第5話 夢を叶える眼鏡

「夢を叶える眼鏡?」


 おじいさんは確かにそう言った。

 古びた雑貨の陳列された薄暗い店内。

 普段から通っている道にあった、見たことの無いお店。

 ふらふらと誘われるように入った店内にいたおじいさん。


「そう。これは君の望む未来の夢を見ることが出来る眼鏡だよ」


 至って真面目な顔でそう付け加える。

 このおじいさんは何を言ってるんだろう?

 いくら僕が子供だからといって、そんなことを信じるとでも思ってるんだろうか?


「信じてないという顔だね」


「いや、さすがにそんなことは出来ないでしょう?」


 僕は失礼のないように、慎重に言葉を選んでそう言った。

 本当はもっとはっきりと嘘だと言いたかったけど。


「そう思うなら試してみるかい?それで信用したら買ってくれればいい」


 おじいさんはそう言って眼鏡を僕に渡してきた。


「君の夢は何かな?野球選手?お医者さん?総理大臣?ああ、今だったらユーチューバーかな?」


 そんな夢みたいなことは考えたことも無い。

 特別頭が良いわけでも、ずば抜けて運動神経が良いわけでもない。普通を絵にかいたような僕は普通に普通の学校に進学して、普通の会社の普通のサラリーマンになるんだと、すでに自分の限界を見据えた計画を立てていた。

 だから、おじいさんの言うような極一部の人間がなるような夢を抱いた事なんて一度も無かった。


「僕は……特別な夢なんてもってないです」


 だから僕は素直にそう答えた。


「これは君の夢を叶える眼鏡。決して叶えられない夢も叶えてくれるよ。思い出してごらん。君にも幼い頃に見た夢が1つや2つあるだろう?」


 小さい頃……僕はサッカー選手になりたかった。

 テレビで観た日本代表に入って、ワールドカップで優勝したいと思っていた時期があった。

 でも、そんな夢を持って入ったサッカー部は半年で辞めてしまった。

 先輩や、一緒に入った同級生を見て、自分には向いていないと思ってしまったからだ。

 絶対に自分には叶えられない夢だと思い知らされたからだ。

 2年前の話だけど、思い出すと胸のところに棘が刺さったような痛みを感じる。


「小さい頃、サッカー選手になりたいと思ったことがあります。すぐに無理だと思って諦めましたけど」


 こんな初めて会ったおじいさんにわざわざ話すことじゃないのに、この人の目を見ていると何故か話してしまった。


「じゃあ、サッカー選手にないたいと願いながら眼鏡をかけてみなさい」


 おじいさんは皺だらけの顔を歪めるように笑った。


――サッカー選手になりたい。


 僕はそう念じながら眼鏡をかけた。



「ワアアアアアア!!」


 突然大歓声が僕の耳を劈くように響いた。

 ここは?

