第54話 思っていたこと
何事も起こらなかったようにして繰り返すさざ波。
「あれ?」
謙吾が後方を振り返ったのも無理はない。いきなり自動車音やら自転車のベルの音、散歩する人達の会話などが海岸に押し寄せたからである。
沖水を見れば、「何事かありましたか?」とでも言わんばかりの当然の景色にいる表情を浮かべていた。
静かな海面が夜のグラデーションを始めていた。
「高跳びさ」
謙吾の唐突な切り出しに、雪花は彼の顔を覗いた。
「最初に跳んだのは、小学校の時かな。クラブ活動の参加希望が募って。なんか空飛んでるみたいでカッコ良さそうに見えてな。それで立候補して。そしたら結構跳べちゃってさ。中学でも、そんな感じで部活は別の部に入ってたんだけど、体育の成績が良いと選抜させられて、それで高跳び続けたんだ。けど、練習すればするほど、勝ちを求められれば求められるほど、冷めて来ちゃって。俺はこんなことのために跳んでんじゃねえって。青いだろ。今考えても恥ずかしい。けど、その頃からかな、過ごす生活全部、学校も自分も、クラスメートも先輩も後輩も、勉強も遊びも何もかもが当たり前すぎて、当たり前のことをしておけば当たり前の結果だけが出て、それで何事も解決してるんなら、それで丸く収まるんだろうって、そうなるようにしてきてて。
雪花を見ていたら、高跳び好きなんだろうなってのが伝わってきて。今言った、どうして高跳びをやろうと思ったのかも思い出して。久々の跳躍はかなりビビってたんだ。けどさ、雪花に天使みたいって言われて、うれしかったんだ。照れ臭かったけどな。本当に空飛んだのかもしれんなんて思えて。あの高さを飛べたのはきっと雪花のおかげだ。跳ぶのが楽しかった」
恥ずかしそうにうつむいたまま
「初めてだね、そんな話してくれるの」
けれど、雪花は謙吾の率直な言葉がうれしかった。
「だな。他に言ったことねえし。それと、洋介に跳べって言われるのが分かっていて、あそこにいたのかもしれない。そういう背中を押す手が欲しかったのかもしれないんだ」
「そういうの、聞けて良かった」
「それと羨ましかったんだ」
「羨ましい?」
「進路のこと。話し飛んで悪いな。なんかさいろいろ思い浮かんじゃってさ」
「ううん、話してくれるなら聞きたい」
「雪花も、洋介も、清白もさ、希望を抱いて志望校選んでるみたいで」
洋介は学校の先生になるために、真澄は実家を継ぐために。そして、雪花も。
「いや、私は結構打算がありまして……」
「打算?」
意外な言葉だった。
「うん、け……みんなと同じ大学に行けたらなあと」
「そっか。でも、私大から国立に変える勇気はスゲエよ。俺にはまねできんしな。」
「そんなことは……ないんですよ」
「それでな、俺志望変えるわ。今決めた。雪花ほどの勇気はないから学部学科を変えるだけなんだけどな」
「え? 今?」
「元々工学部にしたのは、就職に有利だとかで、あんまり好き好んでいたわけじゃないし。親も『それでいいのか』って耳にタコができるくらいに聞いてたんだ。サワの技術見ても、すごいとは思ったけど興味はあまり沸かなかったんだ。オープンキャンパスに行ってもさ、同じ感じだった。実はこないだ前の学校の友人からメールが来てさ。俺も設計の時に協力したロボットが完成したって。それでも俺はあんまり楽しくは思わなかった」
「それで、どこにしたの?」
「理学部自然環境学科」
“トキ トキ トキ”
その表情にはすっかり浩然の気を養われた感があった。
「何する所?」
「よくは知らん」
「知らんて……」
「こないだのオープンキャンパスで知ったんだ。ネーミングとか気になってさ。ちょこっとホームページ見ただけなんだけど、どうやら俺はそういうのに興味があるのではないかと思ってな。小学校の図書館にさ、漫画で恐竜とか星座とかを解説したシリーズがあって、そういうのが好きで読んでたんだ。掃除当番で図書室になった時にはさっさと終わらせて残りの掃除の時間で読んでたりな」
「そういうのあったね。そういえば」
「シーラカンスとかアンモナイトとか面白かったなあって」
「あ、だからなの?」
「ん?」
「なんだっけ。リー……リールブクブク? あのコブダイさんの時に言ってた」
「リードシクティスな、語感は似ているが」
「あんなに饒舌にうれしそうに、そうキラキラして話している謙吾くんも初めてだったから」
「うれしそうだったのか?」
「そう見えたけど」
「そうか」
あの緊迫した状況で、下手をしたら巨大魚襲撃の危機の中、意識をせずに嬉々として話していたとは。更にそれを見透かされていたとは。謙吾は自分が間抜けなように感じ、一つ肩をすくめた。
「志望学科変えるのって、その……サワさんの影響?」
「ゼロとは言えないな。けど、それもひっくるめて全部だよ」
「全部?」
「四月にここに来てからの生活全部を思い出して、俺の心が動いた方面のことなんだ。俺が知りたいのは、宇宙とか古代とか海の中とかだって。言うなら、まって《とても》おもしぃことを追いかけたいって、感じかな。それに今は」
堅苦しい言い様の中、謙吾の頬が朱を帯びていた。その顔色に雪花はキョトンとしている。
「雪花のことをもっと知りたい」
キョトンが蒸気を上げた。
「わ、ワタ、私も謙吾クンを知りたいネ」
謙吾の不意打ちに片言で返事をしてしまう雪花。
「でだ。工学部とそんなに受験科目が違うわけでもなかったし。けど、国語の比重が高まるから、それは困っているんだ。でだ、また古典教えてくれるか?」
「私で良ければ」
浮かれ具合は、非常に現実的な事柄に押し戻される。何と言っても受験生なのだから。
「また一緒に勉強しないか?」
「ソウダネ……」
それとてやはり浮かれてしまうようだ。
「それと今度カラオケ行こうか。俺下手だけど雪花が歌うの聞かせてくれ」
「真澄達の都合も聞かないとね」
「それもいいけど、二人でさ」
「――うん」
小躍りする心拍数とは裏腹に、雪花はうつむいてしまった。
「しっかし、俺が雪花を助けたかった。おいしいところはサワと沖水に持ってかれて。何か、こんなこと考えるのって、傲慢なのかな」
「どうだろ。サワさんがいたら、『ケンゴよ、ようやく分かったか』なんて言いそうだけどね」
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