サリファンの役割(1)

 聖アリスト教会学園は、貴族の中でも優秀な頭脳や、軍人として相応しい才能を持った選ばれた少年たちが通う国で一番の学校である。十六歳から十八歳まで三年間学び、卒業後は博学、軍事学へと進み、将来の高い役職や地位が約束されている。


 将来の社会性に繋げるべく、学園内のほとんどを生徒たち自身がみるという特徴もあった。生徒会を中心に運営が行なわれ、次に風紀委員会が学園内の治安と風紀を維持した。もし生徒会が暴走した場合、彼らにはそれを止めるだけの権限が持たされている。


 国を治める国王を、そばで支える聖軍事機関のトップが皇帝だ。学園のトップである生徒会長は『次期皇帝』が務めることが決められており、学園内での絶対的な主導者として生徒たちからは『皇帝』と呼ばれてもいた。


 生徒会は会長の他は、基本的に高い身分と権力によって選ばれる。しかし、ある聖騎士一族の子孫が揃った年度については、必ず将来の『次期皇帝』の右腕になる彼らが各役職の席についた。


 そんな中、風紀委員会のトップの指名については、学園の風紀維持を平等にするため理事長が独断で行うという決まりがあった。部員についても、全て学園の大人側で指名がされた。


 現在、二学年生となった『次期皇帝』の生徒会長と同じく、風紀委員長も二学年生に所属している。これまで貴族の入学しかなかった学園で、拾われた元戦闘用奴隷という経歴を持った、前代未聞の異例の特待生である。


 そんなわけで、入学早々から風紀委員長となってしまった『サード・サリファン』は、今、必要書類を抱えながら、足早に風紀委員会室へと向かっていた。


 地下の実験施設から『上』へと出て、一年と少しが経った。


 サード、と呼ばれ慣れ始めているものの、学生を演じることについては我慢の限界を覚えてもいた。周りから感じる煩わしいほどの疑心暗鬼と嫉妬の眼差しに、『お堅い風紀委員長』の設定を守って顔が引き攣らないよう気を張る日々だ。


 自分の悪評については、耳に痛いくらい聞いてきた。けれど正体を隠すためとはいえ、この設定はどうだろうか、と入学当初から思うところもあって頭を抱えてもいる。


 五歳の頃に、サリファン子爵に救済された元戦闘用奴隷。身体能力と頭脳の高さから学園への入学が認められ、サリファン子爵に与えられた深い愛情の恩を返すべく、誇り高い学生生活に励んでいる――と、いうことになっている。


 元々貴族ではなく、奴隷。

 その設定部分が引っ掛かって、学園に溶け込むどころか、かなり怨みを買う存在として目立っているのを実感していた。


 とはいえ、サードは十六歳まで、地上のほとんどを知らなかった。おかげで話すと、一般教養の不足やらでボロが出る可能性を指摘されていた。嫌われ怨みを買うことで親しい者を作れないようにする、ということも『この設定』には含まれている。


 サードとしても、ボロを出さないよう親しい人間を作るつもりはない。尚且つ、風紀委員長という立場は『外』と連絡が取り易く、どの生徒よりも時間を自由に出来るという利点もあったのだが……、心休まる場所がないのは問題だった。


 風紀委員長は授業への参加が免除されており、地下の実験施設にいた時に比べたら「自由万歳!」という立場ではある。しかし、風紀としての書類業務が多すぎるうえ、ストレスの溜まり具合が半端ではないのだ。


 どうしたもんかと廊下を進んでいたサードは、ふと食堂側から発生したざわめきに気付いた。それと同時に、廊下に現れた生徒たちを見て「うげっ」と顔を引き攣らせ、思わず足を止めてしまっていた。


 廊下に出てきたのは、金髪に青い瞳を持った美貌の生徒会長、ロイだった。毅然とした態度は次代の『皇帝』に相応しい威厳をまとい、頭脳、剣術において何一つ欠点が見られない、完璧な絶対君主の素質も兼ね備えた生徒会長である。彼は多くの生徒たちの憧れであり、昨年卒業していった第三王子と並ぶ人気振りだった。


