その名は、天羽々斬

 暗い、暗い、闇の中。

 どれだけ歩いても、闇から抜けることができない。

 ここから早く抜け出したいのに、闇はどこまでも拡がっている。

 何故ここにいるのか、いつからここにいるのか、何もわからない。気が付けばここにいて、闇以外何もないはずなのに

 千早は自身の手のひらを見た。先程よりも形が見えなくなってしまっている。

 このままでは、闇に呑み込まれてしまう。

 嫌だ。呑み込まれたくない。そうは思っても、不安が千早の心を弱らせていく。

 いっそのこと楽にしてほしいと、願ってしまうほどに。


「心を強く持て」


 それは、男性の声。

 聞き覚えがない。誰だろうか。千早が顔を上げると、目の前に誰かが立っていた。

 その人物の後ろには白い光が輝いていて、顔が見えない。


「お前は一人ではない」


 気が付けば、千早の右手にはが握られていた。

 何故、ここにあるのか。

 それに、これはどうなっているのだろうか。刀剣が、いや、柄の部分があたたかい。まるで、一人ではないと伝えてくれているかのようだ。

 このあたたかさが、千早の心を落ち着かせていく。不安を取り除いていく。


「闇は常にお前を見ている。弱ったお前を呑み込むために」


 だが、と男性は千早が持つ刀を指した。


「忘れるな。お前は一人ではない」


 光が強くなり、千早は眩しさから左腕で両目を庇った。

 目の前にいた男性の気配が薄れていくのがわかる。

 まだ、助けてもらった礼を言えていない。そもそも、声がうまく出ないのだ。千早は内心慌てるが、ふと男性が笑った気がした。


「礼などよい。。さあ、戻るがいい。お前を待つ者の元へ」


 では、この男性は──。

 千早の意識が薄れていく。現実に戻ろうとしているのかもしれない。

 また、どこかで会えるだろうか。そのときこそ、礼を言わせてほしい。

 千早はそっと目を瞑る。

 刀剣を持つ右手があたたかい。このぬくもりが、闇に呑まれそうな千早を救ってくれた。

 ありがたい。一体、誰だろうか。祖父だろうか、祖母だろうか。はたまたこの刀剣自身だろうか。とにかく、現実に戻ったら礼を言おう。

 そんなことを思いながら、千早は意識を手放した。



 * * *



 千早が目を開けると、そこには見慣れたいつもの天井があった。

 先程の出来事はやはり夢だったようだ。それもそうだ、あまりにも不思議すぎた。

 胸を撫で下ろすかのように息を吐き出し、千早は布団から身体を起こそうとするが、力が入らない。まるで力という力が奪われてしまったかのようだ。

 それよりも、と千早は右手に意識をやった。

 誰かに握られている、気がする。


「ようやく気が付いたか」


 今度は聞き覚えのある男性の声に、千早は視線だけを右下に動かす。

 そこには、見覚えのない、初めて見る男性がいた。

 口角を上げ、こちらを見る男性。その目は優しくあたたかい。しかし、誰なのか。

 二次元でしか見たことがないような銀髪は無造作にスタイリングされ、アーモンドアイはアメジストのような紫色の瞳をしている。また、透き通るような白い肌とおそろしく整った顔立ちから、本当に同じ生き物なのかと思ってしまうほど。

 このような知り合いはいない。いれば、絶対に忘れない。忘れられない。じっと見つめる千早だが、男性は特に気にせず「そうだ」と声を出した。


「千早が気が付いたことをおきなおうなに報せてやらねば」


 翁と嫗。古典の授業で習うような呼び方だが、おそらく祖父と祖母のことだろう。千早の右手を握ったまま、男性は「おーい」と二人を呼ぶ。

 それにしてもこの男性。初めて会うはずなのに声には聞き覚えがある。どこで聞いた声だったか。

 千早がそんなことを考えている間に、廊下側が騒がしくなった。男性の声に反応した二人がここにやってこようとしているのだろう。ドタドタと複数の走るような足音が近付いてきて、襖が開かれた。


「千早!」

「ああ、気が付いたんだね。よかった、本当によかったよ」

「……おじいちゃん、おばあちゃん」


 二人の姿と声に、思わず涙が零れそうになる。

 祖父母は部屋の中へ入り、千早の傍に腰を下ろした。二人とも涙が滲んでおり、千早の胸が締め付けられる。起き上がって二人の元へ飛び込めないのが悲しい。


「おじいちゃん、その怪我……」

「掠り傷だ。ばあさんが大袈裟すぎるんだ」


 祖父は左頬にガーゼ、額と両腕に包帯が巻かれていて痛々しい姿をしている。あのときにやはり怪我を、と言いかけたときだ。

 復活してしまった八岐大蛇や、千早と共にいた伊吹や動画を撮りに来た彼らのことを思い出した。

 だいたい、あのあとどうなったのか。謎の声が聞こえ、柄を握った。力を込めろと言われ、よくわからないまま強く握ると刀身が現れ、八岐大蛇に向かって振り下ろした。

 千早の記憶は、そこまでとなっている。

 伊吹は無事なのか。彼らはどうなったのか。訊いてもいいのかと言い淀んでいると、千早の手を握っている男性が「千早」と名を呼んだ。

 やはり、どこかで聞いたことがある声だ。答えを知っているはずなのに出てこないというのは、なんともどかしいことか。


「千早が力を使い果たして倒れたあと、翁達が駆けつけてくれたのだ。倒れていた男も回収済みだ」


 無事だぞ、との言葉に、千早はほっと胸を撫で下ろす。


「ただ、闇に喰われた者達はあの化け物の養分となった。千早もその目で見ただろう、化け物……八岐大蛇が姿を取り戻したところを」


 つまり、闇が彼らを喰らって養分を得たことで、八岐大蛇となった。

 それはもう、助からないということだ。

 あまりいい感情は抱いていなかった。とは言え、犠牲になったことに何も感じないことはない。助けられなかったことが悔しいとさえ思う。

 唇を噛んでると、男性が少し驚いた声を出した。


「助けられなかったことを悔やんでいるのか。あれはあの者達自らが招いた災厄だが……優しいのだな、千早は」

「そういうわけでは……って、それよりも、あの、あなたは誰ですか?」

「こ、これ千早! 何という口の利き方をしてるんだ!」

「え? な、何、おじいちゃん」


 祖父の慌てように、今度は千早が慌てる。一体どうしたと言うのか。


「はははっ! いいではないか、翁。千早が眠っている間の出来事なのだ。知らなくて当然だ」

「し、しかしですな」

「千早、私の声に聞き覚えはないか? あの場にいて、共に八岐大蛇に立ち向かった仲なのだが」


 あの場にいたのは、伊吹、動画を撮りに来ていた者達だ。今思い当たる者達以外に誰かいただろうか。

 そういえば、理由はわからないが柄が喋っていた。


 ──あの場にいて、共に八岐大蛇に立ち向かった仲……?


 もしも、身体が動かせていたら。きっと飛び起きていただろう。

 確かに、このような声だった気がする。

 いや、もうそれにしか聞こえなくなった。


「も、もしかして、あの柄!? え!? 柄でしたよ、ね!? 人!?」

「そうだ、思い出してくれたか」

「千早! 天羽々斬あめのはばきり様に失礼だぞ!」

「天羽々斬って日本神話に出てくる……?」


 男性は握っている千早の右手を持ち上げ、指を絡めた。


「そうだ、私は天羽々斬と呼ばれている剣。スサノオの剣であったが、此度は千早の剣だ」


 よろしく頼む、と微笑む男性──天羽々斬に、千早は再び意識を失った。

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