マヤ ~episode 6~

 「先輩、少し見てもらってもいいですか。」

私が声をかけると、美鈴先輩が振り返った。

「勿論。具体的にどこを見てほしいとかある?」

私が射位に入ると、その向かいに先輩が腰に手をあてて仁王立ちする。

「この間の練習試合のときに、どこの高校の顧問の先生かは分からないんですけど、指導してくださって。そのときに第三の位置がおかしいって言われたんです。本来、弽は額から拳を前に一つ、的側に一つ離した位置にくるべきなのに、的側に出すぎだって。直そうとしてみてるんですけど、そうするとどうにも引きにくくて。なので、どこがおかしいか見ていただけたらなと。」

「なーるほどね。」

先輩が妙に納得した様子で頷いて言った。

「問題はもう分かった気がするけど、とりあえず何も考えず、いつも通りに引いてみて。」

「はい。」

私はひとつ大きく深呼吸をし、矢を番えた。自分にとって一番しっくりくる位置で第三をとり、引き分けてくる。綺麗に縦横に伸び合い、離れ―

『パンッ』

「「よしっ」」

的中の音に部員皆が声を揃える。私はほっと息をついた。

「いいね。それじゃあ次は、正しいと『されている』位置で第三をとってみて。」

「はい。」

同じように矢を番え、打ち起こす。確か第三の位置は、この辺―

「あー、おけおけ、もう大丈夫。」

引き分けに入る直前で先輩が止めた。私は大人しく弓を下ろす。

「あのね、真綾ちゃん、変える必要ないよ。元の引き方で全く問題なし。」

「えっ、そうなんですか。」

「うん。私も同じこと言われたことあるから。」

先輩が苦笑いした。

「弓道ってさ、すごい古い競技なわけじゃん?だから昔の人の体格にあってるの。今どきの子じゃなくてね。私も真綾ちゃんも自分で言うのもなんだけど、スタイルいいでしょ。だからね、どうしてもあわないのよ。」

先輩はそう言って、肩をすくめる。

「肩幅に対して腕が長いから、そうなっちゃうのは当たり前。それを標準に合わせて引こうとしたら、骨格を無視することになる。自分の身体にあわせて引くことが、一番大事なんだから。」

流石だな、と私は思った。やっぱり先輩は、なんでも知っている―

「って、昔私が悩んでたときにタッキーに言われた。」

「あ、タッキーの受け売りなんですね。」

「そういうこと。」

先輩がドヤ顔で言った。

「結構ね、あるのよそういうこと。例えば真綾ちゃん、胴造りのときどこに右手をあてる?」

「えーっと」

私は実際にやってみて、位置を確認する。

「腰骨のちょっと下ですかね。」

「そうでしょ。」

先輩が満足そうに頷いた。

「でもね、本来は腰骨の上にくるべきなの。なんだけど私たち昔の人に比べて脚が長いから、見栄えだけでも一緒にするために、本来腰骨が『あるべきはず』のところに手をあててるの。」

「知らなかったです。タッキーにこの位置って指定されてきたので、全員にとってこれが正しいんだと思ってました。」

驚いて目を見開く私に向かって、先輩は首を横に振った。

「ああ見えてもタッキー、生徒一人一人のことちゃんと見て理解してんのよ。」

そう言って二人でちらっとタッキーを盗み見た。今は一年生につきっきりで指導を行っている。

「だからね、真綾ちゃん。こう言ったらものすごく失礼かもだけど、私も真綾ちゃんも体格的に弓道向いてないの!」

そう言って先輩はカラっと笑った。そっか、と私は少し複雑な気持ちになる。私は今、褒められているんだろうか、それともけなされているんだろうか。

「真綾ちゃんは平気そうだけど、私とか琴葉とかはね、顔が結構とんがってるっていうか、シャープでしょ。だから頬骨が頬づけの位置よりも随分前に出ているもんだから、しっかりつけると顔をはらったりすんのよ。」

