11.
◇レイフ視点◇
昼食を食べる気にもなれず、俺は独り、広いバルコニーで王都の景色を眺めていた。
ここに来るまでの間、すれ違う騎士は皆、怪我人だらけ。血と消毒液の匂いが充満し、その目は澱み光を失っている。庁舎全体が凄惨な、重々しい雰囲気に包まれている。
息を吸うのも苦しくて、俺は新鮮な空気を求めて逃げ出した。
……これが騎士の真実。夢や希望だけじゃない。現実として、
少し考えれば分かる筈なのに。俺達は多分、どこか、見ないふりをしていたのだろう。騎士としての栄光を夢見ていなかった俺は、幾分かダメージは軽いのかもしれない。
石造りの華美な手摺に凭れ、溜息を吐く。すると、俺の左へもう一人の男が手摺へ手を着く。
「随分と傷心みたいだね」
顔を向ければ、そこには緩やかなウェーブの掛かった金髪が爽やかな美男子。同期のトップ、マテウスだ。
「別に。……まあ男なら、騎士という生き方に、誰しも子供の頃に夢見た筈だろ」
「僕はずっと王都の暮らしでね。この現実を知っていたから、そこまで傷つきはしなかったかな。レイフ君、君は一体どこから来たの?」
……なんか、喋り方が鼻に突くな。
「トレイス町だ」
ヨリス村の名は出さない。これは秘密。もしも禮命の聖騎士に感づかれてしまっては堪らない。七年間住んだ町なら嘘じゃない。
「東の辺境だね。
……お前に何が分かる。お前は家族を、愛する故郷を燃やされ、奪われた事があるのか?
しかし、ここで喧嘩してもメリットは何もない。俺はグッと堪えて言葉を返す。
「そうだな。お前は随分と過激な毎日でも送っていたんだろうな」
普段は言わない、精一杯の嫌味。
「いやいや! ほら、僕ってレイフ君に負けないくらい綺麗な顔をしてるでしょ。女の子達がね、嬉しそうに僕を助けてくれるんだ。だからそんな苦労はしなかったよ」
……気持ち悪い。何となく、俺はこいつを生理的に受け付けない。これ以上傍にいても意味は無い。
俺は凭れるのを止め、踵を返す。他の落ち着く場所を探そう。
「待ってよ」
マテウスは俺の腕を掴んで制止する。
「離せ」
俺はマテウスの腕を振り解く。
「君がどこに行こうが付いて行くよ。君と話がしたいんだ」
「俺は無い。付いて来るな」
構わず歩こうと一歩踏み出す。それでもマテウスは微笑みながら付いてくる。
「おい」
俺は男を睨みつける。
「意見が対立した場合、騎士ならば、その力を以て結論を付けるべきだ」
そしてマテウスは左手の白い革手袋を外し、俺の胸に投げつける。騎士の宣誓は知らないが、これが意味する事は俺でも分かる。
「証人となる第三者がいない」
「僕らは約束を違える人間ではないさ」
「……模擬剣は無い。覚悟はあるのか?」
俺は低い声でマテウスの心積りを確認する。
「当然。決闘で死ぬ騎士など、よくある話だ」
金髪の美男子は髪を掻き上げながら答える。
「一目見た時から、君とはヤッてみたかったんだ。だってさ、おかしいだろ?」
「何がだ?」
「君が剣戟主席の件だよ。あれは受験者がそれぞれ担当の試験官と模擬剣で戦う訳だろ? そしてその結果から採点を行う」
マテウスは不敵な笑みを浮かべ、続ける。
「その点数の妥当性ってどうなの? 正しく測定出来てるの? 結局、僕らが真剣でヤッてみたら、案外勝つのは僕かもしれないよね?」
「……んなもんどうでもいい。俺が勝ったら二度と俺に話しかけるな」
「いいね。じゃあ僕が勝ったら、ライラ君は僕が貰う」
……ん?
理解が追いつかない。
「……何の話だ?」
「あれ? レイフ君はライラ君を狙ってるんじゃないの?」
何を言っている?
いつからそんな話になった?