 眼鏡をかけたと思った瞬間、目の前が真っ暗になって……。


「日本!!日本!!」


 僕は今スタジアムのピッチに立っていた。

 何万人ものサポーターの大声援がスタジアムに鳴り響く。

 わけが分からず周りを見回す。

 日本代表のユニフォームを着た選手らしい人が何人も周りにいた。


「ここを勝てば優勝だ!それもお前にかかっているんだ!頼んだぞ!」


 そのうちの一人が僕にそう言ってきた。

 あきらかに大人なのに、僕と目線が変わらない。

 そして自分の身体を見てみると、それまでのチビの小学生の身体ではなく、全身に筋肉の付いた大人の身体になっていた。


 試合開始のホイッスルが鳴る。

 ピッチにいた選手が一斉に動き出す。

 何故か僕もどう動いて良いのか理解出来た。


 ボールが僕の足元にくる。

 それを受けた僕は走り出す。

 相手の選手がマークにくるけど、それをフェイントでかわして前に出る。

 味方の位置を確認してパスを出す。

 そして僕も前に走る。

 つながるボール。相手のディフェンダーの隙間を通しながらゴールに迫っていく。

 僕はゴール前に走りこむ。そしてそこに味方のパスがくる。

 トラップすることなく直接シュート。

 ボールはキーパーの手を弾くようにしてゴールネットを揺らした。


 それまで以上の大歓声。

 走って来て抱き着いてくる仲間たち。

 僕の心臓は破裂するんじゃないかってくらい鼓動が速くなっていた。



「どうだったかな?君の夢見た未来は?」


 興奮がまだ治まらない。

 呼吸が荒く、心臓もバクバクしている。


「……凄かったです」


 それ以外の言葉は浮かばなかった。


「どうする?買うかい?」


「……買います。いくらですか?」


 おじいさんが言った金額は子供の小遣いで買えるくらいの金額だった。

 僕が財布の中を確認すると、ぴったり、1円のずれもなくその金額が入っていた。

 でも、その時の僕はそのことを不思議に思う事よりも、お金を家に取りに帰っている間に他の人に買われてしまわなくて良かったと安堵していた。



 夢見た未来を叶える眼鏡。

 それは見るだけじゃなくて体感出来るという魔法のような眼鏡。

 これがあればどんな夢も経験出来るんだ。


 それこそプロ野球選手でも、医者でも、アイドルでもなれる。

 どんな贅沢も出来るし、もてもての人生だって見ることが出来る。


 家に帰った僕は、晩御飯を全速力でかきこんで、急いで部屋に戻って眼鏡を使うことにした。


 まずは何にしよう?

 今までになろうと思ったことのないことって何だろう?

 いや、そんなのはいくらでもある。

 テレビで観たことのある有名人たちは、どれも僕が憧れるだけでなることなんて考えたことも無い人たち。

 それを順番に叶えていこう。

 どんな職業だって、僕の夢を叶える眼鏡だったら楽勝の人生を送れるはずだ。

 そう考えるといてもたってもいられなくなって、まずはミュージシャンからにしようと決めた。

 めちゃめちゃ派手で、海外でも名前が知られるような大物ミュージシャン。

 そして僕はそう願いながら眼鏡をかけた。




 どの人生も素晴らしいものだった。

 ミュージシャンは出す曲出す曲大ヒット。世界中からライブのオファーが殺到し、世界を股にかけるスーパースターになった。

 プロ野球選手の時は、国内で3冠王を取った後にメジャーに渡った。そこでも歴史に残るような活躍をして、巨額の年俸をもらって、引退後も悠々自適な生活を送った。

 あまり興味はなかったけど、政治家にもなった。国民から圧倒的な支持を受けていた僕は、史上最年少の総理大臣になった。外交にも力を入れて、いくつもの紛争の解決に尽力した。世界中の人から史上最高の総理大臣だともてはやされた。


 他にも思いつく限りの夢を見た。

 本当にどの人生も素晴らしかった。こんな人生を送りたいと心から思った。

 諦めてしまった夢だったけど、諦めなければ叶うかもしれない夢。

 まだ間に合うかもしれない。

 僕に何が出来るか分からないけど、いろいろ試してみようと思う。

 そして、僕にも何か輝けるものが見つかるかもしれない。


 僕はそう奮い立って部屋を飛び出した。

 台所に行くと母が洗い物をしていた。


「お母さん!」


「うわっ!びっくりした……どうしたの急に……」


「僕、明日から仕事を探そうと思う!!」


「え……本当に……?」


 お母さんは驚いた顔のまま涙を流し始めた。



 夢を叶える眼鏡を見ることに熱中していた僕は、あれ以来部屋から出ることも無く夢を見続け――


 明日40歳の誕生日を迎える。



 夢を叶えるのに年齢なんて関係ないよね?

 諦めないことが肝心だと僕は気付いたんだ。



 さあ、僕は僕のどんな夢の未来を叶えようかな。



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