第3話


         ※


 一限から四限の授業を受け、昼休み。

 幸いにして、月野摩耶は順調にクラスに馴染みつつあった。


 摩耶は休み時間に入る度に、教諭たちを揶揄するような物真似をして周囲を沸かせた。

 最初は生意気だとか、不良だとか、立場を弁えろとか思われていたのでは、と俺は正直気が気でなかったのだが……それは杞憂だった。


 自分に向けられた好奇や非難の目。そのベクトルを思いっきり捻じ曲げ、逆に自らをムードメーカーとすることで、摩耶はこのクラスにおける自分の『止まり木』を見つけたのだ。安定して皆に好かれるくらいの立場を。


 対する美耶は、なかなか姉と同じことはできなかった。

 普通は長男・長女の方が真面目な子供として育てられるような気がするのだが、月野家は逆だったのだろうか。緊張感でぴりぴりしていて、どうしても近づき難い。

 当然、自ら遊びの輪に入ることができずにいた。

 俺の出番かな。摩耶以外で、美耶と面識があるのは俺くらいのもんだし。寛はこの際除外する。


 窓際の机にノートや教科書を広げ、美耶は次の授業の予習に勤しんでいた。

 邪魔になることは避けるべきか? いや、今日の授業は専ら今後の授業の進め方に関するコメントがあるだけだ。なにも、今日明日に試験があるわけではない。


「やあ、美耶」


 美耶ははっとした様子で、慌ててノートを閉じて俺を見上げた。


「あっ、お久しぶりです、柊翔さん」

「どうだ、調子の方は?」

「はい、お陰様で」


 俺のお陰? いや、俺は何もしていないのだが。まあいいか。

 俺はしばし、歓談中の摩耶の方を見遣った。


「美耶、お前は混ざってこなくていいのか?」

「ええ、皆さん私より三歳も年上ですし。楽しく会話なさっている最中にずけずけと割り込んでいくのも無礼でしょう?」


 俺は腕組みをして唸ってしまった。

 自分が受け入れられたければ、こちらから自身の情報開示をしなければならない。これは心理学の授業で習ったことだ。

 習ったのはいいにしても、この知識を上手く活用できなければ意味がない。どうしたものかな。


「美耶、まずは自分一人じゃなくて、摩耶に手伝ってもらうってのはどうだ?」

「姉さんに?」

「ああ。俺の記憶にある限り、お前たちの親父さんは随分と厳しい人間だったし、それをネタにできねえかな」

「つまり、姉さんに思いの丈を言わせて、愚痴を述べればいいんですね!」

「ううむ……。ま、まあ、そういうことになるかな」


 ついつい歯切れが悪くなってしまった。


「ご提案ありがとうございます。でも私、ずっと一人っきりってことが多かったから……。嫌われてるかどうかなんて、データを採れるものではないですからね」


 確かに、そう言われてはぐうの音も出ない。やはり美耶には早すぎる話だったか。

 友達っていうのは、てっきりこちらから話していれば自然とできるものだと思っていた。少なくとも俺はそうなのだが。

 まあ、例の事故以来、他人に対する興味などというものはあやふやになってしまったのだけれど。


 それはさておき。

 俺は考え、そして閃いた。美耶が人の輪に入れないなら、その輪の真ん中にいる人物に来てもらえばいいのだ。


「おーい、摩耶! 美耶も話をしたいそうだ。こっちに来てくれ!」

「いや、マジさー、あれはねえわ……。ってどうしたんだ、柊翔?」

「いいから、こっちに来てくれ。美耶にも話したいことがあるそうだ」


 摩耶はぴくり、と眉を動かしたが、不審な点はないと判断したらしい。


「おう、そうかそうか! 皆、こいつはあたいの妹、月野美耶だ。よろしく頼むぜ」

「へえ、よろしく!」

「仲良くしてね、美耶ちゃん! あ、『ちゃん』付けでも構わない?」

「よっしゃ! じゃあ今日は皆でカラオケ行こうぜ! 美耶ちゃんも来るかい?」

「あっ、えっと……はい」

「よし! 割引券が使えるようになるまで、あと二人、か……。風見、お前は――」


 そう声を掛けられる頃には、俺は教室を去っていた。

 仲間を作るなんて簡単だろ、美耶? 心の準備を怠ったのは完全に俺の手落ちだが。


         ※


 これで、俺が出会った幼馴染たちに関する心配はなくなった。摩耶も美耶も、これがきっかけで上手く立ち回ってほしいものである。

 とはいうものの、俺だってどちらかといえば――違うな、圧倒的に、人間関係は苦手な方。さらに言えば、月野姉妹たちと比べたとしても、俺たちだってまだ入学して三ヶ月ほどしか経っていない。


