天羽々斬へ、愛を捧ぐ

神山れい

序章

半端者

 朝の支度を一通り終わらせると、千早ちはやは仏壇の前に座った。もうその姿はないが、ほんのりと線香のにおいがする。祖父か祖母のどちらかが線香に火を灯して手を合わせたのだろう。

 りん棒を手に取り、りんの縁を叩く。チーンと澄んだ音が鳴り響き、りん棒を置いて手を合わせた。次第に音は消えていくが、揺らぐような響きが残り続ける。それがまた心地いい。心が澄んでいくような、そんな気がするからだ。


 長押なげしには、遺影が二枚飾られている。一枚は若い男性、もう一枚は若い女性。仏壇が置いてある近くには、その男性と女性が仲睦まじく映っている写真が写真立てに入れられ置かれている。カメラ目線なのもあるが、二人がこちらを見てくれているような気がして、千早はこの写真がお気に入りだった。


「千早、そろそろ学校に行く時間だよ」


 仏間に入ってきた祖母は、仏壇の前に座る千早に声をかけた。千早は横に置いてあった学校指定の鞄の紐を手に取り、ゆっくりと立ち上がる。


「ありがとう、おばあちゃん」

「父さんと母さんへの朝の挨拶は済んだかい?」


 もちろん、と千早は首を縦に振る。

 遺影として飾られている男性と女性は、千早の両親だ。千早が産まれてすぐに事故に遭い、亡くなってしまった。そのため、千早は遺影と写真でしか両親の顔を知らない。

 たまに、寂しくなる。両親はどんな人だったのか。どんな声だったのか。どんな風に喋っていたのか。

 千早が置かれている状況を知ったら、どうしていただろうか。


「いってくるね」

「気を付けるんだよ」


 両親に向けても「いってきます」と呟き、千早は仏間を出た。廊下は少しひんやりとしていて、歩くたびに小さく軋む音がする。

 その音で千早が玄関に向かっていると気が付いたのか、茶の間でくつろいでいた祖父が襖を開けて顔を出した。無表情ではあるものの、醸し出す空気から「嫌なものを見てしまった」というのがひしひしと伝わってくる。


「さっき外に出たら、あいつらがいた。遠回りになるが、裏から行け。顔を合わせんで済む」

「……ありがとう、おじいちゃん」


 いってきます、と祖父に言い、千早は玄関で靴を履く。木目調の引き戸を開け、外に出た。

 燦々と降り注ぐ陽光に目を細めつつ、辺りを見渡す。

 グレーの詰め襟のジャケット、グレーのスラックスを身に着けた男性が二人。竹箒を片手に喋っている。

 祖父が言っていた「あいつら」とはあの二人のことだろう。朝から掃除をしていると見せかけ、学校へ向かうために出てくるであろう千早を待ち伏せしているのが丸わかりだ。

 男性二人がいる方向へは行かず、祖父に言われたとおり裏へと回った。裏には小さな扉がある。内側からしか鍵は閉められないが、千早が出た後は祖父か祖母が閉めてくれるはずだ。

 音を立てずに小さな扉を開き、敷地外に出る。そっと扉を閉めた直後、後ろから「おはよう」と男性の声で話しかけられた。


 その声の主に、千早の顔から表情が消える。

 表にいた男性二人よりも、何よりも会いたくない相手。

 足元から冷えていく。身体が固まり、呼吸が浅くなる。聞こえてくるのは、早鐘を打つ鼓動のみ。


「おはようって、言ってるんだけど?」


 気遣いがない力で肩を掴まれると、強引に身体の向きを変えられる。千早の視界にその人物が入ってくるが、それもほんの一瞬。突き飛ばされ、先程閉めたばかりの扉に背中を強く打ち付けた。

 目の前がチカチカと白飛びし、打ち付けた背中の痛みで息がうまくできない。だが、落ち着かせる暇さえ与えないと言わんばかりに髪の毛を掴まれ、後ろへ引っ張られた。


「聞こえなかったのかな。おはよう、千早」


 ぶつ、と髪の毛が抜ける音がする。手を離してほしいところだが、ここで抵抗するという選択肢は千早の中にはない。抵抗すれば、今よりも酷い目に遭うのが目に見えているからだ。

