強面男の行進曲

C@CO

前編

 商店街の夏祭りに出店を出すこと。

 それは彼、細谷誠治にとって一年で最も心湧き踊るタイミングだ。


 毎年、祭りで華やかさが増す表通りから外れた、街灯もほとんどない暗がりの路地に出店を出す。表通りにある彼が営む生花店の前は別の人に貸す。妻の美里は「子供っぽい」と呆れかえっていたが、何年も続いていることだから何も言わない。


 明かりもわざと暗めにして、事情を知らない一見いちげんさんなら、目にした途端回れ右して引き返すような、そんな店構えにする。


 もちろん、出店の店番は誠治が務める。


「ガタイの良い身体に、そのスキンヘッドだろ。少しでも笑顔が出来ればいいんだが、表情を作るのは下手糞で、その顔の強面こわもてさ。それだけでも、初めての人間は大人でもビビるのに、照明が暗いから、陰影が出来て凄味が増すんだよ」


 とは、商店街の店主の中で組合長を務めている大先輩の言。


 なぜそんなことをするのかと言うと、近所の悪ガキどもが肝試しでやってくるから。彼の出店で買って戻ることが、彼らの毎年最大のミッションになっている。


「おっちゃん、元気か? 相変わらず、顔怖いなー」


「昨日の夜、オレの夢に出てきただろ。おっちゃん、怖い顔してんだから、出てくんな。慰謝料払えー」


などと誠治のことを見慣れて、時にはからかってくる悪ガキどもでも、この夜だけは彼の前に立つと盛大に顔を引きつらせる。


 外から来た転校生なら、ほぼ9割失敗する。逆に、成功すると、


「あいつは俺たちのスーパーヒーローだ!」


と、悪ガキどもによって祭り上げられる。


 最近の世の中の流れ的にどうなの? と思う人もいるかもしれないが、大丈夫。しっかりと根回しされているから。


「おう! 今年も頼むな。ちゃんと親御さんには話をしておいたから、思う存分やってくれ」


「中学生の男子には控えめにな。結構臆病らしい」


「ヤ〇キースの野球帽をかぶっている小学生は、ガッツリやってくれ、とのオーダーだ」


 近くの小学校、中学校の関係者もみんな知っている。というかグル悪だくみ仲間。PTAには何人も商店主仲間が入っているし、教師も誰かしらの知り合いがいる。今なら、小学校6年生のクラス担任の一人は誠治の高校の同級生で、中学校にも大学のラグビー部の後輩がいる。おまけに、この中学校の今の校長は誠治の担任だった先生でもあって、この取り組みを面白がって一番猛プッシュしている人だったりする。


 さらに、何かあったときのセーフティも近くに控えている。


「おっさん、元気?」


 近くの派出所に詰める若い警官なのだが、この出店を出し始めた頃に来た元悪ガキの一人だったりする。



「お、おぉ……いきなり出店モードで脅かすなよ、おっさん」


「なに、ちょうどいい練習相手が来たと思いましたから」


「クソ。明るい所でも、相変わらず、心臓に悪いな」


「なら、もうしばらく続けられますね」


「おっさんなら、死ぬまで続けられるよ」


 こんな感じで今では気安く付き合う仲でもある。


 でも、


 ――なぜ私の顔はこんなに恐ろしい顔をしているのでしょう。


 と誠治が思ったことは一度や二度ではない。今でも、鏡を見ると、思う時がある。


 彼の死んだ両親は商人らしく柔和な顔つきをしていたから、なおさらだった。


 営んでいる生花店の表に誠治が立っていると、ほぼ100%、中を覗き込んだ一見客は顔を引きつらせて、回れ右していく。商売そのものは、この厳しいご時世の中でもありがたいことに、ご贔屓ひいきの常連客たちのおかげで何とかやっていけている。とはいえ、一見さんも取り込んでいかないと先細りになるの分かっているのだが、この顔だとなかなかうまく行かない。


