こころえらび

第1話  乃衣琉と愉快な仲間達 ―その1―

 いらないならば切って

 欲しいものだけを繋ぐ




        *




 我が家の朝は忙しい。

 高校生の妹が高校生の兄を起こさなければいけない程である。

 というか、それが全ての原因だ。


「──お兄ちゃん。秒で起きないと今後一度としてお兄ちゃんと呼ばないからね」

 バネのように跳ね起きているのを無視して戸をピシャリ。


 もう、何が悲しくてこのとしで兄の面倒を見なきゃならんのだ、と胸中に吐きながら玄関に走る。

 うちの廊下はやたらと長いが、その分思い切り突っ走れる。

「あら乃衣琉のえるさん、行ってらっしゃい」

「いい行ってきます!」

 穏やかな七々絵ななえさんの挨拶にも声だけを飛ばす。済みません毎度毎度……!

 と、靴を履く前に隅に停められた自転車に気が付いた。よっしゃラッキー! ついてるじゃないか!

葵依あおい兄さん、これ借りるね……!」

 既に出るところだった本来の持ち主に言いながら、はや走らせる体勢。

「ああ、良いけど……」

 バタバタと追いついてくる足音。

「あ、乃衣琉! 送ってくけど──」

 もう一つの声が背中に掛かる。が、私はそれを無視してペダルに足をのせた。

「兄貴の力は借りん!」

 というか、おまえの所為だ。

 言葉だけぶん投げて、合図のように漕ぎ出した。



 からりと晴れた空の下、無駄に消失してしまった時間を取り戻すべく自転車を走らせる私。

 が、実のところホームルーム迄1時間程の余裕がある。予鈴にも十分間に合う時間帯だ。

 それでも慌ただしく朝食を済ませ兄貴を叩き起こし(私は身支度は早い)、自転車があればラッキーと思う程にく理由は。

 ──私には、自分の教室クラスの前に寄る所がある。

 ほぼ毎朝のことだ。だから毎朝急いでいる。

 ……みんなもう集まってるだろうなぁ……。

 どうせ私が最後だろう。ちょっと自棄やけ気味に思いつつ長い坂を滑りおり、右折して後はひたすら直進する。

 自転車さえあれば30分の距離に、私の通う学校はある。


 ななもり高校。


 寮を離れた所に持ち、敷地もなかなかの広大さを得るものの、町にただ一つの高校だ。洋風かぶれの外観や内装など綺麗でお洒落と大半の生徒からは高評価だが、通う身だからこそ一つ言おう、この学校は変わっている。

 ともかく視界を埋める煉瓦張りの校舎に対し、私は回り込む。元々この道は正門の真裏に面するため、人通りもほとんどない。登校時間帯はこちらも開いているので、通過。──此処からの方が目的の場所に近い。

 駐輪場に停めてヘルメットと入れ換わりに鞄を引っ掴むと、そばの建物へ走る。

 校舎第3棟。

 目指すはその最上階──!

 階段を駆け上がり──私は一番奥のドアを開けた。勢いついていつもより派手な音。

 すると、あちこちの席に座っていた男女が振り向いた。

「おはよー、乃衣琉」

「ノエちゃんおはよ~」

「すごーい、新記録!」

 やっぱり揃っていた。息を整えてから、「……おはよう……」と挨拶しつつドアを閉める。

 いつも自分の席にしている場所へ向かいながら周りを見渡すと。おや、今日居るのは私を引いて8人か。少ない方だな。

「大変だねー。毎朝お兄さん起こし」

「……我ながらお人好しだと思うわ……」

 私から見て左の方、鞄を机の上に載せた彼女にそう返す。肩を少し越えた茶の髪の、各務かがみあかい、だ。

 彼女だけでなく、此処に集う全ての人間が知っている。私が兄の叩き起こし係であることを。……実に不愉快だ。

「だってあの人、本当に目覚ましアラームだけじゃ起きないんだもん。起こさないと朝練に遅れるってじゃあ自分で起きろよ! もう起きれないなら一睡もせず終日ひもすがら起きてろよ! ──って何度態度に出したか」

「でも駄目なんだね」

「……結果この現状ね。もう1年ぐらい文字通り叩き起こしてるんだけど、特に何の改善も無いという。こっちの苦労も知らず、反省すらない、ていうか当たり前だと思ってる!」

 つい力がこもり、机に叩きつけてしまう鞄。

「1年中、いやこれから一生涯眠り続ければ良いんだわ……!」

「あれ? それ二度と目の開かないやつだよね」

「──でもお前の兄貴ってたしか、高3だよな」

 ……お恥ずかしいことに。

 掛けられた声は私の1つ空けた後ろの席。僅かばかり長い髪をラフにまとめた、同じクラスの男子、飯島志傳いいじましでん

 御指摘の通り、私の兄・苑慈えんじは3年である。そう、歳上なのだ。2つも。兄本人はきっとその自覚が無い。あのクールぶってる性格はどうかしている。

 苑慈は私のすぐ上の兄貴で、実は他にも苑慈と同い年、または更に上の姉が3人もいるのだが、何故かこのしょうもない兄貴、私にばかり面倒事を押しつける。うちは女の方が我が強いかもしれないが、私に縋るのは間違っている。

