22.

 ◇レイフ視点◇


 まだ瑠璃色の空には、ようやく太陽が顔を覗かせようとしている。俺は朝ご飯を断り、アリシアの屋敷を昨日よりも早めに出発。今日こそライラを待たせないようにしなければ。やはり俺はライラには笑顔でいて欲しい。

 辿り着いた宿屋の奥、ドアノブに手を掛ける。

 ……またしても鍵は掛かっていない。

「……おはよう。ライラ」

「おはよう。遅かったわね」

 ライラは振り向かずに返事をする。髪を纏め上げている最中だ。朝焼けの白を反射する紫紺の髪がサラサラとなびく。その光景は煽情的で、つい見惚れてしまう。

「髪を上げてるのも似合ってるね」

 昨日言いかけて止めた言葉をつい口走る。

 ……しまった。余計な一言だったか。言った途端に気付く。

 ライラの手がピタリと止まる。

「……何、ご機嫌取りのつもり?」

 ライラは振り向きこちらを見つめる。その菫色の天眼は何もかもを見通してしまうようだ。

「いや! 違う! ……そんなつもりじゃ、つい、……綺麗だったから」

「……ふーん」

 そしてライラは再び鏡へ目線を戻し、作業を再開する。

「私、怒ってないって言ったわよね? どうしてそんな余所余所しいのかしら?」

「……ごめん」

 多分、この返事の正解が決して、ごめんではないという事だけは分かる。しかし他に言葉が出てこない。そして、再び沈黙。

 ようやく日が昇り、空は淡い水浅葱へ移りゆく。そうしてライラの髪形がようやく完成する。昨日より編み込みが多い華やかなアレンジだ。せっかくなら髪留めも黒ではなく、明るい色の方が紫紺の髪とのコントラストが映えるだろう。

 ……少し擬かしい。

「貴方、朝ご飯は食べたの?」

 ライラは立ち上がってこちらへ近寄ってくる。

「いえ、……まだです」

「そう。なら食堂へ行きましょう。おばあちゃんのご飯美味しいわよ」

 ライラはそうして少し微笑み、俺の右腕を少し強引に引っ張る。

 ああ、たったこれだけのことで口元が緩む自身を情けなく感じながら、二人の間の氷壁が少しだけ溶けていく様をも感じていた。


 ◇レイフ視点◇


「今日も南東を探すの?」

 街道を東へ歩きながらライラは尋ねる。昨日と違い今日は横並びだ。昨日はこの街道を少し進んだ先を南へ曲がっていた。

「今日は東のマリミア湖の湖畔へ行こう。そこの廃村には多くの出撃情報があったはずだ」

 村長の地図を広げる。これについては村長の説明をライラがチェック済みだ。嘘は無い。

「少し遠いわよ。二番目に近い南の街道周辺はいいの?」

「そっちはダメらしい」

「? なんで?」

 ライラは怪訝そうだ。

「昨日アリシアに占ってもらったんだ。南東と南はダメだって。東が吉らしい」

 ライラの足がピタリと止まる。

「……ふーん。占いね~」

 意味有りげに溜息。

「まあいいわ。目撃情報が多いのは確かだしね」

 そのままライラは俺の少し後ろを歩く。それが即ち心の距離に感じるのは考え過ぎだろうか。二人は結局無言のまま東へ歩く。

 太陽がちょうど真上に昇った頃、太古の火山活動の痕跡を示す火山湖、マリミア湖の北側へ辿り着く。水鳥の親子が浮かぶ水面は、空の青と雲の白を映し、吹き抜けるそよ風に小さな波を打っている。近くへ寄れば透明な水は湖底まで日差しを許し、淡水魚と水草の共生を促している。それらはこの王国の水資源の豊かさを象徴している。

「綺麗だ」

「綺麗ね」

 俺とライラは同時に呟く。二人は互いの顔を不意に見張る。同じ景色に同じ感情を抱いたことへ、言葉にし難い恥ずかしさを感じる。

「……もう少し先に廃村がある。そこでは戦闘になるかもしれないから、ここでお昼ご飯にしようか」

 そして俺は宿屋のおばあちゃんが、今日も懇意で持たせてくれた昼食を鞄から取り出す。

「そうね。見晴らしも良いし。休憩しましょう」

 春の草原にポツンと立つ、沢山の若葉を遇った一木の木洩れ日へ二人は腰を下ろす。弁当箱には華やかな彩りのサンドイッチ。

「どうぞ。ライラ、選んで」

 弁当箱を差し出す。

「うん」

 ライラはようやく穏やかな微笑み。サワサワと風に揺れる葉擦れ音。君が笑顔を向けてくれれば、その音ですら、楽団の演奏のように感じてしまう。

 そろそろ自分の分が食べ終わろうとした時。

「あげる。こんなにいっぱい食べられないわ」

 ライラは自身の食べ掛けを渡してくる。

「まだ食べられるでしょう?」

「うん。ありがとう」

 俺はそのサンドイッチを受け取る。それを食べようとした瞬間。

「……なんで見てるの?」

 ライラは膝を抱え身体を丸めながら、俺の食事をじっと見つめる。なんだか食べ辛い。

「いいから。気にしないで」

 そう言われても……、と思いながらその食べ掛けを食べ始める。その吸い込まれそうな菫色の瞳は、じっとこちらへ向けられたまま。

 食べ終わるとライラはようやく口を開く。

「美味しかったわね」

 女神は微笑む。俺は言葉を返せず、ただ狼狽する。

「ほら、付いてるわよ」

 女神は俺の口元のパンくずを拭い、それを無表情で水面を見つめたまま、当然のように口に含む。心臓は遂にはち切れた。しばしの休憩の後、ライラは立ち上がる。

「休憩はお終い。そろそろ行くわよ」

 その声で信徒は蘇ると、俺達は再び、横並びで歩き出した。

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