 そばには、女子のような容姿をした同学年の公爵家嫡男エミルの姿もあった。生徒会長補佐に就いている彼もまた、ロイとは対照的な絶世の美少年であり、男ばかりの学園で非常にモテた。


 いや、そもそも、ここでモテるのがおかしいんだよ。


 入学当初からの疑問が脳裏を過ぎり、サードは成長途中の精悍な顔を小さく歪めた。このまま引き返してしまおうか、と、つい考えを巡らせる。


 実を言うと、顔を会わせた当初から、生徒会には苦手意識があった。何故か同性のファンクラブが存在するほど人気があり、入学早々その騒動やら男の嫉妬やらで、サードは傍迷惑を被り続けてもいるのだ。


 とはいえ来る日の役割のために、嫌々ながらも努力して風紀委員長を続けてきた自分が、ここで逃げるような姿を見せるわけにはいかない。


 サードとしては、放っておいてくれるとかなり助かるのだが、学園で一番有名な嫌われ者だろうと、公共の場で平然と絡んでくるのが生徒会だった。他の生徒のように距離を置いてくれない、一筋縄ではいかない集団であることが実に忌々しい。


 そう非常に嫌な現実を思っていると、ロイがこちらに気付いた。その顔に意地の悪い笑みが浮かぶのを見て、サードは心底嫌になった。このまま素早く周れ右をして逃走してしまいたい。


 だがしかし、生徒会と風紀委員会のトップが、言葉を交わさないほど険悪であると周りに受け止められるのは、あまりよろしくないのも事実だった。二つの委員会は、一部連携を取って業務を進めているからだ。


 今のところ、昨年からずっとサードの仕事を増やし続けている『風紀委員長排除派』からの意見書は、個人的な文句ばかりである。しかし、業務に支障が出ると意見されて、他の部員たちに迷惑がかかるのはまずかった。彼らは、サードと違って公正に選ばれた風紀委員会の正式な部員たちだ。

 

 今の自分に与えられた『風紀委員長サード・サリファン』というキャラを、破るわけにもいかない。


 だからサードは、弱った表情を出来るだけ浮かべないよう心がけて視線を合わせた。すると、ロイが秀麗な眉を愉快そうに持ち上げて、こう言った。


「今日も見事な白髪だな、『風紀委員長』?」

「おいコラ。自前の銀髪だっつってんだろ、『生徒会長』。今は学業時間内だ、てめぇこそ耳の装飾品を取りやがれ」

「相変わらず愛想の一つも覚えない奴だな。そんな態度だと、せっかくの成績だろうが軍事の役職につくチャンスを逃すぞ」


 赤いダイヤのピアスを外そうともせず、わざと見せつけるように手で触れてロイが不敵に笑った。


 奴の中身がどうであれ、美しい造形は無駄に色香が強いのは事実だ。彼の笑みを見た周囲の生徒たちから、途端に黄色い悲鳴が上がった。


 おい、黄色い悲鳴ってなんだ。ここは男子校だろうが。


 実に信じ難いが、これが現実らしいと改めて思わされる光景を前にして、サードは内心げんなりとしてしまった。理解不能な悪寒がゾゾッと背中をはい上がってくる前に、どうにかそれを堪えて冷静な表情を保つ。


 風紀委員長を務める人間は、生徒会長に次ぐ頭脳と戦闘能力が高い人間が選ばれ、卒業するまでに『皇帝』の持つ聖軍事機関への推薦枠に収まることも多い。ちなみに聖軍事機関とは、誇り高い戦士になることを望む少年たちにとって、目標とする場所である――らしい。


