第14話 美由のリスタート

 撮影当日、沙奈江のダメ押しは野分けのように吹き荒れた。何度も撮り直しを要求した。

「初めてじゃないでしょ、ほら、肩の力を抜くのよ。しっかりしてよ、思い出してよ!」 

 髪をいじられて、うんざり気味の俺の前に三千円が突然現れた。

「お兄さんが普通の男だからこの前は売れたんでしょ、ママは間違ってるよ。寝ぐせが残った頭でシャツを着る方がとウケると思うけどなあ」

「そう言えばそうね、アンもたまにはいいことを言うわ。じゃあ、そうしよう。ハイ、スタート」

 きれいに整えられた俺の頭をモジャモジャにして、

「お兄さん、寝起きのボーっとした感じだよ」

 三千円はにっこり笑った。なんだ、この展開は? 俺は予期せぬ飛び入りに混乱した。


「次は寒さに凍えた感じでね、その表情、いいわ、それで行こう!」

 上半身を裸にされて黒のブリーフだけの俺は、シャワールームで頭から水をぶっかけられた。いい加減にしろ! 俺はオモチャじゃない! ムカついた。

「その怒った顔がいい! そのままベッドにバタンよ、わかった?」

 濡れたままベッドにうつ伏せに倒れこんだ俺の背中はコートで覆われた。

「ゆっくり立ち上がってこっちへ歩いて来て。そう、OKよ、休憩にする?」

「休憩より、撮影はまだ続くのでしょうか?」

「あと30分ぐらいだから、続けられる?」

「やりましょう、はやくエンドにしたいです」


 幾度も服をチェンジしたが、30分で解放されるなら我慢するしかない。俺は指示されたように動き、沙奈江はタブレットで確認した。

「はい、オーラスよ。カメラを背にしてゆっくり歩いて、振り返る。そこで終わり! ありがとう、これは絶対ヒットするわ!」

 ふーっ、フザケンナ! 体感温度を勝手にイジられた俺は不機嫌に床に座り込んだ。

「お兄さん、お茶だよ」

 三千円はペットボトルを置くと、撮影の録画モニタを見つめ続けた。


 部屋に戻りスーツに替えて職場に急ぐと、すでに客が待っていた。休んだ詫びを告げて、いつものようにホスト稼業を務めた。客の由美子と食事をして車に乗せて、やっと1日が終わった。

 飛び入りの乱入に驚いた俺は少し酔ったようだ。明日はジムで体を起こして美容サロンに寄るか。同伴は誰だ? スケジュール表を確認した。こんな俺の毎日はいつまで回り続けるのだろうか? そこそこ客が付いてくれるから毎日が回っている。考えてみれば、資格や技術がない俺にとってはホストはありがたい仕事だ。時々マジにそう思う。


 とろとろ眠ったところで起こされた。美由か、何かあったか? 慌てて携帯を探り寄せると、ナンダ、三千円だった。

「お兄さん、起きてる? いいかなあ?」

「いいわけないだろう。せっかく寝たのに起こすな!」

「やだぁ、まだ怒ってる」

「当然だろ! 好き勝手にいじくられて、怒らないはずがないだろう。大切なお客さまだから我慢したんだが、もうこりごりだ」

「あのさ、機嫌直して聞いてよ。継母がすごく喜んでたよ、大成功だって、絶対売れるって。それでね、また頼みたいからお兄さんを捕まえなさいってさ。あの男は信用できるから交際しなさいって。ねぇ、聞いてる?」

「ふざけるなよ。とにかく寝かしてくれよ、切るぞ」

 のうのうと何を言うか、この子は。これ以上話していると、昔の三千円を思い出して余計なことを言いそうだ。やめた、やめた。


 2、3日経って親父の電話を受けた。

「お世話になった弁護士先生に、手紙を添えて現金書留でわずかばかりの謝礼を送ったが、5万円だけ受け取ると手紙が入って、残りは送り返して来た。これでいいのか?」

「いくら送ったんだ?」

「相場がわからんから50万入れた」

「先生がいいって言うならいいだろう。美由はどうしてる?」

「どこかの幼稚園に勤めるらしいが迷っているようだ」


 数日後、元気かと美由に携帯すると、

「元気だよ。兄ちゃんのネット見たよ、本物のモデルさんに見えてすごく素敵だった。でも兄ちゃんはカンシャク起こしてた、口の角がちょっと上がってたもん。めったに怒らない兄ちゃんがブチキレ寸前だってわかった。でもそれがカッコ良く見えた。兄ちゃんが激オコになるほど撮影って大変なんだってよくわかったよ。あのさ、友だちがカレシのプレゼントに買ってくれたよ。

 私のこと心配してるんでしょ、東京で働こうかなって思ったこともあったけど、今は考え中なんだ。どうするか決めたら教えるね」

 俺に喋らせずに次から次に喋りまくる美由に、この調子だと大丈夫だ、ほっとした。


 ビルの隙間を北風が吹き抜け、慌ただしく今年もクリスマスイブが来た。恒例のようにテーブルにシャンパンタワーが立ち並び、シャンパン・コールが飛び交った。おばさんたちを引き連れて来店した沙奈江は、

「大ヒットよ、龍志くんありがとう。お陰さまで忙しくて目が回りそうなの。客のリクエストでカタログを作ったのよ、ちょっと見てちょうだい。けっこうSサイズが売れるから不思議に思ったら謎が解けたわ。龍志くんが着たセーターは女性たちも買ってるの。新しいニーズを発見したわ」

 沙奈江は自慢げにヘルプ・ホストの歓声に包まれて、カタログを開いた。

 自分の画像なんて見たくない。ふとヒロキさんのテーブルに視線を移すと、そこは輝き過ぎて目がくらむようなシャンパンタワーの城が建っていた。さすがヒロキさんだと感心していると、珍しくヒロキさんがショーに加わった。若いホストに混じってダンスを披露するようだ。へぇ、あのヒロキさんが? 俺は驚いた。密かに練習したのだろう、体がしっかり切れていた。やがてクリスマス気分は最高潮になり、そして燃え尽きた。


 明日が大晦日という朝、美由は年明けから長岡で幼稚園の先生になると告げてきた。やはり、あいつは家を出ても新潟に残るのか、両親が心配なのだろう。ごめんな、こんな兄ちゃんで。向こうから戻された婚礼家具をネットオークションで売り飛ばしたと笑い、その金で新しい住まいの権利金と敷金が払えたと喜んでいた。お前も俺と同じでリセットするのか、頑張れよ!

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