第拾話

卯月 壱拾玖日



(あいつ、大丈夫か……?)


 まだ出発すらもしていないのにいつになく増して動きがロボット化していく大蔵を眺める駿之介。着替え中に彼女の部屋から転ぶ音を聞こえたり、一緒に部屋を下りる際に歩き方がぎこちなかったり、朝食中に箸を落としたり。

 そんな彼女の動転する姿を間近で見ていたら自ずと心配にもなる。


(あっ、また)


 食事の最中に上手く食べ物を持てず、何度も落としたことやら。折角食べ方が綺麗なのに勿体ないと駿之介は思う。

 それにしても馬子にも衣裳というべきか、初めて制服を着るはずなのになんだか様になっている。立てば芍薬座れば牡丹、


「あんまジロジロ見んな。この変態」


「まだ根に持てるのかよ」


 口を開けば台無しとは正しくこういうことだろう。

 聞く耳を持たずとばかりにフンと鼻を鳴らしては食事を進める大蔵。それに先程からぷんぷんと頬を膨らませながらも器用に食べる大石。他人事のようににしししと笑う夏目。


「災難ですなあ旦那」


「夏目もその場にいたのになんで何もしないのさ」


「んまあ……眺める方は楽しいじゃん?」


 同調を求めてくる彼女の言い方に駿之介は重い溜息を一つ。

 どうしてこんなことになった。その疑問と共に、彼は数分前の出来事を振り返ることにした。


 それは、萱野兄妹と大蔵が居間に向かっている最中のことだった。『可愛い女子おなごであらば迷わず飛び込む』という大石の頬ずり攻撃が大蔵に当たった時のことだった。


『おお! 見て駿兄、なま百合だよ……! いやあ~、まさか朝から早々生百合に遭遇するとは……縁起がいいね、駿兄!』


『ああ、分かるぞ!』


『あれ、その尋常じゃない情熱……。ッ! まさか百合もイケる口なの……?』


『何を言う。勿論イケる口だぞ! 何ならビール十本二十本イケちゃうくらいイケちゃうぞ……!』


 まさかのタイミングで性癖――もとい、好みをカミングアウトする萱野兄妹で意気投合。兄妹揃って百合談義を咲かせている一方、向こうも向こうで百合の花が咲き乱れる。終いに、


『あたし達ファンは……?』


『空気と化すのみっ!』


花園せいいきには……?』


『一歩も踏み込まないッ!』

 

 フッと熱い握手を交わす二人の絆が兄妹のそれをとうに乗り越え、お互いにとってかけがえのない百合好き好き同盟仲間に進化したその時、


『そこ! 変なことばっかやってないで、早く助けてよ!』


 割って入る大蔵の怒声にハッとなり、慌てて助けに入った。それで大石の恨みまで買ったことになったのだが、一番酷いのはその場に偶然居合わせた夏目がただ面白がるように眺めただけ。

 だから正確に言えば大蔵は萱野兄妹に怒っているはずが、何故かその矛先が兄だけに向けている謎の状況になってしまったという。


 追想が一区切りついたところで駿之介が嘆息して、食事を進めながらも流れているニュース番組に意識を傾ける。誰でも真面目に見るわけでもないのに音声だけでも聞きたいのか、朝はいつも流している。

 普段と変わらぬ朝食風景の中、大石が珍しく真面目な面持ちで立ち上がった。


「皆、陛下が映っておるぞ」


 月華荘の面々はすぐにテレビに向けて直立姿勢。訳の分からないまま、萱野兄妹も彼らに倣った。

 テロップには大きく『琥珀帝陛下御在位伍年式典 そのお言葉とは』と映っており、式典の一部の様子を紹介されているようだ。画面越しとは言え、陛下の御前に変わりはないだろう。どうやら月華荘ここの住人達は宗教よりも、陛下への忠誠心の方が高いようだ。


『あれから伍年。伍年が経ちました。それでも傷跡は消えることがなく、未だに皇国の地に深く刻まれている。今でも多くの国民の暮らしに困難が生じていることを思うと、心が引き裂かれる思いがします』


 皇帝陛下と敬われるには随分と若く、どちらかと言うと皇嗣の方がしっくり来るような二十代後半の安っぽい美形男性。陛下が右手を胸元に置いたその時、手の甲にあった模様がうっすらと見えた。


『全ての国民が安心して日々を送ることができるよう、国民皆が心を一つに寄り添っていくことを願ってやみません。また、皇国政府には共和国の皆さんと手を取り合い、一日も早い復興がなされることを強く望みます。