「そんなつもりは一ミリも無い」
「あれ? だって叙任式でも、さっきのオリエンテーションでも、うっとりした顔で彼女を見てたじゃないか」
「な! 見てない!」
俺は強く否定する。そんな訳は無い。俺はここに下らない恋愛をしに来た訳じゃない。
「素直じゃないね。彼女は大変だよ? 叙任式が終わってすぐ、皆こぞって話しかけに行ったがガン無視だ。とんでもない人嫌いのようだね。それでも一部の同期達は、彼女を氷の女王と崇めていたけど」
「そうか。俺には関係無い」
「……まあいいさ。とにかく僕が勝ったら、ライラ君は僕が落とす。……いいね?」
なるほど。端からそれが目的か。そのためにわざわざ俺のとこまで。だが、俺には関係無い。二人で勝手に青春ごっこでもやってやがれ。
「ああ、条件はそれでいい。どうせ、勝つのは俺だ」
少し距離を取って銀の剣を抜く。ある程度距離のあった方が、俺の神速は活きやすい。互いに相手の祝福は知らないが、そんなものを出させる前に仕留めればいい。
上等だ。
勝負は一瞬。
俺はこの七年間、人にも、
「いくぞ」
マテウスは構え、もう片方の手袋を天へ放る。
これの着地した瞬間が、戦いの合図。
「マテウス・リングホルムだ」
「レイフ・ロセイン」
互いに名乗りを上げる。
……鼓動が脈打つ。
視界は暗く、狭く、そしてスローモーションに。
集中力が高まっていくのを感じる。
遂に、パサッと、柔らかな乾いた音。瞬間、俺は一気に間合いを詰める。目には留まらぬ圧倒的な速度。不意を突いた一撃でマテウスの脇腹を突き刺した。
……かと思われたが、俺の剣は天高く弧を描く。一瞬の動揺。その瞬間をマテウスは見逃さない。金髪の美男子は、脇腹を狙い屈んで低くなった俺の頭へ廻し蹴り。鈍い音に脳は揺れ、俺は受け身も取れずに倒れ込む。マテウスは俺の鳩尾を強く踏み付け、顔すぐ横に剣を突き立てる。
……息が出来ない。ようやく俺の剣が地面に落下し、甲高い、虚しい音を奏で沈む。
「僕の勝ちだね」
見上げるマテウスは太陽を背負い不敵に微笑む。そして剣を引き抜き、鞘へ収める。
俺は少しの間咳き込んだ後、ようやく循環器系が回復するのを感じた。
……負けた。
……何で?
しかも何をされたのか、それすらも分からなかった。
何故、俺の神速に対応出来た?
人間業じゃ無い。
……いや、相手は祝福者だ。何より俺のような偽物じゃない。
真に、女神ヒルドレーナに愛された者。
「約束通り、ライラ君は僕が貰う」
俺は呆然とし、立ち上がれずに沈黙。
しばらく空を見上げたまま目を瞑り、ようやく、振り絞った声が出る。
「ああ、勝手にしろ」
俺はゆっくりと起き上がり、剣を拾い鞘へ仕舞う。
……悔しい。
俺だってこの七年間、必死に、必死に、ただ強さだけを追い求めて戦って来たのに。
……どうして?
「そんな感じ? うーん、詰まらないな」
マテウスは読みが外れたと言わんばかりに首を右に傾ける。
「じゃあ、やっぱりライラ君は二人で競争にしよう。そっちの方が面白いかも! どうせあの女もすぐに落ちるし」
……本当に気持ち悪い。こいつは何故こんなにも女性を見下しているのだろか。
俺は、芯が有り自立した強い女性を何人も知っている。
「女は景品じゃない。お前は今までその女性に助けられて来たんじゃ無いのか? 今すぐその腐った口を閉じろ」
「はは! 誠実な男なんて女は退屈するだけさ。女は雑に扱った方が喜ぶのに。……なら閉じてみせれば? 実力でね」
……悔しい。
俺は負けたのだ。本来ならここで、命尽きていても文句は言えない。
「ライラ君の事なんてどうでもいいからさ、もう少しお話ししようよ。それでチャラにしてあげる。ね? 君は負けたんだからさ」
俺は黙ったまま拳を握り、再び手摺りに凭れ掛かる。空には間抜けな顔した綿雲が、呑気にプカプカと浮いている。
……もっと、もっと力が欲しい。
こんな醜悪を黙らせる事が出来るような、圧倒的な、強い力が。
「君はどこの派閥に入るの?」
俺の左に同じ姿勢でマテウスは凭れて、話しかける。
