第三十六話 シリアスさんがアップを始めました

 国境線の砦が全て陥落した―――という報せをラドグリフ・トライアードが聞いたのは、アドラ砦陥落からおよそ1日後の事である。


 最初に届いたのは国境線からもっとも領都に近いダール砦からで、そこから間を置かずして次々と陥落や放棄の報せが入り、先程最先端であるアドラ砦の報告が入ったことで国境線が完全に崩壊したことをラドグリフは認識した。因みに、アドラ砦陥落の報を持ち帰ったのはジェイクである。泥に塗れ、装備を失い、足を引きずりながら帰還した彼は治療を拒否して作戦会議室へと乗り込んだ。


 会議室の上座で、ラドグリフは大きく吐息する。


 後ろに撫でつけた金髪と、整いながらも刻んだ皺がこの場にいるミドグリフやルドグリフをそのまま歳を取らせたような容姿をしている。違うのは緋色の瞳で、彼の息子達は全て母と同じ碧眼であった。


(国境線は崩壊、内地への侵攻を許したか。しかし強襲の割に敵軍の動きは鈍い。おそらくは補給と魔物の制御に難儀しているのだろう。あの辺りの地形は天然の要害だ。少数ならともかく大軍、更に魔物付きともなると進むのには時間がかかる)


 腕を浅く組んで、ラドグリフは思考する。


 入ってきた情報を統合するに、敵はケッセル辺境領軍のほぼ全軍5万。それに加えて魔物使いでも引き入れたのか、一個大隊に相当する数の魔物が参陣している。特に魔物が厄介だ。完全に制御されているわけではなさそうだが、中には地竜種まで混在しており生半可な装備では役に立たず、それを肉壁として使われるだけでもこちらは劣勢となる。


 事実、ケッセル軍の戦術は魔物を最前線に立たせ、こちらが混戦で手間取っている間に魔法と矢玉の的にしているのだ。消耗品宜しく敵味方区別せずまとめて諸共魔法と矢玉の的にしてくるので、如何に戦慣れしたトライアード領軍とて劣勢を強いられることになった。


(幸いにして周辺住民の避難はどうにか間に合った。ジオの損耗率重視の方策のお陰か、地竜種が動員されなかった砦の兵は無事だったものが多い。これならどうにか決戦までには兵は3万までは行ける。避難民の中にも戦いを希望するものもいるだろうから、安く見て3万5000から4万までは見積もれる。数の上ではやや劣勢―――問題は、魔物だ)


 最前線に立たせたことによって、魔物の数も減ってはいる。だが、何処から引っ張ってきたかわからない以上、再び増員される恐れもある。


「親父」

「………ああ、すまぬ。少し考えていた」


 さてどうしたものか―――と、ラドグリフが思案しているとルドグリフに声を掛けられた。周囲を見渡せば、アドラ砦陥落の報を聞いて議論していた者達が水を打ったかのように静かになってこちらを見ていた。ラドグリフは思案していただけだが、その沈黙が返って不気味だったのだろう。


 いかんな、と苦笑しつつ部屋の扉付近で跪いていた傷だらけの兵士―――ジェイクに声を掛けた。


「その方、ジェイクと言ったか。大儀である。よく現地の情報を持ってきてくれた。後で褒美を取らす。今しばらくは休んでおけ」


 取り敢えずは作戦を練らねばならない、とラドグリフが退出を促したが、ジェイクはすっと面を上げると口を開いた。


「―――褒美なら、今貰えませんかね?」

「貴様、御領主様に………!」


 一兵士としては許されない言動に、将兵達が掣肘しようとするがラドグリフは許可した。ジェイクの瞳に仄暗い光を見たからだ。


「よい。―――望みは?」

「俺を最優先で治療して、そのまま戦列に加えてくださいよ。場所は最前線で良いっすから」

「仇討ちか?」

「柄ではありませんが………仲間皆殺しにされて黙っていられるほど、俺ぁ腑抜けた性格しちゃいないんすよ」


 そこで一旦言葉を切ったジェイクの目が、すっと細められる。


「―――奴らを皆殺しに出来なくとも、一番良い所を邪魔して中指立ててやる………!」


 言葉と共に渦巻いたのは殺意と、それ故に制御が外れかかった魔力。溢れ出た感情は気当たりとなって会議室を濃密に支配する。それにラドグリフや将兵たちは動揺よりも好感を抱いた。やられっぱなしではトライアード男児が廃る。一兵卒にまでその魂があることが嬉しかったのだ。


