第19話 置き去り(11/19の分)

 夕日に変わりつつある町で、ヒロコは自転車を走らせていた。カゴの中にはヘルメットが置かれ、中には香坂の首が入っている。

 まさか、生首のまま外に出るとは思わなかった。フルフェイスのヘルメットとゴーグル越しのせいで視界は良くないが、首下にタオルを置かれていても自転車の振動を感じる。

 わざわざ千鷲からヘルメットを借りてきたそうだ。確かにこれなら中年男性の頭部を周囲から隠せるが、ヘルメットを被るでもなく自転車のカゴに入れて移動する女子大生は、それはそれで怪しい気もした。

 もしも自分が生首であることがバレたらと思うと気が気じゃなくて、通り過ぎる景色を楽しむ余裕は香坂にはなかった。

 しばらくカゴの中で揺られていただろうか。振動に酔って少し気持ち悪くなった辺りで、ようやく自転車が止まる。夕闇が深くなる中、店から漏れる煌々とした灯りが眩しい。

「ここら辺で出るんだって」

 片耳につけた通話機能付きのワイヤレスイヤホンにヒロコの声が届く。わざわざ光る人影の正体を探るために買ったのだそうだ。

 落ち着いて周囲を見てみれば、そこは香坂がかつて住んでいた社宅の近くにあるスーパーの駐車場だった。少し前までの風景を懐かしく感じつつ、ここを自分の胴体がうろついているのかと思うと恐ろしさもある。

「光る影は夜になってから現れるみたい。自転車を盗んで、持ち主が追いかけた所を襲ってくるんだって。でも、助けを呼ばれると立ち所に消えてしまうみたい」

「それ、本当に俺の身体なの?」

「わからない。でも、頭を失って暴走してるのかもしれないし」

 そこはきっぱり違うと断言して欲しかったが、ここまで付き合ってくれているヒロコには感謝しかなかった。

 何かあったら呼んで、とヒロコはスーパーの中に入り自転車のカゴに香坂を置き去りにする。

 ヒロコの聞いているであろうやけに明るいBGMと人の気配に香坂も耳を澄ます。人々の日常が行き交う場所で、なんて自分は異質な存在なんだろう。カゴの目越しに見える世界に自分は戻ることができるのだろうか。

 自転車のカゴに収まるほどにちっぽけになった自分の存在と、明るい店内を隔てる壁はとてつもなく厚く思えた。


 囮としてじっとしていた香坂が、うとうとと微睡始めた時だった。ガシャン、と大きな振動で一気に目が覚める。ヒロコが帰ってきたのかと思いきや硬いもの同士がぶつかる乱暴な音は止まず、自転車の鍵が壊されているのだとようやく気付く。

「ヒロコくん!! ヒロコくん、聞こえるか!?」

「なに? うるさくてよく聞こえない」

 呼びかけるも、ガシャガシャと言う音で言葉は掻き消されてしまう。音が止んだと思うと、そのまま自転車は動き出す。

「ヒロコくんっ、助けてくれっ!! 今俺は、自転車ごと盗まれている!!」

 可能な限り小さくした叫びを残し、香坂を乗せた自転車は闇夜へ向かい走り始めた。

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