第捌話

 大石の朗らかな声で幾分空気を和らげたところで、すぐさまに後ろの四人を紹介した。四者四様の挨拶を受けた大蔵は戸惑い気味になりながらも会釈を返す。


「そして、おぬしを拐した不届き者は中で正座している萱野駿之介という者じゃ」


 嫌味にしか聞こえぬ紹介に本人は溜息一つ。

 しかしながら大石が全員の紹介をしたということは、彼女を住まわせたかったのだろうか。やはり言う通りに最初から彼女と相談しておいた方が、という後悔の念が湧いたが今更考えても詮無きこと。

 次に活かせればいいだけの話だ。

 気持ちを切り替えて引き続き会話に意識を傾けることにしたが、暫く無言状態。それが永遠と続くかと思われた刹那、あっけなく終止符が打たれた。


「深い森の奥で長い間閉じ込まれた鳥は初めて自由を手に入れました。でもいざ外の世界に飛び出したら恐ろしい魔物ばかりで、やがて鳥は自分の非力を思い知るようになります。

 この先は地獄だと知っても尚、鳥は生き続かなければいけないでしょうか。生きる資格はあるのでしょうか」


 いきなり突拍子もない話が持ち出され、ほとんどの者が理解に苦しむといった様子だ。ただ、一人を除いて。


「ふむ、そうじゃのう~。資格があるかどうかをさておき、そこまで追い詰められたとは鳥は可哀想じゃのう~。ずっと飛び続けていて羽を休めることすら忘れてしまうとはのう~」


 え、と紫水晶の眼が見開く。


「屋根のある場所ならどこでも良い。とにかく雨風を凌げて安心して休息できる家を探すのじゃ。何ならウチでも良いぞ。ウチは部屋はたーっぷりあるし、小夜の料理も美味しいしのう~」


「……いい家だね」


「そうじゃろそうじゃろう? 沢山休息を取ってここに留まっても良いし、また遠くに旅立っても良い。――と、もし今後にその鳥を見掛けたらわしの代わりに伝えておいてはくれぬかのう~」


「……ええ、伝えておくわ」


 よく分からないまましんみりとした空気になり、全員置いてけぼり状態。ただ雰囲気的に大石が大蔵の入居を認めたということが、何となく理解した。

 小夜が彼女の夕食を準備している間に、夏目は大蔵の案内を頼まれたついでにもう一度風呂を入れることに。

 そして彼女を連れ込んだ張本人はというと、何も貢献せずにずっと正座していたという。


「……やっぱ忘れてるなぁ俺」


 流れが完全に大蔵の方にシフトしたことに溜息を吐く駿之介。というよりも、大石がいいと言うまで正座するように言われたのだが、いつまで正座させられるのやら。

 その後、偶然通り掛かった光風になんとか大石と頼み込んで本人から赦しをもらえたのは更に十分後のことだった。




「はい、熱い内に食べてください」


「……う、うん。い、頂きます」


「はい、ゆっくりとお召し上がりください」

 

 小夜の笑顔から視線を逸らし、夕飯に着地させる大蔵。元々駿之介のために用意した料理だが、本人はいらないと言ったのでそのまま温め直して大蔵に食べてもらうことに。そんな彼女の後ろ姿を何故か全員で見守るという流れになったのだが。


「あの、俺まで同席する必要はなくないですか、大石さん」


 後にやることがあるとすれば勇への報告だけではあるだが、彼だって暇ではない。街中を散々歩き回り、下着を貸すために奔放した結果、大石達にバレてしまい三十分の正座を強要されたのだ。

 早くも筋肉痛を感じたので一日酷使した脚を一刻でも早く労わないといけないだというのに。


「まあまあ、美少女が食べているところを見ると興奮にならぬのか、駿之介よ」


「あれ、いつの間に変態的な会話になってました?」


 と、大石にはぐらかされたからこれ以上の会話を断念せざるを得ないその時、背後から啜り泣きが聞こえ。え、と振り返る。

 視線の先に震えている大蔵の双肩は哀憐で胸を締め付けるものがあった。


 もしかして今までろくに食べれていなかったとか――ふと思い付いた推測がすとんと腑に落ちた。それなら色々と辻褄が合う。

 本人は必死に声を抑えているつもりだろうけど、生憎全員が揃っている。突如泣き出した彼女を夏目が、


「うん、もう大丈夫だからね。アタシが――ううん、アタシ達が付いてるから」


 泣く赤子をあやすような優しい口調を携え、細かく刻まれる肩にそっと手を置き。それに対し、彼女は「ごめん」と顔を覆い隠し袖口を濡らしている。

 時折嗚咽の中に入り混じる謝罪が自身の流涙にかき消されたが、それでも夏目は何も言わず、ただ手を添えるだけ。


 この家に夏目せいぼがいて本当に良かった。


「良かったのう……」


 ふと横目で向かい側に座っている大石を確認し、二人の後ろ姿に戻しては笑みが漏れる。

 ああ、本当に良かったな。











※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※












 辺りが寝静まった丑の刻に、襖の隙間から漏れる仄かな光の部屋が一つ。有明行灯の薄明りの中、純和室とは似つかわしくないタイピング音が響く。一段落ついたところだろうか、勇が大きく背伸びをしては報告書作成を続行。