それを聞いて私は玲奈と七瀬を思い浮かべた。日本で断トツ、弓道に向いていなさそうだ。

「まあでもそんなこと言っててもしゃあないし、世間一般には恵まれたプロポーションに生まれついた者同士、頑張りましょ。」

先輩がそう言って私の肩を軽くたたいた。

「はい。ありがとうございます。」

そう言って私は、先輩に向かってお辞儀をする。それから先輩に続いて控えに戻り、一手、矢を手に取った。

体格なんか関係ない。先輩だって頑張ってるんだから。

私は自分に言い聞かせ、的前に戻った。


 「真綾ちゃん、ちょっといい?」

その日の帰り、振り返ると奈々子先輩がこちらに手招きしていた。

「はい、大丈夫です。」

先輩の方に向かうと、隣に立つ美鈴先輩が少し手を挙げてみせた。

「どうしましたか。」

私の中での女子の先輩ツートップはこの二人だ。タッキーに昔言われたのが、奈々子先輩は天才型、美鈴先輩は努力型だ、ということだ。ちなみに私は美鈴先輩と同じで弓道の才能はないから、強くなるためには努力型になる必要があるらしい。でもだからといって奈々子先輩が努力していないわけではない。私から見て一番弓道が好きなのは奈々子先輩だし、自主練にも欠かさず行って、練習方法も一番工夫している。二人とも、中学生のときから私の憧れだ。

「そうよ奈々子、どうしたのよ。こんなこそこそと。」

美鈴先輩も何も聞かされていないらしい。私は美鈴先輩と目を合わせた。

「別にね、二人を贔屓しようって、そんなんじゃないのよ。私が決められるわけでもないし。」

奈々子先輩が弁解するように言った。

「でもね、私は都総体、絶対二人と一緒に出たいの。だからプレッシャーかけるつもりもないんだけど、絶対トップチーム入ってね。」

これを聞いて美鈴先輩が笑った。

「自分がトップチームなのは確定なわけね。」

「そりゃあ、まあ。」

奈々子先輩がなんでもなさそうに肩をすくめた。

「私たちだって、入れるもんならトップチームがいいよね。ねえ、真綾ちゃん?」

「はい。」

私も笑って答えた。

「だってこの間の関東大会、すごく良かったでしょ?中学のときからよくこのメンバーで立組んでるし。私としても引きやすいというか、安心できるのよ。」

奈々子先輩が言うのを聞いて、私は浮足立った。こんなすごい先輩に、こんな風に思ってもらえていたなんて。

「それはそれは光栄なことで。」

美鈴先輩がおどけてみせた。

「美鈴、私本気で言ってるのよ。」

「分かってるって。ちゃんと頑張ります!最後だしね。」

美鈴先輩がびしっと敬礼した。私も真っ直ぐに奈々子先輩に向き直る。

「そんな風に思っていただけてすごく嬉しいです。私も先輩方の引退試合、一緒に戦い抜きたいのでタッキーに選んでもらえるよう、頑張ります!」

「あ、ごめん。私国体あるから、引退試合ではないのよ。」

「ちょっと奈々子!」

美鈴先輩が頬を膨らませた。

「せっかく真綾ちゃんいいこと言ったのに、そんなちっさいことわざわざ言う必要ないでしょ!」

「だって事実だもの。」

「先輩、国体も頑張ってくださいね!」

私は笑いながら言った。弓道部にはばっさりした性格の人が多い。私はそれが結構好きだ。

「ってなわけで、皆頑張りましょ。」

奈々子先輩が取り直して言った。

「はーい。」「はい!」

満足したように歩き去って行く奈々子先輩の後姿が曲がり角に消えると、美鈴先輩が私の方を振り返った。

「頑張ろうね、真綾ちゃん。正直言うと、私も奈々子と全く同じこと思ってたから。」

「はい、ありがとうございます!」

美鈴先輩は頷くと、奈々子先輩の後を追って歩いて行った。

 弓道部の好きなところは、皆が努力を認めてくれるところだ。学年とかそんなものは関係なしに、頑張りを認めてくれる。強くもない先輩が威張りちらしてて嫌だ、とか、私の方が上手いのに試合に出させてもらえない、とか、他の部活の子や他校の子からは聞くことがたまにあるけど、うちの弓道部では全くない。それに、私がトップチームに入るということは先輩を何人か追い抜かなければならないわけで、でもそれでも先輩たちは私の結果を認めてくれる。それ以上にとても良くしてくれるし、先輩全員が私の憧れだ。

 皆の期待にそえるようにこれからも努力し続けよう。私は心に誓った。

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