 ちなみに紛らわしくて申し訳ないのだが、葵依兄さんは従兄だ。兄貴と同い年なのにまるで出来が違い、非常に落ち着いていてしっかりしている。故に私はこの人を本当の兄のように葵依兄さんと呼ぶ。兄貴はそう呼んだことがない。そもそも話しかける時は名前も呼ばなかったりする。でも、比較的歳が近しいとこんなものなのでは? 他校で生徒会長も遣る程の葵依兄さんだから合うのであって、

 苑慈兄さんて、……言わないわー。

「あれでバスケの副部長で、他の部の助っ人ひっきりなしとかモテるとか、ありえないよね。詐欺だ。皆騙されてる」

「うん、でも逆にそこら辺のギャップでモテてるんじゃない?」

 さらりと飛んで来た声に、何ですと? と目も丸く振り返る。背にかかる明るい茶髪の、嶋村空音しまむらくおん

「ギャップって……普段クールっぽいのに素がダメってこと? いやいや、全体的にダメなのよアレは。恋人としたら相手の方皆破滅しちゃう。わたしは分かる」

「アレって人扱いも怪しい言い方だな……」

 と、前方の席、普段から持ち歩いてるらしいタブレット端末(学校支給ではない、彼独自のものである)から目を離さず、僅か呆然さを含ませ言ったのは、白石斎しらいしいつき。そんな彼に、

「……妹に対して常日頃から私服で露出し過ぎなんじゃないかとかメールの返信すぐ返せとか言ってくる阿呆あほうの何処を私は兄と称えれば良いの」

「うわ知らん」

「わあ極まれりだねー」と空音。

「まあまあ、すぐ下の妹だから仲良くしたいんじゃないの?」

 のほほん、とした調子でが言った。……限度ってものがあると思うんだよね、どうして血の繋がりの中で葵依兄さんとこうも激しい雲泥の差なのだ。と、私は結局嘆いてしまう。

 ──ていうか、兄貴ネタでここまで引っ張れるのか! 兄貴の話はもういい!

 皆の紹介をしたいのに、章タイトルが偽りになってしまうではないか。おのれ兄貴。

「ところで、銀二ぎんじは居る?」

 ──この教室の後方。いつもの彼の席に、鞄だけがあるのだが当人の姿がない。ということは、此処に来てはいる筈。

「来てるよー、向こうの部屋に。ちょっと静めるとか何とか」

 空音の声を背に、教室の隅についたドアへと歩いていく。話からすると寝ているだろうか。いや状態が良ければ起きている。

 そこの鍵は元から壊れていて。いつもはみな勝手知ったる勢いでドアを開けるが、念の為軽くノックしてから、入室した。


 先の教室よりやや狭めの部屋。ドアのある壁と右手の窓以外は、大きな棚で埋まっている。生物図鑑や子供向け絵本など雑多な本が少々と、誰かが残した、あるいは置きっ放しのポスターや原稿用紙の束に段ボール箱と、特に規則性は無い物置具合。というか、物置だったのだろうか。中央部に、四角いテーブルと3つの椅子がある。