「いや、お前、その丁寧さが逆にインパクトになってんじゃね?」

「電話越しなら全然違和感ないんだが、実際会うとこの強面顔だかんな」

「おまけに、表情筋がほとんど動かないから、何を考えているのか、さっぱりわからん」

「もっとぶっきらぼうにするとか、無口になるとか。その方が良いんじゃね」


 などと余計なことを言うのは、3軒隣にある肉屋の主人である大西和也。ガキの頃から一緒に遊んできた幼馴染でもある。


 良く言えば強面で筋肉質の大柄の誠治の身体は、「男らしい」とうらやまれるかもしれない。だが、時に恐れられる顔、相手に圧迫感を感じさせる大柄の身体、周りに引け目を感じるアルコールを受け付けない体質、他のコンプレックス、諸々をこじらせた結果、子供の頃と比べて、言葉遣いや物腰がひどく丁寧になった。「卑屈」と言っても良いかもしれない。


 それでも、これまで何とかやっていけたのは、周りのおかげだ。誠治がまだ20代の時に両親が交通事故で死んで、店を継いだ時のゴタゴタしていた間、商店街の年かさの先輩たちにはずっとフォローしてもらった。和也を始め、若い頃一緒にバカ騒ぎした今でも仲のいい幼馴染も近くに大勢いる。


 美里もいた。中学高校の同級生だった彼女と紆余曲折うよきょくせつを経て結婚した。セックスレスだから子供には恵まれなかったが、


 ――満足できる人生を、家庭生活を送っている。


 少なくとも誠治はそう思っていた。


 そこにひびが入ったのは4か月前。





 


 通ったのは偶然。仲間たちの間では「ラブホ街」と呼ぶ、商店街近くにある向かい合わせでラブホテルが2軒ある通りを歩いたのは。


 その晩は、誠治たちの高校の同級生で東京の会社で働いている男が帰ってきたから、プチ同窓会が開かれた。場所は商店街から少し離れたところに最近オープンしたイタリアンバル。主役の男が翌日の仕事が早いとのことで、想定外に早めの散会になった。もちろん、二次会に移行する参加者もいたが、


 ――そうなると三次会、下手すると四次会からのオール徹夜は、もう若くないんです。

 ――勘弁してください。


 誠治は、翌日も仕事が朝から忙しい和也と一緒に、撤収することにした。


 初めての店であったから帰る道も普段とは違う。それで通ることになったラブホ街。この辺りは街灯がまばらで暗い。ほとんど唯一煌々こうこうと辺りを照らすのはラブホテルの入口の灯り。


 ――まるで誘蛾灯ゆうがとうのようですね。


 誠治は夜のラブホ街を十数年ぶりに通って、そんなことを思った。


 人通りも、日中でも少ないから、夜はほとんどない。


 そんな通りを男二人で歩く。


 ワインをしこたま飲んだにもかかわらず酔いをほとんど見せない和也の視点が1か所に止まった。


「あれ? あそこにいるのは美里じゃないか」


「……?」


「ほら、あそこ、プティベールの前……じゃ、お前は分からんか。こちら側のラブホの入口の前にいるの」


 「プティベール」は2軒あるラブホテルの片方の名前。子供が3人いるのにまだ夫婦仲は熱々の和也は使ったことがあったから名前を知っていたが、妻の美里とはセックスレスの誠治は利用したことがないから知らない。


「人違いではないでしょうか。美里は彼女の実家にいるはずです」


 誠治が同窓会に行くか美里に聞いた時、


「……うーん。この参加者なら止めとく。あんたが参加するなら、あたしは実家に帰っとくわ」


と返ってきた。確かに、今回の同窓会の参加者には美里が親しい同級生は一人も入っていなかった。誠治は美里の言葉を欠片も疑わなかった。


「おいおい。男と一緒にいるぞ。って、まさかラブホに入るのか」


 和也の目は、向かい合わせに2軒あるラブホテルのどちらに入ろうか相談している様子の親友の妻美里と親友とは違う男の後ろ姿を捉えていた。横にいる誠治の様子を見ても、まだ気づいていない。正確に言うと、妻の顔を判別できていない。その様子で、自分の視力が良いことと、彼の目が近視であることを思い出して、


