第四章

24.

 ◇レイフ視点◇


 カーテンの隙間からは藤色の光。寝坊助な太陽は、ようやくその目を覚まそうとしている。新しい一日が始まる。

 幸いなことに〈シレネ〉が姿を現すことはなかった。……まあ俺たちは〈シレネ〉を探しに来たのだが、皮肉なものだ。

 おかげでライラのこの寝顔は穏やかなまま、スゥスゥと寝息を立てている。隈も無くなり、少し顔色も良くなった。安堵も伴い、俺は思わずその頭を撫でる。

 そうして、少しずつ藤色の光も白く染まる。ちょうど暖炉の火が弱まりだした頃、ライラがその菫色の瞳をちらりと覗かせる。

「んっ」

 ライラは大きな欠伸をし腕を伸ばす。瞼を擦り、お姫様は太陽と共にその眠りから目を覚ます。

「おはよう」

 撫でる手を離し、優しく声を掛ける。

「うん。……おはよう」

 そうしてライラは俺の撫でていた右手を握り、布団の中へ引き込み、こちらへ寝返る。そして再び目を閉じた。

「まだ寝てて大丈夫だから」

 朝はまだ肌寒い。俺は暖炉の火を絶やさぬよう、薪を焼べるべく席を立とうとすると、ライラにその手を引かれる。

「傍にいるって言ったでしょ。……嘘吐き」

 目を閉じたまま、ライラは口を尖らせる。

「暖炉に行くだけだよ。すぐそこだ」

 ライラは顰め面で握る手の力を強め、無言で返事。どうやらダメということらしい。

「火が消えたら少し寒いよ」

「いい」

 即答。

 俺はこの甘えたがりのお姫様にもう少し付き合うこととした。そうして暖炉の火はやがて、細く白い煙へと姿を変える。

 ライラは本当は、朝が弱かったんだな。思わぬ一面を愛おしく想う。

 ……それなのにこの村ではずっと日が昇る頃には準備を始めていた。その理由は結局、明かされぬままだ。

「ふっ!」

 そんな思案を巡りに巡らせていれば、そしてライラは勢い良く、黒い肌着のまま上半身を起こす。俺は神速の如く視線を横へ。そうして彼女は両腕を伸ばし、筋肉をほぐす。

「おはよう!」

 張りのある声で本日二度目の挨拶。その顔には今や陰りは見えない。長引かなくて良かった。そして勢いよくカーテンを開く。

「いい天気ね!」

「カーテンは服を着てから」

 そうしてハンガーに掛けていたライラの服とストッキングを、なんとか目線を逸らしたまま手渡す。

「ありがと」

 そしてライラは着替える。背中で聞く衣擦れ音は未だ慣れない。

「私が寝てる間、えっちなことしたでしょ」

 ライラは俺の背中へお道化た声で問い掛ける。

「し! してないよ!」

 慌てて否定する。

「……そう」

 俺の口からどす黒い文字は出なかったのだろう。ライラの疑う様子はない。

 そして着替えの終わったライラから肩を叩かれる。振り向くと、彼女の人差し指が俺の頬を刺す。

「意気地無し」

 花のようにライラは微笑む。いつも通りに心臓が高鳴り、胸は苦しい。

 ……襲っても良かったのだろうか、

 明日は襲っちゃえよ、と頭の中で悪魔が囁く。

 いやいやいや。

 相手は病人で、況してや恋人ですらない。いくら魅力的な女性であっても、許されることではない。必死に悪魔を追い出し、自身の道徳感を貫き通す。

「ずっと守っててくれたのね。……ありがと」

 そうしてライラは振り返り、自身の眠っていたベッドを綺麗に直す。この廃村で、とも思うが、彼女なりの感謝の気持ちなのだろう。

「ライラ、そ、そう言って人を揶揄うのは止した方がいいかもな」

 赤面しながらコホンと咳払い。ライラは昨日変わりたいと言ってたはずだ。俺が教えてあげないと。

「知ってる」

 しかし、明るい声でライラはきっぱり。そしてベッドメイクを終えると、くるりと優美に振り返る。

「レイフには嫌! 止めないわ!」

 飛び切りの笑顔。そして心臓は破裂し、口から見えない血を吐き出す。最後の力を振り絞り、俺は言葉を紡ぐ。

「それじゃあカノリア村に戻ろう。身体も洗いたいだろう」

「……えっち」

 嬉しそうな含み笑い。

「違う!」

 どうやらライラは変わる気の無いようだ。……まあ変わる必要も無いとは思うが。俺はありのままの、真っ直ぐな君が好きだ。

「私、お腹が空いたわ。湖でお魚を取りましょう!」

「釣り竿も無いし、どうやって?」

「そんなの貴方の神速で水ごとズバッ! よ」

 俺の神速と膂力はそんな事のためじゃない。多少ぼやきながら、結局俺はマリミア湖で剣を振るう。少し遅れて水飛沫と鱒の少雨。その水滴は日差しを屈折させ、虹を掛ける。綺麗だなと眺めていると、近くで自生していたタイムとレモンを摘んだライラが帰って来た。多少裕福であったのだろう空き家には根菜や塩、香辛料などが揃っており、ライラがササッと料理を作ってくれる。鱒は丁寧に下処理をした後に香草や添え物のじゃが芋や玉ねぎと共に、塩胡椒にオリーブオイルで焼き目を付け、そして刻んだナッツは香ばしく、クセの無いタイムの爽やかな香りが食欲を唆る。酸味のアクセントを与える輪切りのレモンも添えられ、食卓を華やかに彩る。

「……美味しい! ライラ、料理出来たんだな!」

 昨晩から何も食べていない俺はそのままペロリと平らげる。ライラはその様を嬉しそうに、ただ見つめる。

「好きなの。料理人もいなくなっちゃって、いつもアンネと一緒に作ってるわ。おかわりもあるわよ」

「おかわり!」

 俺の神速と膂力はこの為に有ったんだと確信した。その後、お世話になった空き家をピカピカに清掃し、宿代の銀貨を机に一枚置いて、昼過ぎに元イケト村を出発。

 幸か不幸か、途中〈シレネ〉に出会うことも無かった。俺達は横並びで、ライラの止まらないお喋りにただ頷きながら、夕方前にカノリア村へ帰還した。

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