第34話 兄貴

「て、天国って?」

「もう5年になるかなぁ、兄貴が亡くなってから」


「え…、ええー?」


 絵梨も腰が抜けるほどに驚く。思わずフラフラとベンチに座り込む。三咲が健気に反応した。


「あの、城先生は亡くなっているんですか? 髪が真っ白な城先生は」

「はい、そうですよ」

「えー? あたし、去年、城先生と話したんです。この子も!」

「おお? それはまたけったいな話やねぇ」


 城先生の弟なる老人はのんびりと答える。


「それって、あの、ゆ、ユーレイってことですかぁ?」

「うーん」


 三咲もフラフラとベンチに座り込んだ。老人もトコトコとやって来た。


「まあ、ユーレイとは違うと思うけど、半分はそうなんかなあ」


 二人の女子高生は食い入るように老人を見つめた。


「ワシもな、去年不思議なことがありましてなぁ」

「な、何ですか? じょ、城先生が蘇った…とか?」

「いやいや、そんな怪奇な話やありまへん。時々ワシのな、記憶が消えとったんよ」


 三咲と絵梨は顔を見合わせた。記憶が消える?


「夜に時々散歩に出かけとったんやけどね、気ぃついたらどこをどう歩いて来たんか判らん時があってな、これは痴呆症ちゃうかなって自分でも心配なんやけど、ちゃんと家に帰って来てるし、手が血塗まみれとかないから、まあええかと思っとるんよ。ここの公園でもな、掃除しとった筈やのに気がついたら海高の中を歩いとったりしてな、お詫びにちょっと掃き掃除したりしてな」


 老人は笑い、二人の高校生は目が丸くなった。絵梨が慌てて、


「あの、私たち、このベンチの辺りと、生田の私の家の喫茶店で城先生と会ってるんです。城先生は桜の接ぎ木をしてくれたり、絵を描いてくれたり、お茶も飲んで、普通にお話もしていました。それって…」

「ああ、もしかしたら、それはワシかも知れんなぁ。ワシも生田に住んどるし、海沿いの道は散歩コースやから、その時だけ兄貴がワシの身体を借りとったとか、そう言うことかな。ちょっとすまんけど、ワシも座らせてもろうてええやろか」

「あっ! ごめんなさい」


 二人は慌ててベンチの真ん中を空ける。老人は『よっこらしょ』っと座った。


「それをユーレイと呼ぶんかどうかは難しいところやな。兄貴も面倒くさいことしよったなぁ」


 老人は他人事ひとごとのように呑気に話す。三咲が付け加えた。


「でも、その時に見た城先生って、やっぱり頭は白髪でした。でも、あの、弟さんはグレイ…ですよね」


 老人はにっこり笑って髪を手でガサガサと触る。 あれ?


「ほら、こうしたら白髪にも見えるやろ。普段は白いとこ、見えんように一所懸命にかすんやけど、時々風でこんなふうになってしもて、がっかりするんよ。まぁ、ジジイの髪の色なんか、誰も興味持てへんやろうけどな」

「すごい…。二面相みたい…」

「でもさ、夜ならこれで充分白髪に見えるよね」


 老人を挟んで二人は会話する。謎は解けつつある…。しかし、絵梨は言った。


「城先生、ウチの桜に接ぎ木してくれたんです。道具もちゃんと持ってて」

「ああ、道具って、こういう奴か?」


 老人は、絵梨に見覚えのあるウェストポーチからテープやナイフを取り出した。


「あ。これ…」

「ワシは公園の植木の世話もしとるからな、いつも持っとるんよ。そうか、兄貴はこれも勝手に使いよったんか」


 死者に対する愚痴には聞こえない。三咲も言った。


「城先生は、絵も、絵も上手でした!」

「ワシな、こう見えても芸大出てるんよ。絵は大好きやな。ワシが知らん間に描いとったんやったら、それは兄貴への貸しやな。返して貰えるとは思えんけどなぁ」


 老人は笑い、三咲は大きなため息をつく。記憶喪失の間に、城先生が乗り移ったとすると、不思議な現象は何となく説明出来るような気がした。絵梨も思案していたが、最後に切り出す。


「城先生が接ぎ木してくれた桜の花が、今日咲いたんですけど、白いお花なんです。元々はピンクだったから、なんで白くなったんだろうって。私はてっきり城先生の髪の色が移っちゃったんじゃないかって思ったんですけど」


 老人は絵梨を向いて微笑む。孫娘がなにか可愛いことを言っている…、のていだ。


「桜の花の色はな、樹齢や気温で変わって来るんよ。それに普通はな、咲き始めは白うて段々とピンクになっていくんや。その接ぎ木の花も、咲いていくごとにピンクになって行くんちゃうかなぁ。せやけど、兄貴がワシの身体を断りもなく勝手に使つこうて接ぎ木したとしたら、それだけやないかもなぁ」


 老人はちらっと背後の大きな桜の木を振り返って続けた。


「後ろの大きな桜の木、あるやろ」


 二人も振り返る。


「あれはな、兄貴が命懸けで守った木なんや」

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