 ――しゃあない。


 ポケットからスマホを取り出し、カメラを起動する。そして望遠モードを最大にすると、ディスプレイは二人の様子をはっきりと映した。


 カシャ。


 シャッター音が響く。


 美里たちがラブホテルに入っていく様子をしっかりと捉えた写真が撮れた。男の横顔も写った。


 向こう美里たちが暗がりにいた誠治たちに気付いた様子は無かった。


「どうだ。これでも見間違いと言うか? 誠治のスマホにも送っておくぞ」


と言って、スマホを操作する。送った後、再び撮った写真を見返すと、


「おい、マジかよ。津田の野郎じゃないか」


 一緒に写っている男に見覚えがあることに気付いた。


 津田隆一。最近、誠治たちの商店街で新しく焼き菓子の店を出した男だった。


「あの余所者よそものが! 誠治が色々目をかけてやったのに、恩を仇で返しやがって。おい! しめるか!」


 そこまで吐き捨てるように言ってから横を向くと、和也は後悔した。自分のスマホで送られてきた写真を確認していた誠治が、表情は欠片も変わっていないものの、まとう空気はズンと重くなり、落ち込んでいることが伝わってきたから。


 ――そりゃあ、ショックだよな。

 ――俺だって、もし、かみさんが他の男とラブホに入るところに行きあわせたら、首をくくりたくなる気持ちになる。


「……まあ、なんだ。……もし、あれだったら……見なかったことにするか? 誠治がそうするなら、俺も見なかったことにして墓場まで持っていく。今の写真も消す」


 だから、それまでとは声のトーンを一転させて、なぐさめるように、言葉を探しながら、声を掛けるのだが、


「……ええ」


 誠治からはそんな生煮えな返事しか返ってこない。


「おい! 大丈夫か?」


「……ええ」


「おい、何だったら、今晩、俺の家に来るか?」


「……いえ」


「おい! 本当に大丈夫か?」


「……ええ」


 結局、和也には生返事を繰り返す誠治を彼の自宅まで見送ることしかできなかった。


「なあ。もし、他人の声を聴きたくなったりしたら、遠慮なく、仕事中でも深夜でもいいから、電話かけてくるんだぞ。いいな!」


と言葉を残して。







 妻の美里が自分以外の男と一緒にラブホテルに入っていくのを見て、ショックではあったが、誠治の心には意外なほど怒りの感情は湧き上がって来てはいなかった。


 むしろ、美里に対しては、


 ――やっぱり。


 そんなあきらめにも近い感情の方が大きかった。結婚する前から、彼女に自分への恋愛感情が無いことを誠治は知っていた。結婚を求める両親から逃げるための妥協の結果だということを。


 ――一緒に生活をしていればパートナー意識が芽生えるでしょうか。

 ――子供が出来れば、「子はかすがい」とも言いますから、やっていけるでしょうか。


 そんなことを結婚してすぐの頃は考えていた。誠治自身、美里への恋愛感情はほとんど無かったから。事故で自分の両親を突然亡くした寂しさを埋めるための選択だった。


 だから、ふとしたきっかけがあれば、美里が他の男と不倫する予感はしていた。


 その予感が実現しただけ。


 美里の不倫相手の津田隆一は、東京で会社勤めしていたのを辞めて、去年夫婦で移住してきた。


「大学生の時、旅行で来たことがあるんです。一度だけのほんのわずかな時間でしたが、すごく印象に残っているんです。特にここの商店街の雰囲気、人のやさしさ。それがずっと記憶に残っていて、もし東京から地方に移住するなら絶対ここにする、ってずっと考えていたんです」