 独自の調査ルートでやっとのことで手に入れた桃源郷計画プロジェクト・エデン参加者一覧のデータをいつでも閲覧できるように報告書にアウトプット。

 名前、年齢、職業、住所、犯罪経歴等々。

 頭からそれらの情報を引っ張り出して記録に残す――これは彼女の頭を整理したい時の儀式だ。もっとも職業柄上、報告書とは切っても切れぬ関係にあるからある意味役得だとも言えるだろう。

 ゲームの世界に入る数時間前に目を通しておいたのは不幸中の幸いだった。無論、瞬間記憶能力を持つ彼女にとってこんなことをしても無益だ。


 ハードディスクを整理すると快適になるのと同じように、常に脳というデータベースを整理整頓して空き容量を確保する。そうすればいつでも新しい情報が脳内にインプットできるし、閲覧したい時だけ自分が纏まった報告書を引っ張る。

 おまけに文字起こしにすると気持ちの整理も付くし、作っている際に誰にも話し掛けられないで済む。正しく一石三鳥というやつだ。



 0375の情報を飛ばして次の空欄へ。

 0376。佐藤陽翔。29歳。パート。前科あり。


「なるほど、ちっぽけな罪で入れられましたか。ご愁傷様」


 脳内の情報と照合して次の参加者の情報を埋める。

 そもそもこういった報告書は事前に準備するものであって、事件に巻き込まれてから作っては全く効力がない。もっとも完璧効率廚である勇が後手に回ったのは、長い経歴の中で今回が初めてだ。


「全く、次から早めにお知らせくださいってあれほど」


 文句を最後に溜息を吐く。

 そもそも発覚したのは施設に潜入したその前日の真夜中に上司からの連絡で起こされた時のことだった。『この広告なんか匂うから。追ってくれ』という命令が出され、十分な睡眠時間を確保できないまま止むを得ず追うことに。


「あ、今の内に確認しないと……もっともこんな時間まで活動しているから問題ないでしょう」


 パソコンの隣で置いたスマホを拾い上げ、自作のハッキングツールを起動して首肯。


「うん、ちゃんと機能していますね。持って2週間ぐらいか、或いは……。いずれにせよ楽観視できない状況にあるのは間違いないですね」


 彼の世界での己の活動期間を推測。

 勇はもうテスター0375として存在しているわけではない。ゲームの主人公はただ一人のみ存在すると同じように、0376の世界にテスター二人が同時に存在していいはずがない。

 システムから抹消されないために、彼女はハッキングしてプレイヤーのIDを一時的にマスクを掛け、コードを上書き。今の彼女はシステムから切り離された、完全自律型のNPCとして存在している。 


「それまでに外部との連絡を試してみないと。実際どれくらい時間が経過したのかちゃんと把握しておきたいところですが、ゲームの世界ここからだと無理なようですし」


 メニューおろかUIユーザー・インターフェースの一つも見当たらないのは最早設計は失敗だと見て間違いなさそうだが、開発者の真意は現時点まで不明瞭のままである以上、余計な類推はいずれ邪推になる。


「午後は無駄でしたが、捜索に協力しないでアプリを完成させるのは、我ながら合理的な判断でしたね」


 今日一日を振り返って自身の行動に誇らしげに思った勇。

 最初は彼と一緒に捜索するはずなのに彼女が一方的に反故にしたせいで大蔵の発見が遅れたわけだが。けれどそれに対して彼女は罪悪感の欠片すらも芽生えなかった。


「それにしてもここまで上手く行くとは」


 これまでの状況を再確認してもデータ入力。

 それは自分の天才的な優れたハッキング能力のおかげか、或いは現実世界そとで何かが起こったのか。もし後者だったらと考えただけでゾッとして身の毛がよだつ思いがするが、本人は至って無表情そのもの。


 テスター達の意識がゲームの世界にいる間、現実世界そとにいる身体がどうなっているのかも分からない状況だ。あの装置が身体に悪影響を及ぼすという可能性も、ゲームの世界に入った後身体がどうなったのかも何一つ分からない。自分達の生死すらも。

 起こり得る恐怖が常々付き纏う――それがこの世界に潜む危険性であるが、残念ながらこのことに気付いたテスターは左程多くない。

 だから彼女は一刻も早く真相を突き止めなければならない。この世界に囚われた全テスターの命を救うためにも。

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