第30話 天地(11/30の分)

 東京メトロの大手町駅から徒歩三分ほどの距離に、それはあった。ビルの建ち並ぶオフィス街に設けられたその場所に、香坂は背筋を正す。

 将門塚。将門公の生首が、晒されていた京都から飛び去り落ちたとされる場所だった。白い砂利が敷かれ、中央に置かれた御首の祀られた塚へと石畳で道ができている。

 壊されそうになる度に災いを惹き起こす恐ろしい場所とは思えない、神聖さを感じる。

 入り口の所にある説明文に目を通せば、東京都指定旧跡とある。続けて将門公の首伝説と、彼が関東で派遣された役人の悪政や災害に苦しめられていた人々の窮地を救う勇士であったことが記されていた。今では、首が京都から東京へと飛んで帰ってきた伝説にあやかり、長旅からの無事の帰還や、左遷から帰って来られるようにの願掛けもされているそうだ。

 京の都からは朝敵と恐れられていたが、関東の民からしたら弱気を助け強気を挫くヒーローだったのである。天と地の差である。

 お辞儀をしてから石畳を進み、香坂は将門公の首塚の前に立つ。二礼二拍手の後、深く礼をしながら香坂は元の体に戻れた感謝の報告と、今から向かう先での重大な任務の成功と、無事にヒロコの元に胸を張って戻れますようにと偉大なる生首の先輩に祈りを捧げ、一礼をする。

 

 何処とも知らぬ関東の田舎から、重い荷物を引き摺り東京まで戻ってきた香坂は、ヒロコとの約束通り妻へと連絡を取ることにした。

 共通の友人に妻の連絡先を聞けば、すんなりとことは運び、すぐに妻と電話が繋がった。

 時間は経ってしまったが、家庭を省みずに妻の寂しさに気づけなかった事を心から謝る。

 これで許されるとは思わないが、今の香坂の気持ちの全てだった。

 しかし、元妻からの反応は意外なものだった。

 実は、貴方に伝えなくてはならないことがある。そこから、香坂は信じられない事実を知ることになる。

 妻は当時、香坂の子供を身籠もっていたのだ。しかし、自分を養うために仕事に精を出す香坂の負担になると思い言い出せず、心を病んでしまった。日々募っていく不安と悲しみに耐え切れず、離婚届を置いて家を飛び出したのだという。

 その後、実家に戻った彼女は出産し、別の男性と結婚したのだという。そのまま結婚相手が実の父だと偽り、幸せな家庭を築いていた。

 きっかけは、献血だったそうだ。子供が教えられていた血液型と、実際の血液型が違うことを怪しく思い、問いただされた時に真実を告げた。そこから、親子の関係は悪化してしまったと言う。

 その時、あの夜のヒロコの寂しそうな呟きを思い出し、会わせてくれないかと気付けば口に出していたのだ。


 元妻から教えられた住所を確認しながら、香坂は緊張しながら歩く。初めて会うのにスーツは固すぎたか、など不安ばかりが頭に過ぎる。

 未だに首元に支えがないと不安で、ネクタイを締めているだなんて言えるわけもない。

 こんなことなら、ヒロコに若者の好みそうな菓子でも聞いておけばよかったと、手にしたどら焼きの詰め合わせが入った紙袋さえ重く感じる。

 住宅街に入り、いよいよ目指す建物が近づいて来た時だった。香坂は思わず立ち止まる。アパートの駐輪場に停まった自転車に、見覚えしかないのだ。

 壊された鍵の代わりに急遽取り付けたチェーンロックに、人の頭がすっぽり収まるほどのカゴに鼓動が早まっていく。

 緊張で気が付かなかったが、見渡せば周囲の景色にも既視感しかないではないか。

 何度見返しても送られた住所はここを示しており、混乱しながら香坂は階段を登って部屋番号を探す。

 辿り着いた部屋の前、ポストに提示された名前で全ての謎が解けると同時に、叫び出したいほどの恥ずかしさが込み上げてくる。

 だが、ここで逃げるわけには行かない。

 意を決してインターフォンのチャイムを押せば、呼び出し音と共に、はーいと聞き慣れた声がし、ガチャリと扉が開いた。

「おかえり、おじさん」

 ヒロコのにんまりとした表情で、全てお見通しなのが分かり顔が熱くなる。

「お父さん、の方が良い?」

「いや、やめてくれよヒロコくん……」

 どうぞ、と案内する声にも笑いが滲んでいる。

 何もいっぺんに叶えてくれる事はないのにと思いつつ、香坂は将門公の御利益を痛感するのだった。

〈了〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リビングヘッド ヤマダ @yamaroda74

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