「よかろう。誰か―――」

「私が。―――ラファル隊のジェイクは、いずれ我々が引き抜こうと思っていましたので」


 真っ先に手を上げたのは第一騎士団団長のジャン・ピエトールであった。彼の麾下であるアルヴァレスタ弓騎隊には元々編入予定だったのだ。それが少し早まったと思えば良い。


「まだ馬の扱いは人並みですよ」

「構わんさ。どれだけ弓の腕が良かろうと、どれだけ馬の扱いが上手かろうと―――性根が腐っていれば使い物にならんからな」


 皮肉げなジェイクの言葉に、ジャンも苦笑する。一瞬だけ視線が交錯し、互いに納得がいったのか頷く。ジャンが見張りの兵に視線をやれば、ジェイクは指示に従って素直に退出していった。


「―――父上、戦線を下げるべきだと愚考します」

「ジオが提唱していた焦土作戦か。………よもや我が領地でやることになるとは」


 それを見送って切り出したミドグリフの言葉に、ラドグリフはすぐにその真意に思いたる。


 自領を放棄するような戦術は領主として承認しかねるが、防御戦術としての有用性と反撃の取っ掛かりとしては有用なのは認めていた。いずれ他国との戦争時に相手がやってくる可能性もあるので、頭の片隅に留めておいたのだ。尤も、最初に目にするのが自領とは何とも皮肉なことであった。


 とは言え、贅沢を言っていられる状況ではないのは分かっている。故に、ラドグリフは後継者の策を聞くことにした。


「ミド。大筋の策は練っているのだろう?披露してみろ」

「は」


 ミドグリフが立てた作戦は、大雑把に3つ。


 1つ、今敵が陣を敷いている場所よりも西方に位置するハーヴェスタ平原を決戦の地にし、そこに先んじて工作兵を動員して罠を仕掛けておくこと。


 1つ、ゲリラ戦を仕掛けて決戦の地に誘導しつつ進路上にある村と田畑を焼き、水源に毒を放って使用不可能にし略奪困難にすること。


 1つ、ゲリラ戦で注意を前方に向けている間に側面から後方に回り込み、補給線が伸び切った所を叩いてそれを絶つこと。


 後の自領の復興には頭が痛くなるが、そこは今は目を瞑るしか無い。この侵攻を切り抜けなければ復興も何も無いからだ。将兵たちもそれは理解しているようで、やむを得ないという判断をして黙っていた。決して綺麗な顔して随分悪辣な手を使うなこの次期当主………とドン引きていた訳では無い。きっと。


「成る程………残る問題は2点、と言ったところですか」

「ええ。補給線を断つ為に独立遊撃性が高く、そして精強を誇るロータス愚連隊を用いたいのですが、ゲリラ戦も担当せねばなりません。彼等の総数を持っても難しいでしょう」

「なら、第四騎士団が担当しよう。ロータス愚連隊と一番良く模擬戦しているのは麾下に加えているウチだからな。手の内やその理由も一番良く分かっている。この戦争で勝つための起点だと良く言い聞かせておこう」

「2つ目は魔物か………」


 ラドグリフの言葉に、全員が沈黙。


 領軍も時に魔物と相対する時はあるが、専業ではない。加えて、今回はそれだけに集中するわけにも行かないのだ。後方にはケッセル領軍がいるし、間違いなく疲弊した所を狙われる。


「兄貴。いいか?」


 さてどうしたものか、と皆が思考する中でルドグリフが手を上げた。


「近隣の冒険者に声をかけるのはどうだ?戦争は国家間での冒険者ギルド協定があるから参加できないが、魔物狩りなら問題なく参加できるはずだ」

「悪くない手だな。………ついうっかり狩り場を戦争で荒らしてしまった、という名目で金を渡すなら食いついてくれる冒険者もいるだろう」


 つまり、狩りをしている最中に偶然戦火に巻き込まれました、という体裁で冒険者を戦力として数えるのだ。彼らは自由業というか自由職で根なし草のように思われるが、意外と故郷に根を張って活動するものも多い。その故郷―――ひいては家族に危険が迫っているのなら手を挙げる冒険者も少なからずいる。