 初めて会った時、誠治たちの商店街で店を開く理由を情熱的に話していた。その彼のことを誠治ははっきりと覚えている。同時に、


 ――物好きですね。年々降ろされたシャッターが開かない店が増えるこの商店街で店を開くなんて。

 ――まだ30を超えたばかりで、若い奥さんもいるのだから、都会にとどまった方が良いのではないでしょうか。

 ――来るにしても、どうせなら、縁も所縁もない土地ではなく、もうちょっと縁のある土地を選んだ方がよろしいのでは。


 とも思った。


 それでも、


 ――同じ商店街の先達として、お手伝いしましょう。


 開店準備から、陰に日向に手を貸した。隆一が製菓学校を出ているからそのスキルを活かして、クッキーやマドレーヌなどを扱う焼き菓子の専門店を出したい、ということだったから手伝った。店が入る物件探しから、設備を納めてくれる会社との下交渉、材料の仕入れ先の紹介、エトセトラ。店と住むためのマンションの部屋を借りるための保証人がいないということだったから、商店街の組合が代わりをできるように手配した。難色を示す先輩店主たちを説得することもした。開店後も時々買いに行って売上にも貢献してきた。


 それが裏切られた。


 でも、そのことに怒りは感じなかった。むしろ、逆に、


 ――若くて美しい奥さんがいるのに、なぜ、美里と?


 不思議に思う気持ちの方が強かった。美里が特別不細工というわけではないが、ややふくよかな身体に服に原色を多用する色遣いが、時にどぎつく、時に実際よりも太って見えた。誠治からすると、服に繊細な色遣いをする隆一の妻の沙織の方が女性としての魅力は上だった。


 ――まあ、そこは個人の趣味嗜好と言うものですか。


 だから、誠治が下す選択は、


 ――結局、和也が言っていた通り、「見なかったことにする」が一番いいですかね。

 ――そうして波風立てない方が全て丸く収まります。

 ――和也を始め商店街の皆さんにも迷惑をかけません。

 ――私も含めて、みな大人なのですから。


 カチコチ。時計の音が響く中、自宅の彼以外誰もいない1つだけ点いた照明の灯りの下で、決めた。







 決めたが。


「ただいま」


「お……おかえり」


 翌朝、実家から戻ってきた体裁を取っている美里に対して、誠治は辛うじて返事を返すことができた。


 ――これは良くないですね。

 ――自分でも思っていた以上にダメージがあったようです。


 動揺し、嵐のように感情が荒れ狂う。


 誠治にとって想定外の感情の変化に、この時ばかりは感情が表に出ない表情筋の乏しい自分の顔に感謝した。


 加えて、


 ――あ、これはダメですね。


 近くを通り過ぎた美里から匂った、女性物の化粧品とは違う知らない香りを嗅覚で感じとった途端、同じ空間にいて同じ空気を吸うことすら苦痛になった。


 なので、日中、様子をうかがいに来た和也に、


「美里とは別れることにしました」


「お、おう。……決断、早かったな」


 ――しばらくの間グダグダ悩むと思っていたんだが。


 誠治の素早い決断に和也は少し驚いたものの、


「同じ部屋にいることすら苦痛になりました」


「……あー、それは大変だな」


 その言葉には同情するしかなかった。


「なら、さっさと離婚届を突き付けるのか」


「まずは証拠集めですね。彼女が浮気している」


 続いた誠治の言葉に、和也はまた別の同情をするほかなかった。


「……あー。それならな、準備できてる」


「?」


 おもむろに切り出された和也の言葉を、もちろん、誠治は理解できなかった。


「美里が浮気している証拠、全部揃ってる」


「?」


「俺のかみさんを始めとする商店街の女衆が、証拠を全部揃えていやがった。いつどこで会っていたのか、全部。もちろん、漏れはあるだろうが、素人目で見ても、これだけあれば十分だろ、という証拠、写真付きで全部揃っている」