 のちの移動時に元に戻すのが面倒な為窓もカーテンも閉め切られ、空気は少し埃っぽい。が、その、左手の棚を背にする位置に、テーブルに伏せっている姿があった。

 寄って行きながら、小さく声を掛けてみる。

「起きてる? 銀二」

 すると直ぐ、頭が持ち上がった。但し先程まで寝てたというような気怠い動きで。

「……起きてる」

 表情も不機嫌そのものに眉が寄せられているが、これはとある理由に由来するものだ。最近、彼はこの調子。

 ……学校という場所柄ある程度の防音はきいていると思うのだけど、鞄を思い切り叩きつける音響かせて、すまぬ。

「お前が来る寸前まで眠りかけたぜ。なんつーか、寝たらもう駄目な気がする」

「あんた、眠りかけたら起こすよう言って保健室居たら? 先生注射針ぶっ刺そうとして目醒 さめるかもよ」

「物騒過ぎる提案を」

 低めの声は怒った風でなく、彼はゆっくり上体を起こしながら肩を竦めた。

 整った顔立ちに、切れ長の眼。首筋にかかる黒髪。同クラス、羽宮はみや銀二。

 私は隣に腰掛け一息吐  つくと、

「で……どう?」

 顔を向けて訊くと、彼は正面、窓の方を見たまま。

「……ああ、また見た」

 聞いて、私はテーブルに置かれたスケッチブックを手に取った。A5よりやや小さいサイズの、銀二のものだ。まあ、私が彼に渡したものでもあるけれど。

 頁を捲る私の傍ら、

「お前に言われた通り、ここ一週間見たもん全部描いてみたけど、全く同じだ。最初に浮かぶもんから最後に至る流れまで、毎回」

「それが寝た時必ず?」

「そう。なんつーか寝る度に1本の録画映像繰り返し見させられてるような。強制で "これを見ろ" っていう。何度も見て判ったんだけど、必ず最後の見るまで起きれねぇんだよ。頭じゃ内容分かってるから目覚ましたいんだけど、途中で目がひらけない。しようとしても無理。それがもう一週間以上ずっとだぜ、正直狂っちまう気がする。いや、もう狂ってるのかもしれねぇけど」

「それで、昨日も、か」

「ああ」

 頁の隅に書き込まれた日付のうち新しいもの──昨日の日付の頁で手を止める。


 ──銀二が奇妙な夢を見るようになったのは9日前。


 その日、ちょっとした昼寝と夜の眠りで全く同じ夢を見たのが始まりだった。

 内容も夢というか、何かのシーンの映像みたいなものらしいのだが、偶々だと、1日スルー。が、翌日の居眠りも睡眠も、引き続き同じ夢を見た。そう、それだけでは終わらなかったのだ。

 結果として今日に至るまで、同じ夢を見続けた。寸分違わぬ夢を、眠る度。

 こんなに同じ夢を見続けるのは何か意味があるんだろうかと、私はその3日目で、銀二にスケッチブックを渡した。記録してみてはどうかという訳である。

 彼に聞いたところによると、目を閉じただけでは何も見ず、決まって眠りに落ちた時に見るらしい。その夢が目が覚めても鮮明に残っている。まあ、それだけ見続ければ嫌でも残るだろうけれど。


 その場で起きてるかのように鮮明で、しかもカラフルだというそれは、『赤い糸』だ。


 誰かの掌の小指に、赤い糸が結ばれている。

 糸の端は何処かに伸びていて、先は見えない。

 背景は真っ黒。


 ……赤い糸のイメージだけで言わせて貰えば、あぁあの運命の人と結ばれてるっていう赤い糸ね、と、空音や達がロマンチックねーと口を揃えそうだが。

 そんな羨む空気じゃないらしい。


「鋏が出てきてさ、その手の奴がやってるんだか他の奴がやってんだか分からねぇけど、糸切っちまうんだよな。躊躇無く思いっ切り。音はねえけど。でその切れたところで目が覚める。てか目が開けれる」

 スケッチブックの頁には、彼の話をなぞる、黒の背景に掌、赤い糸、鋏。それを見つめながら、

「……通常だったら、誰かと結ばれてそうな赤い糸の夢なんて、特に小さい頃見たら嬉しいのかもしれないけれど、鋏で、しかも切るって不吉ね。それに背景黒とか。いい雰囲気まるで無いね」

「感じたことはねぇな。切ったのに関係あるのか、起きると頭が重い」

「うぅん……。で……これの心当たりは無い訳だよね」

「全く」

 と、きっぱり言い切る。

「一応皆にも訊いてみたけど、関連はなさそうだしねぇ……」

「あの日々『恋人が欲しい!』『恋人を寄越せ!』とか言ってる嶋村達だったら一番可能性がありそうなんだけどな……」

「うーん……」

 ……恋人を寄越せって何でしょうかね。

「でも、そう、悪い感じなんだよなぁ……」

 だからこそ、余計に何か意味がある気がしてくる。

 気になるなぁ……。

 首を捻りながら私は、改めてスケッチブックに目を落とし。

 つと、目線の高さまで持ち上げ、遠くから眺めるようにする。

「……それにしても、あんた綺麗な絵描くよねぇ」

 画材は水彩絵具だ(携帯出来る仕様。この部屋にあった)。正確に記録する為フルカラーなのだ。

 題材がああだが、水彩特有の滲みと透明さ、丁寧な筆運びで幻想的でもあると思う。

「美術部とか入ればよかったのに」

「部活はめんどくさい。……てか、それ最初も言ってただろ。ただの記録だぞ」

「ええ、何度も言っちゃ駄目なの? だって本当に凄いじゃん」

「題材がそれで凄いって言われてもな……」

 と、思い出して時計を見る。手入れされた事が全く無さそうだが何故か正常に動いている時計。私が壁に目を向けた動きを察して、銀二が立ち上がる。私もドアへと向かいがてら、スケッチブックを返す。

「そういえばお前、今日もギリギリに来ただろ」

「じゅ、授業には間に合ってるけど!? ……まあいつもの理由、てか原因でよ」

「あぁ、お前の兄貴シスコンだもんな」

「……わたしはそれに何て返せば良いの」


 既にドア越しに聞こえていた賑やかな音の中に、踏み込んだ。


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