「……別に、入るつもりはない」
「どうして? 上に上がれないよ」
「出世なんて興味ない」
俺は禮命の聖騎士を探ることが出来ればそれでいい。派閥とやらに入って任務を強要されては、無駄に時間が失われていく。奴を殺したらこんなとこはすぐに辞めてやる。出世なぞ、全く興味が無い。
「……レイフ君は、ここへ何しに来たの?」
青年は俺を試すような目で見つめる。
「別に、ただ憧れただけだ」
復讐のことなんて言える訳がない。俺はそれらしい嘘を吐く。
「不思議だなぁ。さっき君は騎士団の真実を知って、それ程のダメージを負っているように見えなかった。おそらく、それは違う」
美男子は空を見上げ、続ける。
「君の身形を見れば、その清潔で高価そうな衣類。裕福ではないだろうが、貧乏でもないのだろう。ならば金でもない。女に困っている様にも見えないし、当然殺戮を楽しむタイプにも見えない」
青年は、その麗しいターコイズブルーの瞳をこちらへ向ける。
「君、本当に何しに来たの?」
「ただ、憧れただけだ」
「……その振る舞いは危険だなぁ。民主国のスパイと勘ぐられて通報されれば、文句無しでアルドレット行きだよ」
「アルドレット? なんだそれは?」
「君は本当に何も知らないね。叙任式でも宣誓を誤魔化してたでしょ」
やはりバレていた。何となしに下向く視線を右へ逸らす。
「アルドレットというのはね、鴉の騎士隊と呼ばれる公安部隊が管理する監獄だよ。そこに囚われいるのは皆、元騎士。騎士団を裏切ったり、犯罪を犯した者を、世間に晒し騎士団の評判を下げる前に、秘密裏に処理するための地獄のことさ。その全容は鴉も含めて最上級機密。残虐な拷問も容認されているという噂もある」
マテウスは芝居がかった、嫌におどろおどろしい声で説明する。
「ふーん。別に普通に暮らしていれば問題無いだろう。金だよ金。騎士に成れば豪遊出来るって聞いたからな」
今後は金を理由に遇おう。実際別に裕福では無いし、それが一番自然だろう。
「……ふふ。豪遊したいのに出世に興味が無い? 変だなぁ。下級騎士では稼げないよ。……まあいいさ。いつか、君の目的を教えてね」
そしてマテウスは再び、空の綿雲へ目を向ける。
「なら、鷲の騎士隊へおいでよ。僕が口利きしてあげる。出世に興味が無くたって、この中央騎士団で上手に生きるためには、派閥への所属は必須だよ」
「おいでよって? お前はもう入っているのか?」
「うん。入団試験の際に、隊長のイングヴァルさんから直々に声を掛けられていてね。既に内定しているんだ」
「へー。エリート様は違いますね」
時期騎士団長本命と既に役職を省いて呼ぶ関係。
敵わないな。
強さも、出世も、何もかも。
「はは。僕はスーパーエリートだからね」
金髪の男は爽やかに笑う。中身はどうであれ、ルックスだけは清潔感を纏い輝く。
「イングヴァルさんは次期団長の本命。鷲は現在派閥第一位だ。悪い話じゃないはずだ」
「……興味無い」
「愛するライラ君と同じ、派閥第二位の梟の騎士隊に入りたいから?」
意地悪な目でこちらを見やる。
「別に愛しちゃいない。……あの人は梟に入るのか?」
「はは。興味は有るんだね。まあ間違いないと思うよ。あそこの隊長、聖騎士ヨーランは座学の成績を重んじる。筆記首席で強い祝福を持つライラ君は間違いなく、幹部候補生として好待遇で迎えられるんだろうね」
「……そうか」
「君の筆記成績は足切りギリギリ。梟は諦めた方がいい。派閥第三位の隼の騎士隊、そこの隊長ノシュテット参与はまだ若い。ガラスの天井もあるだろうし、あそこへ入るメリットは薄いね。鷲へおいでよ」
入団試験の成績は、門の入り口に張り出されてあり、俺の筆記成績は最下位だった。よくもそんな、人の点数なんて覚えているもんだ。
「だから興味無いって。何でそんなにしつこいんだ?」
マテウスは深い溜息を吐く。
「君ってさ、『世の中を恨んでます!』って顔をしてるよね」
そして下を向いたまま、低い声で続ける。
