第陸話
「何も聞かずにお前の下着を貸してくれ」
「――――――」
「何も聞かずに――」
「いや、ちゃんと聞こえてるから繰り返さなくてもいい」
聞こえなかった可能性を考慮して三度繰り返したが、キッパリと言われては「そ、そうか」と返すほかない。
それにしても幾ら親しい間柄とは言え、とんでもないカミングアウトをあっさりと受け入れるとは。見かけに寄らず存外懐が深いかもしれない。本当にいい妹を持ったな、としみじみしているところで──。
「てか、駿兄いつから女装に興味があるの。全然そんな素振り見えないっすけど」
「いや違うから。聞いて。まず落ち着いて、俺の話を聞いて?」
「うん、聞くよ。聞きますよ。で、今度はどんな言い訳が出てくるんだい」
何に言われても信じないからねとばかりに腕を組む柚。訝しい目を向けられても可愛いと思ってしまうのは兄の性ではあるが今、苦渋の選択に追い詰められる。
「い、今知り合いが必要としてるんだよ」
「へえ~? つまりこういうこと? 今この瞬間、この妹様の、下着を、欲しがっている変態さんがいると。んな変態がどこにいるんだよ。第一、ここはもう日本ではないんだからそんな都合よく変態がポンポンポンポン出て来ないよ。全く、言い訳をするくらいならもうちょっと頭を使えよな」
(うん。そうやって並べ立てられると、嘘に聞こえるのは無理もないか)
仕方がない、と内心で溜息一つ。本当はこのプランを使いたくないが、どうやら使わせざるを得ない時が来たようだ。
「やっぱ無理があるのか」
「へへへ、あたしを騙そうとするなんて百年も早いぜ」
「困ったなぁ~。物凄くカッコいいお姉さんなのになあ~。きっと失望するだろうなあ~」
え、と柚の口がポカーンと開く。
まんまと策に引っかかったのは想定内とは言え、まさかこうも効果覿面だとは。愛妹の呆けた顔に笑いが出てしまいそうなので背を翻した。
「あーあ、どうやって断ろう……邪魔して悪かったな」
おやすみ、と手を挙げて去ろうとするその時、裾が引っ張られる。振り返った視線の先、そこには激高して一筋の鼻血を垂らしている妹の姿。
「ど、どどどどどうやって頼まれたの。教えてっ!」
「え゛っ?! ええーと……。あ、そう! 柚のことを持ち出したら『まあ、なんて素敵な妹かしら。是非妹さんの下着を履かせてください』と頼まれ――」
「すぐ持ってくりゅッ」
中から慌ただしい足音が響き、今更ながらも妹の未来を心配する駿之介。
幾ら彼自身が彼女の好みを利用した策を思い付いた張本人とは言えど、どうしても後ろめたい気持ちを覚えてしまうもの。
まさか自分のもう一人の半身が、ここまで救いようがないバカだったとは。
(普通は見ず知らずの変態に恐怖を覚えるもので、興奮するものではないぞ妹よ)
程なくして息切れになった妹が宣言通りに下着を持ってきた。しかも、ご丁寧に上まで。
色々ツッコミたいところがあるが、それをやったらキリがないのでこのままお別れすることに。
「助かるよ。ありがと。じゃあ、おやすみ」
「お゛おおおおお姉さんの感想を必ず聞いてきてね駿兄ッ! それとそれとできれば事細かく報――」
バタンと襖を閉める駿之介。音が立ててしまったのは不本意ではあるが、それ以上聞いたら後が絶たない。
「アホくさ。さっさ渡そう」
何かもがバカバカらしく感じ、階段を下り始める駿之介。
一方、つい先程彼が閉めた襖がほんの少し開けられた。『疲れた』と叫んでいる後ろ姿が下りて行ったのを確認した後、柚はそっと閉め後ろに振り向く。
「行ったよ」
彼女がそう告げた途端、奥で長らく待機していた三人の目が一斉に光った。
少女のために下着を持参したのはいいものの、
『え、本当に女物の下着を持ってるんだ……キモ』
本人に気持ち悪がられて傷心した。同年代ならいざ知らず、中身は腐臭したオジサンのそれだ。無論、受けたダメージも倍になる。
「本当、最近の子と来たら……口悪いだけならともかく、助けたやった恩義すら忘れるとは世も末だ。あーあ、日本の未来はオワコンだオワコン」
呟いた途端にもう『現実の日本ではないこと』と『ここはゲームの世界』だということを思い出したが。却って苛立たしさが全身に広がった。
(って、ガキ相手にムカつくとかどうかしてる)
自戒した駿之介は予備布団を探すべく、再び二階に戻り空き室に入った──その時だった。
「きゃあああああああああ!」
静寂を切り裂いた金切り声に慌ただしく部屋を飛び出したところで、
「どうし――んぐう?!?!」
突然何者かに背後から口を塞がれ、両腕の自由も奪われ。抗おうとするも剛腕の前では何の意味も成さず、そのまま無理矢理に引き戻された。
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