最終話 私、絢子 あやこ クリスマスの奇跡

「おかえり~」

「ん、ただいま……あれ?」

「うふ、気付いちゃった~?」

「この匂い……」

「今日はね、絢子の大好きな唐揚げよ~」

「……ホント?」

「いっぱい作ってあるから~」


 出迎えた母。家は大好きな油の匂いでいっぱいだった。上の姉がエプロン姿で夕飯の準備をしている。二人の兄は、いつも通り野球ゲームをしている。ソファーに座って新聞を広げている父。そして後ろから、私の頭をそっと撫でる優しい手……


「純姉!?」

「お帰り~、絢!」

「どうして!?」

「ふふ~ん、驚いた?」

「ん。びっくり」

「驚く顔が見たかったから! 誕生日おめでとう」


 ニマッと笑う下の姉。なんか、ホント驚いた。少し前まで絶望の淵に立っていたのに。今はふわふわして、夢の中にいるみたい。もし夢なら醒めないで!


「始めましょうね~」

「うむ。準、淳、ゲームは終わりにしなさい」

「は~い」

「はーい」

「唐揚げ、いっぱいあるからね。もっと揚げるから、今ある分は片付けちゃって!」


 大皿の上に、大きな唐揚げが山のように乗っていた。こんないっぱいの唐揚げ、見た覚えがない。二人の兄がどれだけ食べたって、きっと残る。二個食べても許されるだろうか。私はウキウキ気分で腰掛けた。


「いただきま~す!」

「いただきまーす!」

「頂こう」

「召し上がれ~」


 ご飯がいつもより美味しい。大好物の唐揚げは、白飯をこんなにも素敵に彩る。街のイルミネーションなんかより、ずっと輝いて。


「絢子、今日は特別な日だ。先に三つでも四つでも、取っておきなさい」

「ん?」


 父が珍しいことを言う。聞き覚えのないセリフに混乱する。


「絢子、良い話だ。みんなには先に言ってあるんだが……」


 父のこんな表情、あんまり見た記憶がない。


「叔父の遺した借金が帳消しになった」

「……ん?」

「これからは、もっと良い暮らしができるぞ」


 どういう意味だろう。唐突すぎる宣言で、理解が追い付かない。


「難しい話をするなら、弟の借金について消費者金融の不法行為が認められた。法定以上の借金は、返済義務がなくなったんだ」

「ん?」

「まあ、分からなくていい。とにかく我が家の自由が保障されたんだ」

「そうなんだ」

「今日は絢子の誕生日と、新たな門出のお祝いだ。たくさん食べなさい」


 私は自分のご飯の上に乗った、大きな三個の唐揚げに視線を落とした。いつもみたいに、端っこの方を少し齧るのではなく、思いっきりかぶり付いて良いのかも知れない。これは夢じゃなく、現実なんだろうか?


「ごっそうさん」

「お粗末様~」


 そんなことを考えている間に、二人の兄はお代わりしたご飯と、山のようにあった唐揚げを平らげ、自分の部屋へ戻って行く。私のご飯の上には、まだ唐揚げが残ってんのに、上の姉が追加した揚げたての唐揚げが、キャベツの千切りと共に大皿に追加される。いつもなら、もうタクアンしか残ってないのに。


「私もね、アルバイトの必要がなくなったの!」

「ん?」

「というより、学校側の許可が出るか分からないんだよね」


 だから余った時間をどうしようか、なんて上の姉が話す。大学に行く気はないのかとの父の問いには、高校を出たら多分働く、という返答。下の姉も、大学進学は今のところ考えてないらしい。趣味と実益を兼ねたアルバイトができなくなったら困るな、と続ける。


 パーン!


 その時、後ろで大きな爆発音がした。心臓が止まるかと思った。鉄砲か何かの発砲!?


「さぷらーいず!」

「さぷら~いず!」


 二人の兄だった。大きくてカラフルな、三角形の物を手にしている。その先端から紅白の紐のようなものが飛び出して。振り向いた私の視界いっぱいに、金銀に輝く紙屑がひらひらと舞う。パニックに陥っている私に、上の兄が何かを差し出す。


「ん?」


 ワケも分からず、差し出された箱を受け取る。


「開けてみて」

「……?」


 脳が思考停止している。何も考えられない。言われるまま、受け取った肩幅ほどもある軽い箱を開ける。中身は新品の制服。来年私が入る予定の、兄とおんなじ中学校の。


「欲しいって言ってたろ?」


 少し照れたように俯く下の兄。


「新しい制服。お下がりじゃない新品だよ」

「これ、淳兄が?」

「違うよ、俺の貯金じゃ無理に決まってるだろ~」

「お金を出したのは、父さんだよ」


 ニコニコと、穏やかな表情を浮かべる父。こんな父を見るのはいつ以来だろう。母も。二人の姉も。二人の兄も。穏やかで優しい、温かい空気。


「良かったね、絢!」


 ニマッと笑って、今度はぐちゃぐちゃと私の髪の毛をかき混ぜる下の姉。こんな幸せが私にもあったんだって。こんな幸せでいいんだろうかって。


「うぇ……ありが……」

「泣いてないで、ちゃんとお礼ぐらい言いなさいよ!」

「うぇ~……」


 お尻を叩く上の姉。でも何も言葉にならない。有難うって言いたかったのに、何も言えない。とめどなく溢れる涙を拭うのも忘れて。強く抱き締めすぎて形が変わった箱を胸に。家族に囲まれた私は、ただその場に立ち尽くした。



   終わり

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【朗読あり】のんきでどんくさい私 武藤勇城 @k-d-k-w-yoro

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