「本当ですか」


「マジだ」


「もしかして、皆さんで相互監視でもされているのですか」


「恐ろしいこと言うな! やってないぞ、そんなこと。……多分」


 広がった重い空気に耐えられなくて、和也の言葉が早口になる。


「少なくとも、今回の出所ははっきりしている。昨日のラブホテル、あそこの2軒とも、高木のばあさんの持ち物なんだ。しかも、あのばあさん、いつもフロントの奥に陣取っていて、誰が入ってくるのか、全部チェックしているらしい。で、そこから女衆の間にだけ連絡が一斉に行ったらしい」


 二人の頭に「高木のばあさん」の顔が思い浮かぶ、今は家業の不動産屋を継いだ幼馴染の祖母で、二人とも幼い頃から可愛がられていた。遊びに行けばお菓子を分けてもらい、ヤンチャをすれば怒られた。


「和也は知っていたんですか。そのことを」


「いや、俺も今朝初めて知った」


「今朝?」


「だってな、朝起きたら、かみさんからオンラインストレージのアドレスが書かれた紙を渡されてな。『ここに美里ちゃんの浮気の証拠、全部揃っているから。もし、誠治君が離婚することを決めたら、渡してちょうだい』と言われたんだぞ。『は? なんだそれ?』って驚きで固まってしまった」


「それはご愁傷しゅうしょうさまで」


「本当に寝耳に水とはこういうことだな。それで詳しい話をかみさんから聞きだして全部一言でまとめてしまったら、『美里の浮気は女性陣には全部筒抜けだった』ということだ」


「恐ろしいですね」


「全くだ」


「悪いことは出来ませんね」


「……だな」


 さらに空気が重くなる。互いに何も言わなかったが、二人とも、その耳には商店街の女性陣の勝利をうたう高らかな笑い声の幻聴が響いていた。


「……で、どうする。証拠は揃っている。なんなら、今日中に離婚届を出してしまうか」


 少しして沈黙を破った和也に、誠治は肩をすくめてみせて、


「そんなに急急にはできませんよ。色々下準備も根回しも必要です。まずは、店のことですね。私一人でも回せるようにしないといけません」


「今までだって、お前一人で回していたんじゃないのか?」


 誠治と美里が結婚してから、美里が店の手伝いをすることはほとんどなかった。


 花卉かき市場から仕入れてきた生花を店に運び込んで、長持ちするように水揚げ処理をして、店内の花の水替えをして、鉢植えや観葉植物の手入れをして、エトセトラ。店の仕事は毎日山のようにある。それに水を大量に扱うから重労働だ。


 商店街の女性陣が彼女のことを受け入れなかった、ありていに言えば嫌っていたのは、そういう彼女の行動。パートとして他所に働きに出ることも無い。自分の趣味を磨き上げることもしない。商店街を盛り上げようとすることもしない。ただ、寝て、食べて、遊びに行く、ほとんどそれだけしかしていないところ。


 だから、美里が津田隆一と浮気していることを知って、これまでの憂さを晴らそうと……。


「大体はそうですが。店番とか電話番とか時々お願いしていましたから、完全に私一人で回すことが出来るように準備をする必要があります」


「そうだなあ」


「それに、彼女のご両親義父母にも話を通しておかないといけません」


「ああ……それは必要だな」


 表情を変えることはないものの、まとう空気を重くする誠治に和也は同情する。美里の両親は、死んだ誠治の両親の親友でもあった。誠治が美里と結婚することになったのを一番喜んだのが、美里の両親った。いつも何かと誠治のことを気にかけていたから「第2の両親」と誠治も慕っていた。そのことを和也は知っていた。


「まあ。まずは菓子折りを持って、高木のおばあさんにお礼と報告に行かないといけませんね」


 そう言う親友誠治を見て、昨夜よりはまとう空気が前向きになったと感じた和也は、心の中でホッと一安心した。


 ――自暴自棄になるような最悪は脱したかな?


