八岐大蛇

 遥か昔、八岐大蛇やまたのおろちと呼ばれる化け物がいた。

 胴体は一つだが、頭と尾をそれぞれ八つ持つ巨大な化け物。その大きさは八つの丘、八つの谷にまたがるほど。目はほおずきのように赤く光り、背中には苔や木が生え、腹は血で爛れている。

 そんな化け物は年に一度、この地に住む老夫婦の娘を「生け贄」と称して一人攫い、食べていた。老夫婦には八人の娘がいたが、毎年一人ずつ減り今では一人。残った一人が化け物に食べられる日は、無情にも刻々と近付いていた。

 老夫婦は一人になってしまった娘を囲み、涙を流す日々。最後の娘もあの化け物に食い殺されてしまうのかと。悲しくて、悲しくて、その涙が止まることはなかった。


 ある日、一人の男がやってきた。

 男は涙する老夫婦を見つけ、泣いている理由を尋ねる。老夫婦は男にすべてを話した。この地には恐ろしい風貌をした巨大な化け物がいること。その化け物が毎年自分達の娘を一人ずつ食べていること。

 そして、もうすぐ最後の娘が食べられるということを。


 話を聞いた男はしばしの間考え込むと、老夫婦に向けこう提案した。娘と結婚してもいいのなら、化け物を退治しよう、と。

 その提案に驚きながらも、老夫婦は承諾した。

 了承を得た男は化け物退治に向けて準備を進める。まずは、娘の身を守るために彼女の姿を爪櫛つまぐしに変化させると、自身の髪にさした。老夫婦にはいくつか指示を出した。

 家の周りに垣根を張り巡らせ、その垣根に八つの門を作ること。門ごとに桟敷を作り、そこに何度も醸造した強い酒が入った樽を置いておくこと。


 準備を整え待ち構えていると、身体が震えるような地響きを立てながら化け物がやってきた。

 男の狙いどおり、化け物は八つの門に置いてあった酒のにおいに惹かれ、それぞれ頭を樽に突っ込んで飲み始める。ごくり、ごくりと辺りに響くほどの豪快な音を出しながら飲み続け、やがて酒が入っていた樽は空になった。

 化け物はふらふらと頭を揺らすと、八つの頭を力無く地面に叩き付ける。少しして聞こえてきたのは、耳を塞ぎたくなるようないびき。


 男は化け物に近付き、持っていた刀を振りかざした。化け物の身体を切り刻もうとしたのだ。

 しかし、その身体はいくら切り刻んでも肉片同士が引き合い、元の形を取り戻そうとする。

 そこで、男は化け物を封印することにした。それには心の臓が必要になるため、化け物が酔いと眠りから醒めないうちに探し出さなければならない。

 頭から切り刻みながら尾へと進んでいく。切り刻んだところから形を取り戻していくが、そちらには目もくれない。ひたすら切り刻み、そこになければ尾に向けて進んだ。

 そうしていくうちに、禍々しい力を帯びた臓器を見つけた。

 それこそが、心の臓。男は刀を振り下ろしてみるものの、身体を切り刻むことに力を使いすぎたのか、びくともしない。

 では、と残りの力を振り絞り、心の臓を掴み引き抜いた。途端に化け物の身体が脆くなり、砂のように崩れ出す。心の臓はと言うと、身体から離れているというのに力強い鼓動を打っている。


 男は近くの山を登り、その頂上になけなしの力で祠を作った。いまだ動き続ける心の臓を入れ、扉を閉める。かんぬき代わりにと刀身を通し、柄から外した。

 こうして、化け物として恐れられていた八岐大蛇は封印された。

 男の名は、スサノオ。天上から降り立った者であり、太陽の神アマテラスの弟である。


 平和が訪れたこの地で、スサノオと娘は幸せに暮らした。二人の間には子が産まれ、またその子が大きくなって子を産む。そのたびに、スサノオは言った。

 この柄を大事にしなさい。祠の封印を見守りなさい。

 祠が心の臓の禍々しい力に耐えられなくなる日がいつか必ず訪れる。それよりも前に、刀身を引き抜こうとする者もいないとは言えない。

 スサノオは八岐大蛇が再び姿を現すことを誰よりも危惧していたのだ。

 退治することができなかった責任を取ろうにも、スサノオの命はもう明日をも知れない。だが、幸いなことに子孫がいる。

 誰かがきっとスサノオの力を継いで産まれてくるはず。その者が化け物を退治してくれるだろう。

 酷なことを言っている。それでも、スサノオは後世に託すしかなかった。

 退治できなかった自分の代わりに、今度こそ八岐大蛇を退治してほしいと。


 それが、後の朝日奈家と一七夜月家である。

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