 友人関係や先生方との連携は取りやすくなっているものの、誰が唐突に、何を思って何をしだすかは分からない。

 これがいわゆる『思春期の不安定さ』がもたらすむず痒さなのだろう。俺だって、いつ中二病を発症するか分からない。とっくに中学二年生は過ぎ去ったけれど。


「ま、いっか」


 久々に月野姉妹に会えた喜びや安心感の方が、不安よりもだいぶ大きい。

 気づいた時には、俺は廊下を闊歩しながらスキップしかねない勢いだった。これって、中二病よりも質が悪いかもしれない。いや、悪いどころか不気味である。

 俺は目を閉じ、自分の両頬を掌でパチパチと叩く。


「正気に戻らなくっちゃ……」


 そう。俺は月野姉妹に再会してから、胸に奇妙なわだかまりを感じていたのだ。

 もし、貴様はロリコンなのか? と言われたら、完全否定することは難しい。何故なら、妹の一件があるからだ。

 そのせいで両親は離婚することになったのだし、その根源たる原因を探ってみると、やはり俺が幼稚で後先を考えられない大馬鹿者だったからいけないのだ。


 恋愛感情ではないにしても、俺が月野姉妹を通り魔から守らなければ、という義務感に飲み込まれつつあった。


 考えれば考えるほど、俺の義務感は大きくなっていく。

 落ち着け、柊翔。今度こそ彼女たちを守るのだ。血は繋がっていないけれど。

 そう思いながら、廊下のT字路に差し掛かった、その時。


「きゃん!」

「むぶ?」


 あ、マズい。こちらに曲がって来た人とぶつかってしまったらしい。俺は咄嗟に引き下がり、ぐいっと頭を下げた。


「す、すみません! よそ見してて……」


 だが、相手は沈黙している。よほど怒っているのだろうか?

 ゆっくりと顔を上げ、俺は誰にぶつかったのかを確かめようとした。その視線は、しかし、中途半端なところで止まってしまった。


 相手の身長が高かった、ということは言えるだろう。だがもう一つ。

 俺が目線を据えた先にあったのが、豊満な胸部だったからだ。

 そんなことには頓着せずに、相手の女子生徒もまた流れるようにお辞儀をした。


「こっちこそごめんなさい! 今日転校してきたばかりだったから、いろいろ見て歩くのが面白くって」

「そ、そうですか」


 いろいろ見る余力があるのが羨ましい。俺なんて、危うく鼻血を噴出させるところだというのに。


「あ、あの、ウチに何かご用ですか? ちょっと変わった言葉喋って申し訳ないねんけど、ウチ生まれが大阪で、ずっと関西弁が公用語だと思っとったんや。堪忍な」

「は、はい。遠いところをようこそお越しくださいました……」


 って、俺の方こそ何を言っているんだ。

 混乱しながらも辿り着いた結論は、この女性が転校してきた高校一年生であること、それに完全ではない関西弁、いわばエセ関西弁を使っているということだ。

 俺にはそう聞こえてしまっているだけで、実際はこういう方言があるのかもしれないが。


「お嬢様!」

「お嬢様、ご無事ですか!」


 な、なんだなんだ?


「やっば、ウチも追いつかれそうやな。この名刺渡しときますさかい、よろしく頼みまっせ! ほな!」


 女子生徒は、僕が来たのと反対向きに廊下を突っ走っていく。そんな俺の前で、二人の大男が立ち止まった。サングラスに鰓の張った顔の造形。真っ黒の髪はオールバック。それに、走ってきたというのに、二人共ビジネススーツに皺ひとつ寄せていない。

 どうにも人間らしさに欠ける几帳面さを感じる。ターミネーターか何かだろうか。


「少年。今ここで、ある女子高生と遭遇したな?」

「え? あ、はい」


 俺は事実を述べる。自分の顔が彼女の胸にダイヴしてしまったこと以外は。

 時間にして三十秒くらいだろうか。俺から情報を仕入れた男たちは、このまま三階から追う者、一階から回り込む者とに分かれた。


 礼の一言もなく、猛ダッシュで駆けていく男たち。何者なのか気になったが、ああ、こういう時のために俺は名刺を渡されたのだ。


「なになに……?」


 そこには、聞いたことのないアイドルグループの名前と連絡先、それとこの名刺を持っていた本人の名前や情報が記載されていた。

 おいおい、こんなもの、どこの馬の骨とも知れぬ男に渡していいのか? まあ、お陰で彼女の名前が分かったのだけれど。


「葉桜舞、JKアイドルユニット『サンダーブレイド』所属……」


 ああ、あの男たちは、いわばボディガードなんだな。ようやく合点がいった。

 しかし、授業中でも彼らは舞のことを守るのだろうか? そうそう上手く守り切れるとも思わないが。


 一応この学校は、『自由と責任ある青少年の育成を目指す』ということになっている。

 実は制服だって、着てくる必要はなかったのだ。だが、逆に着るものを探してマッチングさせるのも手間がかかる。


 そう考えるに、やはり男子は専ら学ラン、夏期はカッターシャツで過ごす者が多い。

 女子は年がら年中、膝上までしかないスカートを着用しているが。


「寒くねえのかな、あれ……」

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