第参話

卯月 弍拾肆日



 今日はコンビニにとって大事な日なので、先日大石に買ってもらった一張羅を纏い、駿之介の部屋にある姿見で自身の容姿を確認するわけだが本人はピンと来ないご様子。しかし試着した当時は周りが褒めてきたから多分似合っているはずなんだが。


「……何度見てもやっぱピンと来ないんだよね」


 姿見に映る自分に小さく嘆息する大蔵。

 お洒落にかなり疎い彼女は他人の審美感に頼るしかないとは言え、残念だと思っているだろう。しかし青い系統が目立つ細身の彼女に似合ったデザインの格好しているので、溜息を吐かずとも良いはず。


 さてと、と振り向くと視線が布団の上で規則正しい寝息を立てている彼の姿に吸い寄せられた。

 起こしてしまわないように彼の枕元にそっと近付いてはしゃがみ、ほんの好奇心で「ねぇ」と呼び掛ける。少しの間を経て返答されるも、喃語で返ってきては最早それは会話としては成立しないだろう。

 だけど返事されること自体を予想しなかった大蔵は一瞬焦り出した。


「その、私、もう行くから……」


「ああ……。俺はもうすこ……し……寝てかぁ……」


 しかし彼が再び眠りの世界へ飛び立っても彼女は依然と動かぬまま。


「ふーん、黙って寝てたら意外と……」


「んぁ?」


「うひゃっ!?」


 思わず飛び上がったのはいいものの勝手に寝顔を観察したのかバレたのではないかとヒヤヒヤするも遅れて返答するように寝息が返ってくると、大蔵はホッと胸を撫で下ろした。


「て、何やってんだろ私。さっさと行こ」


 出口に向かう足が襖の前で立ち止まった。


「い、行ってきます」









※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※









 普段通りなら昼までニュースを流していたのに今日に限ってそれがないとは。遅めの朝食を摂る駿之介は真っ黒な受信機画面に一瞥して食事を進める。偶々消したのかそれとも今日は何かの記念日なのか。

 いずれにせよ勇と相談した方が良さそうだ。そう判断した彼は急いで皿を平らげたまでは良かったものの、彼女の部屋に向かう途中で予想外のコンビと遭遇した。


「あれ、いさ――永里さんに柚。二人が一緒だとは珍しいな」


 ほぼ同時にタブレットから顔を上げる二人をよそに、危うくボロが出てしまいそうになった彼は内心で冷や汗タラタラ状態。

 妹が極度の人見知りだからこそ、その成長っぷりに誇らしく思うが同時に寂しさも覚えてしまう。兄としては非常に複雑な心境だ。


「あ、駿兄。さっきいさねえにコードを見てもらったんけど、駿兄もいさ姉に用事?」


「ああ、そうだけど。柚にも聞きたいことなんだからここに居てくれると助かる」


 りょ、と頷く柚から視線を外し、勇にその理由を聞くことになった。


「ああ。多分今日が終戦記念日だからかもしれないですね」


「終戦記念日? なんだそれ?」


「宰相のさかきが共和国と講和条約を結んだから、終戦を迎えたと聞きました」


「だから、その日を記念に終戦記念日があるとさ」


「この日には、毎年政府主催の大規模な式典が催されているらしいですよ」


「それと、夜にはお祭りの屋台がいっぱいあるようだけど……あたし達は行ってはいけないって大石さんが」


 そう説明した柚自身が小首を捻っているが駿之介はなるほど、と納得。彼女の言う『お祭り』は本当に言葉通りの意味なのか、はたまた全くの別のものか。

 いずれにせよ、慎重に越したことはない。

 終戦記念日。共和国人にとってはおめでたい日であることは揺るぎのない事実だとして、皇国人にとって屈辱の日のはず。嫌な胸騒ぎがし始めた時、


「おーい、駿之介やー。ちょっと、来てくれぬかー?」


 大石の呼び掛けで霧散した。二人と別れ急ぎ足で居間に向かって応じると、いつもと変わらぬ大石の様子とは対照的に、夏目はどこか迷っているといった顔をした。


「おお、駿之介か。すまぬが、今からちょっとお使いに行ってはくれぬか?」


「お使い?」


「うん。おぐりんがこれを忘れて出て行っちゃったみたいでさ。ほら、あの子、携帯も持ってないから連絡の取りようがないじゃん?」


 夏目から古い巾着袋を受け取り、二つ返事で了承する駿之介。

 助けられた時の恩を返すために、もし月華荘の連中に何か困ったことがあったら引き受けると、ずっと前から内心で決まっていた。


「ごめんね。本当はみっちゃんに頼むつもりだったけど……あのバカは毎年この日になると決まって部屋に閉じこもって翌日まで酒を飲み明かすから」


「そ、そうだったのか……。あ、でも今日はお祭りで結構混んでいるだろうから行ってきます」


「ああ、お祭りは夕方からだからこの時間だとパレードかな? 車が通らないように道路が封鎖されるだけだから多分大丈夫だよーん」


 そういうことなら、と大蔵の巾着袋を懐に入れて月華荘を後にした。








※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※









「夏目……全然大丈夫じゃなかったよ」


 頭の中で能天気な『大丈夫だよーん』がこだまして、深い溜息を漏らす。月華荘からコンビニに行くまでは凡そ三十分が掛かる。だというのに一時間が経過してもまだ目的地に着いていないのは、きっとアレのせいだ。