 サードは教えられた内容を思い返しながら、呆れた表情を晒してしまわないよう目頭を揉み解す振りをして顔を伏せた。


 残念ながら自分が『聖軍事機関』について知ったのも昨年のことだ。こうしてたびたび忘れるくらい、微塵の興味も覚えてはいない。


 俺は軍人就職なんて希望してねぇし、上に立つのが当然みたいな態度のお前と関わるなんて全力でお断りだ。むしろ『それまで生きてない』から、安心して放っておいてくれ。


 思わず、そう口走ってしまいたい言葉を心の中に吐き出した。学園で一番注目を集めているロイが、こうして露骨に風紀委員長を個人指名で煽ってくるせいで、こちらの風当たりが余計に強くなるのである。


 許されるのであれば、そのまま感情に任せて思い切り顔を歪め、馬鹿、阿呆、引っ込んでろ、と言ってしまいたい。しかし『風紀委員長の設定』でそこは許されないため、サードは表情をどうにか引き締めて役通りに口を開いた。


「――生徒会長とはいえ、俺個人の将来について言われる筋合いはない。最終決定権は『国王』と『現皇帝』にあるんだからな」


 少しくらいは苛立って聞こえるよう、低い声でそう言い返した。


 そもそも実験体の生物兵器として十六年を過ごしたため、サードは何かを想像したり、望んだ経験はなかった。


 ありもしない将来なんて心底どうでもいい。しかし、今ここでそんな態度を出してしまうと『サード・サリファン』の設定に誤差が生じてしまう。


 実に面倒臭いが、受けた指示の『設定』には沿わなければならない。何せ『風紀委員長サード・サリファン』は、育て親のために高い目標を持ち、身分や権力に屈しない強い精神を持った生徒、という設定になっているからだ。


 態度や言葉使いが荒いことは、元戦闘用奴隷という嘘設定がカバーしてくれているので、後はやる気のなさを悟られないよう気をつければいい。……とはいえ、サードとしてはそこが苦行でもあるが。


 そもそも、堂々と正義を押し通すような生徒像ってのが分からん。手渡された『設定書』に記載されていた説明書きについては、今でも疑問が拭えない。


 そのうえ風紀委員長の就任挨拶の時、裏の人間から直前に手渡された原稿も最悪だった。サリファン子爵を尊敬している、という文面に「その設定は無理があるだろ」、「自分の性格でそれを演じるのは無理なのでは……」と早々に手が震えた。


 半年間、地上でサードの面倒を見たトム・サリファン子爵は、気難しい表情をした中年男である。研究に携わっている者の一人で、サードは日々、彼と喧嘩の売り買いをしていた。


 彼の屋敷を出る際にも彼を負かしてやったと言うのに、ここに来て全校生徒の前で「俺は彼を父親として尊敬し、彼のためにも~」と泣く泣くするハメになった。おかげでその演説は、サードにとって学園生活で一番の黒歴史である。


 しかも後日、トム・サリファン本人から、役者の癖に顔が引き攣っていた、台詞に想いが籠っていない、言わされている映像は愉快過ぎて笑いが止まらなかった……等々、書かれた手紙で喧嘩を売られた。


 勿論、サードも入学とその後の報告も兼ねて、設定を美化し過ぎた原稿が悪いのだと反論を書いて送り返した。その後に数通ほど、文句を言い合う手紙が続いた。


「ねぇねぇサリファン君、健康診断の調整についての話し合いって、いつだっけ?」


 当時を思い返していたサードは、ロイの脇から顔を出したエミルに声を掛けられて我に返った。相変わらずエミルの身長は、背伸びをしてもロイの肩にすら届かないくらい小さい。


「今日の放課後だ、会長補佐。――もしかして、まだ資料を準備していないという訳じゃねぇだろうな?」


 生徒会の場合は、副会長、会計、書記、と役割を持った役職がいくつか設けられている。彼らがきちんと仕事を処理してくれないと、残りが風紀委員会に回されて困る事態になるのだ。