 と。


 





 その日から、誠治は営む生花店を完全なワンマンオペレーションに切り替える準備を始めた。まずは、美里に任せていたことの洗い出しから始めて、離婚の準備と悟られないように少しずつ。


 すると、美里が外に出かけることが多くなった。誠治にとっては同じ空間にいることが苦痛だったから、幸いなこと。遊びに行こうが、隆一の下に行こうが、どこに行こうが、興味はなかった。


 SNSの管理も取り戻した。商店街の取り組みの一環で開設したのだが、仕事が忙しくて、美里に任せっきりだったのを、ログインパスワードを変更した。開設した時に1つ投稿されただけで、その後は何も投稿されていなかった。


 ――何のために作ったんでしょうね。


 と思ったのと同時に、


 ――まあ、もったいないですし。


 と少しずつ投稿をし始めた。


 顔が怖いから一見さんは大抵逃げてしまう。逃げなくても、身体が大きくガタイもいいから、圧を感じさせてしまう。ワンオペだから大変。生花店なのに花束造りがド下手。フラワーアレンジメントの教室に何年通ってもダメだった。華道教室にも通った。だけど、最後には「あんたには才能がない」と教室の先生からさじを投げられた。


 そんな自虐投稿を。


 そうしたらプチバズッた。


 ――うーん。どこにバズる要素があったのでしょう?


 誠治は首を傾げるしかなかったが、それでも一見客がポツポツ店に来るようになった。中には隣県から来た人もいたし、近所の悪ガキ同様に怖いもの見たさの好奇心で来る人もいた。ただ、彼にとって想定外だったのが、


「わっ! 思ってたとおり!」


「あ! 一緒に写真撮らせてもらってもいいですか?」


と若い女性が客として来るようになったこと。しかも、一人ではなく、何組も。さらに、花束を注文される。


「え? いいんですか? SNSを見てこられたのでしょう」


 聞き返しても、


「もっちろん! そのために来たんだから」


などと毎回返される。だから、それでも彼なりに頑張ったのだが、不格好な花束を見て、


「わあ! 花屋さんなのに下手ー! カワイイ!」


 その前半部は甘んじて受け止めるのだが、後半の「カワイイ」は誠治には全く理解できない言葉だった。だから、


「どうしてでしょう?」


「わからん!」


 「最近客が良く来てるじゃないか」と様子を見に来た和也に聞いたのだが、一言で切って捨てられた。


「これからどうしましょう? あまりお客さんが多く来られても、対応しきれないのですが」


「贅沢な悩みだな。バイトを雇うか?」


「雇えるほどの売上がありません」


「なら、仕事に入るのがOKの新しい嫁さんを探すか?」


 軽く言う和也に対して、


 ――聞く相手を間違いましたね。


 誠治はそう思うしかなかった。


 こうして、準備は整う。





************





登場人物紹介


・細谷誠治

主人公。生花店の二代目。アラフォー。

色々なコンプレックス持ち。強面、表情筋があまり動かない、ガタイの良さ、花を飾るセンスがない、xxxが大きい。

・細谷美里

誠治の妻。誠治とは中学高校の同級生。

・大西和也

誠治の幼い時からの幼馴染。精肉店の二代目。店は隣県から買い物客が来るほどの繁盛店。


・高木のばあさん

商店街の一角で不動産屋を営む。地主の一面も持っている。不動産屋の方は、誠治たちの幼い時からの幼馴染である孫息子に委ねていて、普段は……。

・商店街の組合長

御年xx歳だが、まだまだ矍鑠かくしゃくとしている。「若いもんには負けん」が口癖。若い頃は全国各地を飛び回っていた。その縁で広い人脈を持つ。


・津田隆一

製菓学校を卒業。東京から妻の沙織と一緒にIターンとして移住してきた。

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