なくてはならない大きな存在

 授業を終え、休憩時間となった。千早はぼんやりと窓の外を見る。

 昨日は大変だった。千早が学校から帰宅するといろはが傍から離れなくなり、伊織と野弧やこが冷やかしてきた。何があったのかと訊いても、伊織は「運命ってあるんだね」と言い、野弧は「特別ってええなあ」と言い、要領を得ない。

 要するに、何があったのか。トイレ、風呂など、どこまでもどこまでも付き纏うため、祖父母から叱られてたいろは。それでも語ろうとはせず、わからないまま一日を終えてしまった。

 もう一つ、驚くことがあった。伊織と野弧は気が合うのか、よく一緒に話すようになっていたのだ。仲間にしたつもりはないが、伊織も誰かと話すことで気が紛れているようで、野弧のしゃべりがちょうどいいようだ。


 ──悪い人じゃなさそうなんだよね。


 八岐大蛇の命令で来た、狐、関西弁。ということもあり、どうしても疑われがちな部分はあるが、不思議と嫌いにはなれない。信用するには時間がかかるが、いろはと祖父母がいれば大丈夫だろう。

 ふあ、と欠伸をし、机に顔を伏せる。昨日はいろいろあった、と思い出しながら目を瞑った。

 傍から離れないいろはは、いつもの如く千早の部屋へやってきて布団へと潜り込んだ。どうやら与えられた部屋を野弧に明け渡したらしいのだが、その際に「千早の部屋があるから」と言っていたらしい。あるから、ではなく勝手に入ってきて占領しているだけなのだが。

 文句を言いたいところだが、いろはの言うことを真に受けた祖父母が公認してしまったため言うことはできず。結局、これまで通り二人並んで眠った。

 そのおかげ、とまでは言わないが、いろはと話しやすくなった気がする。

 訊きたいことを話すだけではなく、他愛ないことも話せるようになった。どんな漫画が流行りなのか、いろはは今日どんな少女漫画を読んだか。傍を離れない理由を訊くと、口を真一文字に結んでしまい、話してはくれなかったが。


 思わず笑ってしまいそうになる。いろはがまだ柄だけだった頃は、弱音を吐くことしかしなかったのにこうも話す内容が変わるとは。

 ゆっくりと目を開け、ふう、と息を吐き出す。

 伊吹が言っていた「相応しいとき」については、いろはもわからないと首を横に振っていた。何かを企んでいることに間違いはないだろうが、そこに答えを出せるほど情報を持ち得ていない。いろはからも伊織の護衛について話があったため、今できることは彼女を守ることだろう。

 そして、野弧と同じようにいろはも化けているのかどうか。千早自身は、いろはが化けているようには思えなかったのだが、それは当たっていたようだ。いろはが言っていた「天羽々斬のもう一つの姿」はしっくりとくるものがある。

 授業開始のチャイムが鳴る。千早は気怠そうに身体を起こし、教科書とノートを取り出した。

 帰ればまた、いつもの日常。そこに伊織がいて、今は野弧がいる。

 随分と賑やかになった。くすりと小さな笑みを溢すと、千早は授業に集中した。



 * * *



「千早ちゃん!」


 授業を終え、帰宅しようと校門を出たところで声をかけられた。びくりと肩を震わせながら振り向くと、そこには伊織と野弧が立っていた。野弧は狐の耳も尻尾も、どうやってかはわからないが隠している。


「伊織ちゃん!? 野弧さんも、どうして!?」

「伊織がなあ、どおおおおおしても迎えに行きたいって駄々こねよって」

「はあ? 千早チャンにも訊いてみたいなあ、とか言ってたの野弧さんじゃん!」


 似てない声真似すな、と野弧からチョップを頭に下ろされた伊織は、くぐもった声を出しながらしゃがみ込む。それにしてもこの二人、会ってまだそこまで日は経っていないが本当に仲が良い。伊織には野弧が来た目的は話していないため、知ればときっと怒り狂い、悲しむだろうが。


「ほな、帰りながら話そか。アホいろはには黙って出てきたから、遅なったら毛皮にされそうやねん」

「いいんじゃないですか? 冬はまだまだ先ですけど、狐の毛皮ってあったかそう」

「伊織、ほんまお前はやかましい奴やな」


 帰りながらと言いつつ一歩も動かないため、千早が先に歩き出した。慌てて二人が後をついてきて、三人横並びで歩く。


「千早ちゃん、早速で悪いんだけどさ……いろはさんって、どんな人なの?」


 どんな、と言われ、千早は腕を組み、首を傾げて空を見る。夕方になるにはまだ遠く感じるほど、空は明るい。


「よく、見てくれているなあって思うよ。わたし、いろはさんがまだ柄だった頃からたくさん話しかけてて。主に弱音だけど……だから、気にかけてくれてるのかなって」

「ほーん。それでそれで?」

「ええっと、そうですね。最初は、違和感があったんですけど、先程言ったように、ずっといろはさんには話しかけていたから。なんだろう、傍にいると安心感というか、落ち着くんですよね」


 一緒に寝ることに若干の羞恥心はあるものの、あのぬくもりが嬉しかったりもする。

 なんにせよ、千早の世界にいろはがいないというのはもう考えられない。

 それほどにいろはの存在は大きく、千早の中でなくてはならないものになっていた。

 ふと伊織と野弧を見ると、二人は目を楽しそうに細め、口角を上げている。ニヤニヤ、という表現がよく似合う顔だ。


「いいなあ、こういうのって憧れちゃうなあ」

「わかるわあ。ボクなんか存在があれやし、そういうのから程遠いもんなあ」

「っていうか、そもそも野弧さん無理でしょ。だって、一人でぺらぺらぺらぺらずうっと喋ってそうだもん」


 またしても野弧からチョップを食らい、伊織はその場にしゃがみ込む。二人のやりとりがなんだかおかしくて、千早も肩を揺らして笑った。


「なあ、いろはって元々あった名前?」

「いえ、人の姿をしてるときの名前ということで、僭越ながらわたしがつけさせてもらいました」

「ボクにもつけてほしいなあ。野弧って名称でボクの名前ってわけじゃないからさ」


 すると、伊織が勢いよく立ち上がり、腕を組み何かを考え始めた。


「玉藻ってどうですか?」

「ちょ、それはなんぼなんでも畏れ多いわ!」

「いいじゃないですか、将来そうなりたいという願いを込めて。どうです?」


 玉藻とは、おそらく玉藻の前から取っている。野弧がいまいちどのような存在かもわかっていないが、この反応からすると玉藻の前は非常に上位の存在なのだろう。

 畏れ多いとは言っているが、玉藻という名前は悪くないような気がする。千早も伊織の言葉を後押ししてみた。


「わたしも伊織ちゃんに賛成です。将来それくらいの存在になりたい……という願いを込めて、玉藻さん。どうですか?」

「……千早チャンに言われたから敵わんなあ」


 じゃあ玉藻で、と照れくさそうに笑う野弧──あらため、玉藻。

 そういえば、いろはも名前を告げたとき嬉しそうにしていた。そのときのことは、今でもはっきりと覚えている。


「ありがと、千早チャン。……ついでに、伊織も」

「なんであたしがついでなんですか!? 考えたのあたしなんですけど!?」


 二人の言い合いに笑いながら、千早は家路につく。

 その後、いろはからしっかりとお叱りを受けた三人だった。

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