 千早は痛みを堪えながら、目の前にいる人物と視線を交わした。


「お、はよう、ございます、伊吹いぶきさん」

「俺が挨拶してあげてるんだから、一秒以内に返事しろ」


 一七夜月かのう伊吹。

 何も知らない者から見れば、顔の整った優男。

 身長も高く、バランスよくついている筋肉。ブラウンカラーの髪色に、通った鼻筋。何よりも、大きくて丸い目。その目の瞳の色が、彼を一際目立たせる。

 瞳の色が、非常に珍しい金色だからだ。

 けれど、それは千早も同じ。千早の瞳も、伊吹と同じ金色なのだ。

 だからこそ、伊吹はこうして重箱の隅をつつき、乱暴に振る舞う。千早が言ってほしくない言葉だとわかっていて口にする。

 千早が金色の瞳をしていることが、気に入らないから。


「これだから半端者は嫌なんだよな」


 千早の胸は、刃物で抉られたかのようにズキズキと痛む。

 視線を逸らすと気分が良くなったのか、伊吹がようやく髪から手を離した。千早が地面にへたり込むと、それに合わせたかのようにぱらぱらと黒い髪が落ちてくる。抜けて伊吹の手に絡まっていた千早の髪の毛が払われたようだ。

 こんなにも抜けたのか。ぼんやりと思っていると、千早の頭上で影ができる。顔を上げようとすると、その頭を強く押さえつけられた。

 いつもより執拗な嫌がらせに、伊吹の機嫌の悪さが窺える。


「で、半端者の千早。封印はどうにかできたわけ?」

「……できていません」

「できていないのに学校に行くんだ。うわあ、贅沢。朝日奈あさひな家は、その存在の本分を忘れたの?」


 忘れるわけがない。ぎり、と奥歯を噛み締めそうになるが、気持ちを落ち着かせようと息を吐き出す。

 伊吹の罵詈雑言に、いちいち耳を貸してはいられない。自分の心を守れるのは、自分だけだ。それでなくとも「半端者」という言葉が今も胸に刺さって痛むのだから。

 ひとまず肯定だけでもしておかなければと小さく「はい」と答えていると、千早の後ろにある扉が開いた。頭を押さえられている今は振り向くことすらできないが、聞き慣れた声が耳に届き、安心から涙で視界が滲む。


「伊吹よ、お前も封印に関しては何もできていないだろうが。何を偉そうに言う」

「……おじいちゃん」


 頭を押さえつけていた伊吹の手が離れた。彼の表情はわからないが、舌打ちをしているようだ。それだけでは足らなかったのか、今度は祖父に矛先を向け嫌味をぶつけ始める。


「本家は朝日奈家でしょう。では、先に封印を何とかするのは本家の役割だ。千早のその金色の瞳は飾りですか?」

「千早が産まれたのはお前が七歳を迎えたあとだ。その間、金色の瞳を持っていたのはお前のみ。それで、お前は何ができた? 何をしていた? 今と状況は変わらんかったはずだ。お前のその金色の瞳も飾りじゃあないか?」


 言い返せなくなったのか、伊吹は「クソジジイが」と暴言を吐き、祖父を押し退けて中へと入っていった。

 その様子を見届けたあと、祖父は溜息を吐いて千早の傍に座り込んだ。ゴツゴツとした右手が持ち上げられ、千早は反射的に目をぎゅっと瞑ってしまった。祖父の戸惑いが伝わり、慌てて目を開ける。痛めつけられるわけがないのに、つい身構えてしまった。


「あ、ご、ごめんなさい」

「伊吹に痛めつけられたか」

「……大丈夫だよ」


 祖父に頭を撫でられ気が緩んだのか、強張っていた身体の力が抜けていくのがわかる。


「そろそろ千早が行ったかと鍵を閉めに来たんだがな。そうしたら伊吹の声が聞こえて……もしやと出てみれば、案の定だ」


 もう少し早くに来ていれば、と祖父は言うが、どのタイミングでもこうして来てくれただけありがたい。


「おじいちゃん、今日は学校休んでもいい?」

「あぁ、構わん。ゆっくり休め」


 千早は立ち上がり、祖父と共に再び敷地へと入っていく。

 敷地にはまだ伊吹の姿があり、千早と祖父を視界に入れると嫌そうな顔をしてその場を去ってしまった。見たくなかったのは、こちらの方だと言うのに。

 それでも、嫌でも顔を合わせることになる。この敷地内に、朝日奈家と一七夜月家は建っているからだ。伊吹とは幼なじみのようなもの。しかし、伊吹と仲良く話したことなど一度もない。

 産まれた瞬間から伊吹に、一七夜月家に嫌われているためだ。


 ──自ら望んだわけじゃない。わたしだって、どうして自分が金色の瞳を持っているのかわからないのに。


 両家にとって、金色の瞳は証のようなもの。

 すべては、この地に八岐大蛇やまたのおろちが封印されたときから始まった。

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