 そう考えながら睨みつけるように見下ろすと、エミルが「えへへ」と笑って、誤魔化すように可愛らしく首をコテンと傾げた。周りの男子生徒から「可愛い」というおぞましい声が聞こえてゾワッとしたサードは、咄嗟に眉間の皺を深く刻んで「おっほん!」とロイへ目を戻した。


「会長、資料はどうなってんだ? 責任者は会長補佐だった気がするんだが」

「あれは俺が受け持って、昨日までに済ませてソーマに回してある。残りは書記範囲内の仕事だ」


 サードは「初期のソーマ」と口の中でこっそり反芻し、生徒会の中で唯一個性の強くないその一学年生の書記を思い起こした。


 去年まで書記を務めていた三学年生と替わるように就任したのは、伯爵家のソーマという少年である。今年の任期が始まってまだ一ヶ月しか経っていないため、三回ほどしか見掛けていないが、困ったように笑う顔は覚えている。


 ソーマは、白騎士と呼ばれる歴史ある伯爵家の嫡男だ。やや華奢でありながら、騎士家系らしく鍛えられた身体をしており、美形揃いの生徒会の中では、唯一平凡寄りの優しい顔立ちをしていた。灰色の髪と鳶色の瞳も目立たず、苦労人そうな気配が漂う少年だった。


 一年間ロイたちに迷惑をかけられていたサードとしては、ソーマは唯一性格に問題が見られない、親しみすら覚えるような生徒会役員だった。思わず飴の一つでも手渡して「苦労してんだな」と話しかけてやりたい気持ちにかられるが、それは『風紀委員長らしくない』ので、実践には移していない。


 そこまで考えたところで、サードはふと、周囲の生徒たちから棘のある視線を向けられていることに気付いた。「よくも会長様と」「あんなに近く会長補佐様のそばに」と呟区声が聞こえてきて、強い嫉妬の眼差しが全身に突き刺さって頭が痛くなった。


 この学園に来るまで信じられなかったのだが、女生徒のいないここでは、男同士の恋愛が当たり前のようにあるらしい。その中でも、生徒会の人間は「恋人にしたい」「抱かれたい」ほどの人気を集めている――のだとか。


 国では男同士の結婚も認められているようだが、男女であるという教育を受けたサードには衝撃が強かった。たかが健康診断一つでも警備が厚くなり、順番にも調整を入れたりと、風紀委員会の仕事が増える現状にはストレスが溜まる一方である。


 一学年生で生徒会長に就任したロイには、愛人も多くいるらしいというとんでもない噂もあった。生徒会の誰もその事実を肯定しておらず、当人もその件に関しては口にしていないので、事実かどうかは不明だが……。


 だが入学早々、ロイの愛人を主張する少年グループ同士が衝突した際には、風紀委員会が混乱の鎮圧と仲裁を行わなければならかった。あの時サードは、用意された『風紀委員長』の立場や役目を怨んだものである。


「まぁいい。会議は午後四時半だ、遅れんじゃねぇぞ」


 サードは、そう言い残してロイたちのそばを通り抜けた。周りから中傷的な囁きが多く上がったが、聞こえない振りをした。途中「僕の方が可愛いのに」や「あいつもロイ様たちを狙ってるんじゃ」については、心の中で全力否定しておいた。


 今年の健康診断で派遣されてくるのは、去年と同様に王宮医師団だ。彼らに混じって、地下施設の研究員たちもサードの身体の状態を確認しにくる。


 気付かれないよう調整しなければならない。双方それぞれに必要な検診の部屋を確保し、同時進行で同性への色恋に騒ぐ生徒たちが問題を起こさないよう、風紀の仕事もしっかりと行わなければならないのだ。

 

 潜入生活も楽じゃない。


 風紀委員長とは別の『設定』は、他になかったのだろうか……正直、使命以外の時間もたっぷりフル活用してやるぞと言わんばかりに、超多忙な諸々の仕事を都合良く全部押し付けられている気がする……。


 サードは溜息をぐっと堪えて、風紀委員室へと続く階段を上がった。

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