「……でもね、それは偽物だね。僕はね、君みたいな愛されて生きてきたくせに、被害者面した人間が大嫌いなんだ」
俺は唖然として、ただ黙ったまま続きを待つ。
「君には決して理解出来ないさ。愛された人間の瞳をしている。……羨ましい。……羨ましいよ」
何故か分からないが、この男は今初めて、本音を吐き出した気がする。
……まあ、そうだな。この男が言っていることは正しい。俺には、俺の周りには沢山の無償の愛を注いでくれる人に溢れていた。今思えば、幸運な事だったのだろう。
「お前だって愛されてきたんだろう? 沢山の女性が助けてくれたって」
疑問を投げかける。しかし美男子は答えを返さない。大きな溜息の後、空を見上げる。
「ごめんごめん。話を戻そう。どうして派閥にしつこく誘うのか? だったよね」
そして嫌に明るい声を絞り出す。
「君がこのまま燻りゆくのは勿体無いと思ってね。……剣を誇りとする輝かしい伝統は朽ちてしまった。これからは銃と硝煙を伴う集団戦の時代が来る。その有用性は先の戦争で証明されてしまったね。たとえ祝福を持った特別な人間であろうと、一人の人工工数で出せる成果なんて大した事が無い。僕達は伝説の聖騎士じゃないからね」
伝説の聖騎士……アクセル。
俺でも知ってる。八年前の戦争を終結させた、歴史上でも比類無きエースオブエース。
「君は伝説のように海を割ったり、空を切り裂いたり、民主国の一個連隊を一夜で殲滅したり、上代の
上代の
それでもその封印は、長い時の流れに伴い風化し、北西の山岳地帯には〈アリッサム〉と呼ばれる巨大な上代の
もしもかの眠りが覚めたならば世界は滅ぶだろうと考えられているものの、終ぞ、どんな騎士の祝福でも最新の兵器でも、傷一つ付ける事が叶わなかった。初出撃で南東の樹海に復活した上代の
そして今なお、問題は先送りされ、ただその地域一帯が封鎖されたのみである。
「自由とは、圧倒的な個にのみ許された特権だ。僕達は万人に一人の祝福された者達。世間では当然特別な人間だけど、百万の騎士団の中には百人はいる。しかも力を欲する騎士団には祝福者が集まる。全てが戦闘向き、ということはないだろうけど、きっとその数は、百より多いだろう。それでも聖騎士は七人。僕達はようやくスタート地点に立ったばかりだ。残念ながら、僕達はこの騎士団の中では、然程特別なんかじゃない」
世間では選ばれ者であったとしても、この騎士団の中では数多の内の一つなのだろう。
まあ、俺は祝福者ですらないのだが。
「なら僕達は組織の歯車であることを受け入れるべきだ。上下関係があり、出世競争があり、報酬を対価に労働と忠誠を要求される。ならば騎士団も、企業と変わらない。夢の無い話だけど、同じ社会の一端に過ぎない。戦闘に魅入られて、凡庸な人生を拒否しようとも、本質的な振る舞いにそう差異が無い。であれば、自由な個よりも、煩わしいチームを重んじなければならない。苦しいけれど、でも、目を背けてはならない。そこに真実がある。団長も言ってたろ、仲間を作れってさ」
なるほど、筋は通っている。きっと正しい話をしているのだろう。それでも仲間を作れば、復讐が目的であること、ルーナとの契約のことが露呈してしまう危険性が高まる。俺は独りで行動をするべきだ。
「回りくどい説明だな。結論をはっきり言え」
「やれやれ。……そうだね。……僕たち、友達に成れないかな?」
あまりに予想の外からの結論に目を見開く。
「……は? さっき俺の事嫌いって言ったばかりだろ」
「うん。嫌いだよ。でもそんなことは関係無い」
「……絶対有るだろ。どう考えても」
「強情だなぁ! 僕たち絶対相性良いのに」
マテウスは大きな笑い声を上げて破顔する。絶対に相性は良くない。
「話は終わりか?」
「……うん。そうだね。……残念。振られちゃった」
「じゃあな」
俺はようやく踵を返してその場を去る。
「いつか、君の事が知りたいな。友よ」
背中からは、遣る瀬無い声が、届いて消えた。
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