 では、皇国と国民にオスズヒメ様のご加護があらんことを』


 大きな拍手が流れ、画面外に姿を消すまで彼らが立ち続けた。


「っけ! 陛下まで共和国に尻尾を振ってるのかよ。ったく、胸糞悪いったらありゃあしないぜ」


「こら光風、良さぬか」


 へーい、と不貞腐れた光風がドスンと席に掛けてむしゃむしゃと頬張り始めた。彼の後に続いて、他の皆も朝食を進める。駿之介も食事を続けるフリをしつつも周囲の反応を窺ったが、全員は至って普通な感じだったが――。


(まさか、こんなところでヒントが得られるとは)


 これまで血眼になって探しても手に入れなかった皇国の歴史に関する手掛かりが舞い降り込んできた。

 五年前に一体何かあったのか――必ず暴いてみせる。

 膨らんでいく高揚感を抑え込みつつも箸を進める駿之介とは対照的に、大蔵の顔に複雑な表情が浮かび上がった。










※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※











 校舎に着いた時、夏目が大蔵を職員室までの案内人は誰がすることについて他の皆と相談しているところで、全校集会を知らせるアナウンスが流れて急遽向かうことに。

 遅刻した月華荘一同は体育館に着き、そのまま後方に立つ。周囲に鞄を持つ生徒を何人か見掛けたが教員が一切叱らず、壁に凭れて欠伸をするだけ。

 無論、彼らも咎められずに済んだが。何より、現実世界むこうでも滅多に見られない光景に彼は驚きを隠せずにはいられなかった。


 これから全校集会が始まるとは思えない、耳を塞がりたくなる騒々しさ。後から来る生徒も好きな位置に立つところから鑑みると、自由放任主義の学校なのだろう。見渡せば、ほとんどの生徒が全校集会をそっちのけで雑談に興じている。


「これじゃあ、全校集会のところでは――」


 と、彼が途中まで言い掛けたその時。

 足音が聞こえたわけでも、視界に入ったわけでもない。

 ただ――無視してはいけない程の、絶対的な存在感を誇示していた少女の来訪を、何故か直感的に知った。


 先程の喧騒はどこへやら、辺りが不気味な程に静まり返っている。

 通常は舞台袖から現れるものなのに、彼女は体育館の入口から出現した。しかも、皇国人男子一人と共和国人男子一人を付き従えながら。

 見る人が思わず溜息を零すような優雅な歩き方で。まるで散歩でもするかのように、ふらりと壇上へと訪れた。


「皆さん、おはようございます。生徒会長のクラリス・ハートマンです」


 静謐な声が響き渡った刹那、熱狂的な拍手と歓声が巻き起こった。


「かいちょおおお! クラリス様ああああ!」


「クラリスかいちょおお! 今日もお美しいですわよおおお!」


「うおおおお! 相変わらずお美しいいいい!」


 拍手喝采を受け蜂蜜色の髪を後ろにサラッと払ってみせる生徒会長。まるで銀幕の大スターが登場したかのような、会場の湧き方に圧倒される駿之介。

 これが副総督のカリスマ性か。

 

「いや~、相変わらずすんごい人気だね。知ってる? あの子、柚と同い年だよ」


「え、コミュ力お化けなのに生徒会長でしかも副総督とか……何でできてんの。怖すぎるですけど」


「コミュ力お化けって?」


「しょ、初日に話し掛けてきたのが彼女だった」


「ああー」


 納得した駿之介は、会場が沸き起こった時にこちらの裾を掴んでいた柚の頭を一撫でしてから再び視線を壇上へと戻す。


「今週の木曜日、巫女姫様がご登校されます」


 通達事項一つでドッと歓声が轟く。ここまで来たら異常と認識せざるを得ないが、光風のムカつく顔と夏目の微妙な表情を見るに、このようなことが日常茶飯事だと考えられる。

 それにしても、後ろの男子二人も生徒会の一員だろうか。声を潜んで夏目に尋ねると、


「ああ、一人が風紀委員長の暁正宗あかつきまさむねって言って、もう一人は……あれ誰だっけ? あはは、覚えてないや。ごめんね」


「いいよ。誰だって覚えられない一つや二つあるからな」


 けれど消去法を用いれば、残りの共和国人男子が副会長といったところか。壇上に並んでいるのが生徒会のビッグスリーという前提で考える話にはなるが。


「それに伴い、我が校の警備を強化しようと思います。巫女姫様ご自身、騒ぎになる事は望んでいらっしゃいません。当日、皇立学園の生徒らしく、恥ずかしくない振る舞いをすること、生徒会一同は皆さんに期待します。では、皆さんにオスズヒメ様の祝福がありますように」

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