第弐話

「大丈夫だった?」


 見知らぬ女子の声にえ、と黒眼が見開く。どうやら念願の『チヤホヤされる転校生』のイベントがついに発生したようだ。

 皇国人達に囲まれてドキドキしつつも冷静に対応する。


「あ、ああ。どうやら心配を掛けてしまったな。申し訳ない」


「ピアースの皇国人嫌いが有名だと思ってたが、まさかここまで酷いとは」


「まあ昨日俺が無断で休んでしまったのも事実だし、仕方がないよ」


 隙あらば好印象稼ぎ。ここでも元社会人の点数稼ぎが光る。

 眉尻を下げては肩をすくめ、勿論笑顔を振り撒くのも忘れずに。これで『昨日サボった転校生』から『嫌な教師をぎゃふんと言わせた頭のいい転校生』へと昇格したようで一安心。

 

「それにしても共和国人相手によく言い返したな萱野! すっきりしたぜ、ありがとな!」


「いいっていいって。困った時はお互い様だろ」


 馴れ馴れしく肩を抱いてくる男子生徒の晴れ晴れした笑顔に僅かな罪悪感を覚えつつも話を合わせていると、次の授業の教師が入ってきた。

 駿之介の席に集まった生徒がわらわらと戻っていって、ようやく一息ついたところで今度は光風に話し掛けられる。


「よう、ピアース退治、お疲れさん」


「よしてくれ。実際あんま大したことやったわけでもないんだしな」


「ガハハ、違いねえ。それでもお前には感謝してるぜ。本当にありがとな、兄弟」


 感謝の言葉を最後に、振り返った筋肉質な背中に「いいってことよ兄弟」と小さく言いノートに向き直る。


(とは言え、あの禿げ教師に感謝の言葉はないがな)








※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※









 月華荘の面々と一緒に食事をして教室に戻ることになってもピアース退治の話で持ち切り。流石に恥ずかしいからもう止めてくれと頼んで一件落着したわけだが。


(なんかソワソワしてないか、夏目のヤツ)


 妙に緊張した面持ちの夏目に内心で首を傾げる駿之介。他の二人と一緒にいる時はそんな素振りはないのに、二人きりになった途端にこれだ。とは言え、件の二人は今し方厠に行ったばかりなので助力を仰ぐこともできない。何なら二人が帰ってくるまでこの気まずい空気を耐える苦行とかは駿之介には無理。


「なんか喉渇いたなぁ。あ、そうだ。この学校って自販機とかはあるか?」


「あー。うん、確か中庭にあるね。行くなら案内するけど。どう?」


「じゃあ、お願いしようかな」


「りょーかい~」


 程なくして二人は和の色が濃い空間に足を踏み入れ、優雅に弁当を食している皇国人女生徒の集団を通り過ぎ、飛び石伝いで奥の方に設置された自動販売機へと向かう。


「何買うの?」


「うーん、そうだな……」


 口で時間稼ぎしつつも紙幣を投入。二つの飲料を買って片方は夏目にほいと手渡す。


「えっ? あ、ありがと……。きゅ、急にどーしたの」


「いや、その……夏目に訊きたいことがあってだな」


「うぉ……さんもなしかよ。なになに。本当、急にどうしたの?」


 彼女が気まずくなった理由を、今更ながら気付いた。

 初対面の時に怯えるような人間が、翌日に何故か色々と吹っ切れた上に好物も知られ、剰え奢ると言い出したのだ。そりゃあリアクションに困るわな、と彼は内心で会心の納得を得た。

 思えば、大蔵発見時からどこかよそよそしいと感じていたが、そういうことだったのか。


「ああいや、ほらこの前、部屋の前にミルクココアを置いたのは夏目だったろ? そのお返し」


「ちぇー、なんだ。最初からバレてたってことかあ〜」


 どこか芝居の掛かった口調でプルを引いた夏目を見て、駿之介は内心で胸を撫で下ろした。前回のループで果たせなかった約束を叶えるためだなんて口が裂けても絶対に言えない。


「そんじゃ、これからもよろしく〜おんね、シュースケ」


「ああ、よろしく」


 缶を上げる夏目とブラックコーヒーの缶をゴチッと合わせて乾杯。喉を潤しホッと息を漏らすと、向こうからも同様の声が聞こえ。ふと顔を上げると丁度目が合って二人は小さく笑い合う。しかし、


