26.

 ◇三人称視点◇


「二人は今日、もう一度東の廃村に向かうそうです」

 まだ陽が昇り間もなくの早朝、カノリア村の村役場にはアリシアの姿があった。

「そうか。うむ、ご苦労。戻って良いぞ」

 ベンノは苦悶の表情で机の書類の山に向き合いながら答える。この老人はエレオナイトの採掘量が減少してからの数年間、文字通り一日中働いている。この村を守らんと必死なのだ。

「……あの、この報告には何の意味があるのでしょうか?」

 村長はその真っ黒な隈を携えた細い目を、訝しげにアリシアへ向ける。

「お前は知らなくていい。もう戻りなさい」

 村長はあまりの忙しさに不機嫌だ。しかしこんな事で怯むわけにはいかない。

「私、どんな手を使っても、父を取り戻したいんです。あの二人が任務に失敗すれば良いんですよね? そのために私がどう貢献できるかを、きちんと考えたいんです」

 ベンノはペンを持つ手をピタリと止め、アリシアを見やる。

「アリシア、お前幾つになった」

「今年十六になります」

「……そうか。この村の人員流出に伴う人手不足は深刻だ。アリシア、お前は馬鹿じゃない。少し仕事を任せても良いかもな」

 ベンノは再び仕事に向き合う。自分達で減らしておいてよくもまあ言えたものだ、とアリシアは危うく出かけた言葉を必死に飲み込む。

「私に出来る事なら何でも言ってください」

「まあ、そう急くことはない。実は今、村人達を守るため南の街道付近で魔除けの、ある特殊なお香を焚いておっての。その管理を頼もうと思ったのじゃが、騎士様が今日も東へ行くのなら問題無い。その魔除けが彼らの行き先に有っては、退治が出来んからの。今日はそのままで良い。騎士様が南へ向かおうとした時に、やり方を教えてやる」

 ベンノは書類に目をやり、ペンを走らせたまま説明する。

 ……嘘だ。

 アリシアは確信する。

 存外簡単に、必要な情報は手に入った。恐らくこのお香とやらが、〈シレネ〉を操る鍵なのだろう。

 今、この村の政治や経営、総務、財務は全て村長に回ってきている。他の働き盛りは皆現場だ。更に現場で問題が起これば必ず駆けつける、現場の職長では当てにならない。この男が監督しなければ事態は収拾しない。ベンノは山の様な業務に追われ朝から晩まで働いている。猫の手も借りたいのだろう。その疲弊した脳では細かな違和感には気付けない。遂に超人は無意識のまま、口を滑らせた。

「分かりました。明日も報告に伺います」

「うむ」

「失礼します」

 そう言ってアリシアは村長室を出ると、急いで屋敷に戻る。そして玄関横の子供の頃に遊びで彫った、デフォルメされた鶏の石像の顔を南に向ける。

 これは昨晩三人で決めた合図だ。出発前の二人と会話しているところを誰かに見られ、その日に〈シレネ〉を殲滅されたとなれば、アリシアに疑いの目が向く。それを避けるために、ベンノへの報告後は接触しないようにしようと取り決めたのだ。

 そうして任務へ向かう二人の騎士は途中、アリシアの屋敷を通り過ぎる。

「……南ね。良くやったわアリシア」

 ライラは不敵に笑い、静かに呟く。二人は疑われぬよう、村を出るまでは東へ進み、途中草原に出た辺りで南へ向かった。アリシアの情報が正しければ、今日は戦闘になる。

 いつものお喋りなライラも今は無言。だがそれでも気不味さを生まれない。レイフはライラのすぐ後ろをピタリと付いて歩く。この位置関係も昨晩の取り決めだ。

 段々と適切な緊張感が二人を包む。いつ襲われてもおかしくはない。そのまま南の街道へ向かうと、木々が増え、疎林の入口となる草深の丘へ到着する。

 その時、地面から一斉に土色の影。その影はレイフ達を取り囲み、息を揃えて襲い掛かる。その瞬間、ライラの右足がトンッと地面を叩く。一瞬の瞬き。二人の周りには同心円状に氷柱が芽吹き、〈シレネ〉を次々と突き刺す。しかし一拍置いて、生き残った一匹がその氷柱を掻い潜り、その背の死角からライラへ強襲。それでもライラは余裕の表情で腕を組んだまま、振り返らない。その齧歯がライラへ届かんとするその瞬間、その肉体は華やかな血飛沫を上げ、肉片と化す。少し遅れてレイフは剣身の血を振り払う。その血飛沫の雨は、レイフを囲う氷壁によって阻まれた。

「私達、相性良いみたいね」

「そう言ったろ?」

 昨晩の二人の取り決めは、第一波はアリシアの氷の範囲攻撃で一掃。レイフは巻き込まれないようライラのすぐ後ろに付く。そしてその取り溢しがあれば、レイフの神速で処理をする、と言った内容だ。どうやら上手く嵌ったらしい。

「それにしても〈シレネ〉が集団で連携を取るなんて有り得ない。やはり魔具とやらで操られているんだな」

 レイフは感心しながら、ライラの推理を賞賛する。

「そうね。ただ一掃するならむしろ好都合よ。早く討伐数を数えて離れましょう。すごい匂いよ」

 そしてライラはそそくさと離れて行った。こういった作業は、レイフは七年前からお手のものだ。バラバラの肉塊の重複に注意しながら、丁寧に数を数える。

「すごい! 十六匹もいる! 先日のと合わせれば十七匹だ!」

 レイフは靴が汚れぬよう、ライラの作った氷の道の上を歩き、血と排泄物の海を脱出。春の命芽吹く丘は、何とも凄惨な光景へと姿を変えた。

「まだこんなもんじゃないわよ。さっさとこの近辺を片付けましょう」

 そして南の街道を横断し、更に奥へと進むと、そこは整備されていない木々が生い茂り、陽の光を半減させる。

 そこでもう一度〈シレネ〉の強襲を受けた二人は、同様の手順でそれらを一掃。

 結局今日までで計三十五匹の討伐に成功した。恐らくもうカノリア村近辺には生息していないだろう。今や意味を成さない、残りの五匹の目撃情報とやらは、ベンノの地図によると鉱山付近。これでアリシアの父を探す口述ができた。

 陽も傾き、菖蒲色の空は一日の終わりを告げる。今日は一旦戻り、仕切り直すべきだ。明日、何としても助け出す。レイフの目には確かな決意が揺れていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る