 相手が魔物を率いている、という状況でこそ使えるクレバーな手ではあった。


「よし、大まかの方針はそれで行く。では次は―――」


 ラドグリフは手を打ってこれを大方針とした。細々とした作戦を決めるための話し合いをして、会議が終わったのはここより1時間後。いよいよトライアード領軍が動き出す。




 ●




「―――ここもか」

「トライアードの奴ら、正気か………?」

「自分達の土地だぞ………!?」


 トライアードでの作戦会議から1日後、遅々としてではあるが領都に向かって進軍するケッセル軍は訝しげな空気に包まれていた。


 初戦は完勝。移動速度にこそ難があるものの、それでも敵地を踏み潰しながら行軍する彼らは意気揚々と歩を進めていた。だが、段々と様子がおかしいことに気づき始めていた。


 進む先進む先、その村々が建物はおろか畑すら焼き払われていた。それどころか井戸や川に毒が投げ込まれており、知らずに飲んだ兵士達が死亡、もしくは行動不能になる事態が続出。しかも罠の数々―――ジオグリフ直伝のブービートラップ―――が仕掛けられており、そこに仕込まれた糞便から多少の傷でも破傷風患者まで発生して離脱するものまでいる。


 自然、補給は後方から送られてくるものに頼らねばならないのだが、どうも輜重隊を狙って襲撃されているらしく、しかも略奪されるわけではなく単純に焼かれたり飲み水に毒を投げ入れられたりしていた。奪取したりするのならば追いかけて取り戻すのだが、嫌がらせに注力している為にこちらの反撃体制が整うとすぐさま撤収を図って捕捉できない。


 全てを失ってはいないが、明らかに物資が不足しており、何より魔物達の統率が揺らいでいる。躁獣玉によるコントロールは、心身ともに満たされている時が最も強い。つまり、空腹時の飢餓感が強くなってくると押さえつけるのに難儀するのだ。事実、暴れ出した魔物が兵士を食う事故が起き始めている。


 事態を重く見たケッセル軍の将軍が主であるディアド・ケッセルに進言する。


「ディアド様。ここは軍を止め、引き返すことも視野に入れてみては如何でしょう」

「む、ぅ………」


 陣幕でそれを聞いたディアドは思案する。確かに状況は良くはない。だが16年前、前当主である父をラドグリフとの一騎討ちによって失った彼にとって、今回の進軍は悲願なのだ。実際に初戦では完勝した。あの憎きトライアードの息の根を止めるまたとない機会である、と彼は考えていた。


 しかし、思ったよりも進軍速度は遅く、そして被害も大きくなってきているのは事実。国境線は大きく塗り替えることは出来たし、それを橋頭堡にして第二次侵攻に備えるということも―――。


「いけませんわ、ディアド様」

「カリーナ」


 そう考えた所で、隣に控えていた妙齢の女性が声を掛けた。黒のローブに身を包んだ、褐色の肌の女だ。デルガミリデ教団から派遣されてきている女神官で、躁獣玉や魔物の召喚などをケッセル領に齎した人物。


 数年前、ふらっと現れた彼女に対し当初は妖艶ながらも怪しいと警戒していたディアドであったが、彼女の実力やその知識に舌を巻き、今や軍師として重用するようになっていた。今回の侵攻の大部分もカリーナが手配している。


「お父様の仇を討つのでしょう?この程度の障害は事前に予測されていたではありませんか」

「それも、そうだな………」


 カリーナに耳元で囁かれ、ディアドは神妙に頷いた。


「よし、このまま進軍する。領都さえ押さえればこちらのものだ。奴らとて領土全てを焼き払うことは出来まい」


 進言が受け入れられず、ここから加速するであろう被害を予見した将軍は毒婦め、とカリーナを睨んだが、彼女はただ妖艶に微笑むだけであった。




 ●




 その笑みの中でカリーナは思う。


(ふふふ………決戦は近いわね。トライアードもケッセルも大勢死ぬわ。順調に魂も集まっているし、後の問題は龍脈の位置だけれど………)


 計画は順調だ。終戦状態でありながらも、一触即発のまま16年睨み合い、時には紛争していたトライアードとケッセルに目をつけ、汲みやすそうなケッセルに取り入った彼女は、今やディアドを完全に手中に収めていた。時に才能を見せ、時に閨で籠絡し、徐々に洗脳魔法でトライアードへの憎悪を増幅した。


 舞台は整いつつある。後は細かな調整だが。


(まぁ、それはバスラの方が上手くやるでしょう)


 同じ教団の神官が、その命を賭してやってくれるはずだ。


(後少し。後少しで世界は破滅するわ。あぁ、いよいよこのふざけた世界はデルガミリデ様に滅ぼされるの)


 カリーナは笑う。まるで、誕生日を指折り数える子供のように。

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三馬鹿が行く!~享楽的異世界転生記~ 86式中年 @86sikicyuunen

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