第玖話

「――ここは。そうか、戻ってきたのか……」


 馴染みのある暗い天井に駿之介はホッと一息。右腕を動かそうとするもギプスで固定されて動き辛い。それに頭にも足にも包帯の存在を確認した。

 あの時無我夢中で彼女を庇ったとは言え、まさかここまで大怪我するとは。自分自身のことなのに彼は謎の傍観者目線で感心したところで、大蔵の部屋から酷い咳が聞こえた。

 慌てて起き上がろうとするも「もうー」という声を耳にしてゆっくりと元の姿勢に戻る。


「ちゃんと休んどかないとダメって先生からも言われたっしょー?」


「うぐっ、ご、ごめん」


「これ以上続くと……おぐりんの愛しの人の前でうっかりバラしちゃうかもしれないよー? おぐりんがお医者さんの言う事を無視してまで三日間付きっ切りで看病したーって」


「ななな、なっ、誰があいつのことを――ゲホゲホッ」


「ああもう、言わんこっちゃない。ほら、しっかり寝て早く回復しましゅうね~」


「もう……バカにして……」


 二人の仲睦まじい会話を聞いてこちらまでほっこりするが申し訳なく思った。今度どんな顔をして会いに行けば、と贅沢な悩みがぽつりと思い浮かんだその時、襖が開けられて意外な人物がやってきた。


「お、もう起きたのか?」


「あ、大石さん」


 起き上がろうとする駿之介に良い良いと止めさせ、枕元で腰を落とした大石の顔。その幼い顔にはいつもの様子とは違う哀愁を帯びていた。


「具合はどうじゃ?」


「はい、まだ少し痛むくらいですかね」


 そうか、と安堵の息を漏らした彼女とはよそに、内心でソワソワする駿之介。

 これまで何度も大石と会話を重ねてきたとは言え、彼女の大人な部分を見るのは今回が二回目になる。

 だからどういう風に接したらいいのか分からず勝手に気まずさを感じると、


「すまぬのぅ」


「え、なんで急に謝るんですか?」


 唐突な謝罪に目を白黒させる。

 そもそもの話で言うと、月華荘の連中に相談しなかったという非をこちらにもあった。もしあの時、少しでも冷静になっていれば事件解決の手柄だって掴めたかもしれないし、街を救った英雄になる未来だってある。

 そのことに負い目引け目を感じないわけではない。


「本来であればおぬしを、もっとちゃんとした施設で治療を受けた方が良いと思うじゃが……。生憎この状況じゃからのぅ」


「ああいや、そんな……。ここでは難しいということぐらい何となく分かってましたので。そうだ、あの後俺はどうやって運ばれましたか」


 うむ、と大石が説明し始めた。

 彼の機転のおかげで夏目と光風が素早く二人を助け出したことを。彼が身体を張って大蔵を守ろうとしたおかげで本人は掠り傷で済んだことを。そして、彼が当時に負った怪我のことを。


「硝子の破片による刺し傷、瓦礫による損傷、摩擦による擦過傷及び亀裂骨折。挙げても切りがないのう~」


「そ、そんなにですか」


まことにおぬしと柚には申し訳ないことをしたのぅ……。おぬしらを密航しなければ我々の事情にも巻き込まれずに済むじゃというのに」


「え? み、密航? いきなり何の話ですか」


 ここに来てまさかの爆弾発言が投下されることになるとは。

 しかし当の本人はあれと小首を捻っていらっしゃる。


「なんじゃ、話してなかったのか?」


「一回も聞いてませんよ、そんな話」


皇国ここはほれ、閉鎖国家じゃろ? だからおぬしら兄妹を引き取ると一言申すのは簡単な割に結構苦労したが今になって全部がいい思い出になったのう~。――あ、そうじゃ」


 と、そこで彼女は懐から一枚のカードを渡してきてそれを受け取る。

 氏名、年齢、住所等々の情報が記載されている、非常に重要性を持つカード。これが何なのかなんとなく察したが、間違いであって欲しかったため一応聞いておこう。


「これは……?」


「うむ、これはパスというものでな。おぬしらがここにいてもいいと示す文書――まあ、要するに身分証明書のようなものじゃ」


「え、えええええええ?!」


 驚愕する駿之介とは対照的に、首の傾げる角度を更に深める大石。


「む、なんじゃ。そんなに驚くようなことなのかのう?」


「驚くに決まってますよ!」


 今まで身分証明書不携帯おろか、無意識のうちに不法入国及び不法滞在の犯罪を犯していたという二重パンチを食らったのだ。これで驚かない人間がいるはずがない。

 そもそも皇国の法律に不勉強とこちらにも非があるだとして、一切何も知らせてくれない保護者もどうかと駿之介は思う。


「これこれ、興奮しておるのは分かるが、声を抑えるようにしておくのじゃぞ」


 腕を組んだ大石に注意され、あっと彼は反射的に大蔵の部屋の方に目を向ける。自分のせいで風邪が長引いているのに更に睡眠の邪魔してしまった。

 配慮不足だと自責の念に駆られる駿之介に、向けられるのは意味ありげなニヤニヤ顔である。それに何ですかと聞くと、


「いやなに。青春じゃのうーと思ってのう~」


「話を逸らそうとしないでください」


 おほほほ、と笑われここぞとばかりに大人の余裕を見せ付ける大石に少しムカついたのは言わずもがなのこと。

 しかし改めて自分達の状況を振り返ると、彼らがここにいるのは間違いなく大石の並ならぬ行動力のおかげだ。もし彼が彼女と同じ立場にいるだとしたら、決して引き取らなかったはず。何なら見捨てた可能性だって大いにあったのだ。