 月華荘を出て間もない頃、雑踏を縫うようにしてやっと大通りを渡れそうなところでガラガラガラという音が聞こえ。あれと見やると、丁度スタッフが通行止めの看板を運んできたというのが不運の尽き。


「あ、すいません。行軍のためにここを封鎖しますので…」


「あの、コンビニに行きたいんですけど…」


「でしたら、紫苑商店街を抜けて桔梗町ききょうちょうから行けるかと思いますが…」


「遠いな……」


「すいません、お手数をおかけすることになりますが……」


「ああいえ、大丈夫です。道も教えてもらいましたし。ありがとうございます。失礼します」


 スタッフに謝らせてしまった罪悪感を覚えた駿之介も頭を下げて早々に立ち去った。だが発生したのが一回だけならまだしも、立て続けに三回も同様のことに遭遇してしまい。ただコンビニに行くだけなのにもう何度目迂回したのかが分からなくなった。

 それにしても、この遭遇率は異常だ。まるで誰かが意図的に行く手を阻んでいるみたいだけど、よくよく考えたらそんなことあるわけがないか。大繁盛しているコンビニを見た駿之介は思考を取り止めた。


 もう既に午後二時に回っていたので着いたら軽く腹ごしらえでもしようと思っていたが、どうやら断念せざるを得ないようだ。


「仕方がない。さっさと渡してとっとと帰るとしよう」


 人波をかき分けるように奥の方に進むと、


「っげ。アンタかよ」


「なんだよ。来ちゃ悪いのか?」


 丁度顔を上げた大蔵と目が合ってしまったので仕方なく近寄ることに。

 本来ならば壁面から虱潰しに探す予定だったんだが、早く見つけたのは実に幸運だ。というのにあからさまな嫌な顔をされてはそう思えなくなったのは何故でしょう。


「どうせ、またからかいに来ただけでしょ? また変な飲み物とか渡されるのはごめんだし」


「ミルクココアは変な飲み物なんかじゃないってのに。あーあ、夏目に聞かれたらどんな反応するんだか」


「うっさい。アンタがチクらなければの問題だけでしょ?」


「別にそういう問題じゃないと思うけどな……。ところでなんで補充してるんだ? レ――お会計担当じゃなかったのか?」


「別に、ただ店長にせくはら?に気を付けてと言われたから」


「ああ、それで」


「まあそゆこと。それで? 何しに来たの?」


「お前、巾着袋忘れたんだろう? ほい」


 ついちょっとした出来心から補充している大蔵の頭にぐいぐいと押し付ける駿之介はある意味悪趣味と言えるだろう。しかも、両手が塞がっている時に狙ったのだから少し悪質な部類に決まっている。

 頃合いを見て離すと、不愉快だとでも書いたような表情が振り返ってきた。


「ったく、人が仕事してる時に限って、ちょっかいを出すんだから……。次やったらアンタが大好きなあのヘンテコお菓子、袋ごともらうからね」


「おおっと、そりゃあ怖いなー。悪かったよ」


 おどける駿之介がはいと大人しく手渡すと、大蔵が受け取ってくれてエプロンのポケットに仕舞って顔を伏せる。


「あ、ありが――」


「しっかしこんな大事なものを忘れるなんて、とんでもないうっかりさんなんだな。お前」


「なっ! う、うっさい! はい、これで用事はもう終わりでしょ? 仕事の邪魔なんだから帰って」


 しっしと手が振られてもここぞとばかりに彼が「うーん、何を買おうかなー?」とおちゃらけた調子で適当な商品を手に取り始めた。


「うっざ。どうせ最初から買わないつもりだったでしょうに。はいはい、行った行った」


「仕方ない。従業員に酷いこと言われたから大人しく帰るとするわ。そんじゃあ、真面目に働けよー」


「本当にムカつくんですけど……。はいはい、もう二度と来ないでよね」


 棚に戻して人波を縫うように出口に向かうと、自動ドアが開き熱気がのしかかってきた。腹ペコのままで帰るのかと思い始めると気が滅入ってきそうだが。


(そうだ、柚にナビしてもらおう)


 そうすれば早く帰れて飯を食えるだろう。

 既に食事脳になった駿之介が妙案を思い付きスマホに手を伸ばした次の瞬間――、


 ――後ろからの爆風に吹き飛ばされてプッツリ意識を失った。

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