「それで? アタシに訊きたいことと言えば、やっぱ乙女のトップシークレットであるスリーサイズを知りたいのかな? かな?」


「いや、まだ何も言ってないんだが…」


「あ、ちなみにスリーサイズなら上と下を教えてもいーけど。腰はダメだかんね。百歩譲って他はいーけど腰はダメだかんねっ!」


「いや、そんなつもりでは……」


 そんなほのぼのとした空気が一瞬で崩された。


「ほほう? つまり、アタシにはそれを訊ねたくなるほどの色気がないと? へえー、ふうーん」


「そろそろ話に戻ってもいいかな……」


「うん、自分でやっててちょっとうざいと思っちゃったんよね。ぬははは、めんごめんご。それで話って?」


 「実は――」と駿之介は前置きをして用件を伝えると、返ってくるイタズラっぽく覗く八重歯に内心で首を傾げる。 


「ははん? アタシに賄賂を贈ったのはさてはこのためだったのかなあ? シュースケ、いつの間にズル賢い大人の道を辿ったんだい? ママン、ショックだよお~」


「そう言われると、なんか俺が極悪人みたいに聞こえるが」


「ぬははは! いいよ、うっかり賄賂を受けちゃったのはアタシだし、それくらいならお安い御用よーん」


「うっかりだったのか……」


「そっ、うっかりうっかり。うっかりミルクココアの溢れんばかりの魅力に逆らえないってことさ」


 ニッと白い歯並びを剥き出しにする彼女に微笑み返す。ころころと表情を転がす彼女に助けられたんだなとしみじみ思いながら。

 それから二人は連絡先の交換を済ませ、どこに行くかと話し合っている途中で彼らを探しに来た二人も偶然その話を耳にした。残念ながら光風は用事があって来れないが、柚も一緒に付いて行くことになった。










※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※










 一方、その頃。

 山を降りたばかりだからなのか、雰囲気は些か神妙なものになっている。重い沈黙の帳が続く中、軽自動車に近付く二人に接近する長髪長身の女性が一人。「すみません」と声を掛けられて、片方は応じる間にもう片方は慌てて背を翻しフードの先端を前に引っ張った。


「む? どうしたのじゃ?」


「失礼ですが、大石漣さんでしょうか」


「うむ! 如何にもわしが大石漣と申す者じゃ」


 子供体型所以か、名乗っただけで遺憾なく稚拙さを発揮してしまう大石。しかし女性は彼女にではなく、後ろの方で佇むフードの人物に一瞥を投げた。


「よかった。実は大石さんに折り入って頼みたいことがありますが……」


「なんじゃ? この大石漣にできることがあるなら遠慮なく申しておくれ」


 ここは他人を助力することに厭わぬ大石の懐の深さに敬意と感謝を述べなければならない場面ではあるが。生憎女性の無機質な瞳からそれらしき感情を読み取れない。

 ただ目前の出来事を分析し有利になるように事を運ぶ――そんな理知的な眼から読み取るには至難の業と言えよう。


「では、ここで立ち話でもなんですし、場所を変えましょうか。できればそうですね……他の人がいないところが好もしいですが」


「ほう?」


 台詞一つと共に今まで纏っていた幼稚な空気を一転させ、閉じていた赤瞳が僅かに開く。


「なら、ここでも良かろう。わしの連れに聞かれるやもしれぬが、ここなら邪魔者に聞かれる心配はないじゃろう──それとも他人に聞かれたらマズい話でもするつもりなのかのう~?」


「ええ、でないと困るのは大石さんの方になりますので」


 無表情の女性がふっと目を細める。

 誘い込む緑眼、見極める赤瞳。視線がぶつかり合い火花を散らかしてから数分後、久々に真正面から駆け引きに挑まれて一時的に気分が高揚した大石が首肯した。


「うむ、相分かった。ではおぬしも車に乗っておくれ。とっておきの場所に案内するのじゃ」


「分かりました」


 とりあえず成功した女性は、彼女を追い越してドアハンドルに手を伸ばそうとする――その時、「そう言えば」と前置きする大石に振り向く女性の紫黒の長髪が一拍遅れて揺れた。


「おぬし、名はなんと申すのじゃ?」


「──永里勇です」


「勇か。良い名じゃのう~。……ところでおぬし、運転はできるかのう~?」


「…………はい?」

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