第3話 天使マリア


 近くの木陰から、一人の女性が現れる。

 ユウキは目を丸くした。少年にとって、初めて目にするような綺麗な人だったからだ。


 すらりと高い背に、金色の長い髪。びっくりするほど小さな顔と、おとぎ話の挿絵に出てくるような整った目鼻立ち。全身を包む真っ白なローブから、母性が溢れ出ている。

 なによりユウキの目を引いたのは、彼女の背中から生えた一対の大きな翼。


「女神様だ……」

『いいえ。わたくしは神ではありません。天使です』


 天使がユウキの前までやってくる。ユウキの身長はだいたい140センチくらい。天使の顔を、彼女の胸元から見上げるような形になった。


『私の名前はマリア。天使マリアといいます。こうしてお話しするのは初めてですね。ユウキ』

「女神様――じゃなかった、天使様は僕の名前を知っているの?」

『ええ。この場所にあなたを導いたのは、私ですから』


 天使マリアがにっこりと微笑む。ユウキの中にある天使のイメージそのままだった。


『あなたを見ていましたよ、ずっと。つらかったですね。でも、もう大丈夫。ここはあなたにとっての楽園となるでしょう』

「楽園」


 ユウキはつぶやいた。

 微笑みのまま、天使マリアは小首を傾げる。

 するとユウキは天使の手を取り、両手で握りしめた。純粋無垢な輝きを放つ瞳で、彼は言う。


「天使様。ありがとう。けど、僕だけを特別扱いはしないで欲しいんだ。僕はこうして生きているだけで、じゅうぶん幸せだから」

『……おぶっふ!』

「天使様?」

『なんでもありません。ええ、なんでもありませんよ』


 微妙に視線を逸らしながら、天使マリアは言った。今度はユウキが小首を傾げる番だった。


「天使様。顔が少し赤いよ。大丈夫ですか? 病気はつらいよ。少し休も?」

『……~~~ッ!!』

「あの、天使様?」

『大丈夫。大丈夫です。30秒で落ち着きますから。すー、はー』

「……?」


 やはり状況が飲み込めず、心配そうにユウキは天使を見上げ続ける。

 幼いながらも自分より他人を気遣う健気さは、ユウキが身につけた無自覚な長所だった。


 しばらくして気持ちを切り替えた天使マリアは、近くの木陰にユウキを導いた。柔らかな草地の上に、向かい合って座る。


『さて、ユウキ。私はあなたに、いくつか伝えなければいけないことがあります。この世界と、あなた自身のことについてです』

「はい」

『……素直っ!』


 口元を押さえ、「うぅっ」とつぶやく天使。本当に大丈夫なのだろうかとユウキは思った。純粋な、心からの心配である。

 時々、ユウキにはよく意味のわからないリアクションを挟みながら、天使マリアは説明を始めた。


 ――この世界の名は【レフセロス】。

 日本とはまったく別の異世界だという。

 ユウキは病気のため10歳で亡くなったのち、健康な身体を取り戻した状態でこの世界に『転生』を果たした。

 不憫な一生を終えたユウキが転生することは、あらかじめ決まっていたらしい。

 この世には様々な異世界があって、そのうちのひとつがここ――レフセロスであり、ユウキの転生先として選ばれた世界だった。


 問題はここからである。


『身内の恥をさらすようでとても申し訳ないのですが……私の上司――ええと、本物の神様があなたにひどいことをしてしまったのです』

「ひどいこと?」

『伝えるか迷ったのですが……あなたの今後を考えると、伝えておくべきと判断しました。本来はこの仕事もクソ上司――管理神がやるべきことなのですまったくあの怠け者め』

「天使様?」


 マリアは咳払いした。

 そして、じっとユウキの顔を見つめる。


『よく聞いてください、ユウキ。今、あなたの心の中にはが眠っています。あなたと同じように、別の世界から転生した善なる魂たち。本来なら、ひとりひとりがきちんと身体を得て、それぞれの道を進むはずだった者たちです』

「……えっと」

『クソじょ――この世界の管理神が、転生する魂の管理を杜撰ずさんに行った結果、レフセロスに転生できる人数をオーバーしてしまった。そしてあろうことか、数あわせのためにユウキだけを生き返らせ、残りの転生者の魂をあなたの心の中にまとめて押しつけてしまったのです』


 天使マリアは、ユウキの胸にその細い手を置いた。


『あなたは世にも珍しい複数の魂を持つ者――いわば、ミックス転生者としてこの地に降り立ったのです。そんな特別な存在であるあなたを、私は大事に護りたい。だからあなたをここへ呼んだのです』


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