 にも関わらず、我が身可愛さを顧みず危険を冒してまで萱野兄妹を引き取るのはある意味、偉業だと褒め称えるべきだろう。


「それで、多くの危険性が付くと分かっていながらどうして俺達兄妹を引き取ったんですか?」


「なーに、簡単なことじゃ。もしおぬしらを見捨てると思うとわしはきっと後悔すると思ってのう~」


「え、それだけですか?」


 うむ、と首肯する大石にどこか拍子抜けした。いや、それだけ人間性で溢れるということなのだろう。本物の人間である彼にはないの。


「それにほれ、月華荘をもっと賑やかにするのも一興じゃろ?」


 茶目っ気に片目を瞑る大石に確かに、と同調せざるを得ない。けれど巧妙な嘘のせいで兄妹二人共揃って不本意ながらも犯罪者になってしまったのにまだ納得がいかないのは一旦さておくとして。

 それが顔に出たのか、大石は突然おほほほ、と笑い出した。


「なーに案ずるでない。共和国に支配されてから何もかもが曖昧になっておる故、わしでも把握しておらんなんじゃ。大丈夫、もしおぬしらに何かあったらこの大石漣、全力を尽くして助けるとここで誓おう」


「それでしたら……」


 不本意ながらも一旦納得するしかないが。よくよく考えてみたら、外国を知らぬ閉鎖国家の皇国が外国人を取り締まるような法律が制定していない可能性の方が遥かに高い。ならば暫く滞在しても問題ないはずだ。

 そうとでも思わないとこれから兄妹二人で身を寄り添い怯えながら暮らしていくことの方がずっと辛い。そんな未来がぽつりと思い浮かんだところで、


「それはそうと、駿之介や。あの子を、華凛を救ってくれて誠にありがとうのぉ~」


 大石に深くお辞儀をされた。しかも、丁寧に三つ指をついてまで。本来であれば自分より目上の人物に対してのお辞儀が向けられて思わず動転。

 彼女なりに最上級のお礼のつもりかもしれないが、彼にとって些か重たすぎるであろう。


「どうか頭を上げてください。当然のことをしただけですので」


「おぬしのおかげで、再び家族を失われずに済んだのじゃ。誠にかたじけぬ」


 言葉の節々から彼が成し遂げた重大さを、改めて再確認させられた。だけど当時の彼はただあの悲劇を繰り返さないよう、必死になっただけだ。

 実はもっといい方法があるのではないか――そんな可能性がある限り、引け目を感じずにはいられない。


「そこでおぬしに頼みがあるのじゃが――颯刀会そうとうかいに入る気はないか?」


「そうとうかい?」


「うむ。我々の目的は逆臣榊保守さかきやすもりからから琥珀帝こはくていをお救いし、最終的には皇帝の下に皇国を復興させることじゃ。即ち、祖国から共和国の勢力を排除することじゃ」


 額面通りに受け取ると、それは共和国との全面戦争を意味するもの。

 もし失敗したら地獄よりも辛い、生き地獄が待ち構えているだろう。皇国に来たばかりの彼でも失敗した方の結末を容易に想像つく。

 それだけ大石が成し遂げようとしているものはあまりにも不可能に等しい、それこそ斧を研いで針にするくらいの努力を経て初めて達成できる難業である。


「一応申しておくが、これは別に強制ではないから安心すると良い。ただ、おぬしのような人材が欲しかったから誘ったまでじゃ」


「あの……何故、俺を?」


「おぬしは、己の力で家族を守れた男であることを、自ら証明した。それだけのことじゃ」


 そうですか、と瞑目しては哀愁の孕んだ赤眼に直視する。

 迷うなんて必要ない。だって答えは最初から決まっていたからだ。


「颯刀会に入らせてください、大石さん――いや、会長殿」


 大石は小さく息を呑んだ後、やはりかとでも言いたげな顔付きで目を閉じる。

 次に顔を出す一点の曇りもない赤の双眸。その奥深くで燃えている闘志の焔を見て駿之介は徐々に笑みを広げた。

 ああ、この人になら、どこまでだって付いて行ける――。


「うむ。おぬしの覚悟、しかと聞き届けた。これよりこの大石漣、萱野駿之介の命を頂戴する。これからは、皇国復興のために励むが良い」


「はい。必ずや会長殿の助力になることを、ここで誓います」


 戦おう。救ってくれた仲間を守るためにも。

 どれだけシステムに翻弄されても戦い抜いてみせよう。この命が燃え尽きる、その最後の瞬間まで――。







「ところで駿之介や」


「はい、なんでしょうか」


「おぬし…………一体どこまで華凛と進んだのじゃ?」


「――――――は?」


 これまでの真剣な空気から一転。完全に呆気に取られた駿之介に、意味深な微笑みが向けられてきた。


「いやぁ~。ほれ、部屋にいる時、いつも二人きりじゃったじゃろ? 実を申すと、わしを含めて、他数名も気になっておるのでのう~」


「いや、他数名って。あの、どうせ他の皆のことですよね?」


「それで? 実際はどうなのじゃ? もう一週間も暮らしておるのじゃから、少しくらい情は移ったのじゃろう?」


「うん? ちょっと待て、まさか夏目が俺に掃除させるのって……」


 恐る恐る確認を取るつもりが、その内なるワクワクが溢れ出るニヤニヤ笑いを見ていると、自ずと答えが分かってくるもの。


「いやぁ~、『ドキドキワクワクドロドロの修羅場劇場♪』が見たくてのう~」


「嘘だろ……」


(まさか、そんなしょうもない理由で大蔵をここで寝起きさせたのかこの人は?!)


 最早今すぐにでも犯人を懲らしめてやりたいと駿之介は思ったが。当の本人がおほほほほ、と笑っている時点で無意味だと悟った。

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【皇国編完結】刀華繚乱忠士伝 才式レイ @Saishiki_rei

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