第12話 湖(11/12日分)

 天沢司は派遣社員だった。数ヶ月の間、香坂の会社で働いた後に期間満了で惜しまれつつ去っていった好青年である。 

 可愛げのある若者で快活で人懐っこく、その上仕事もしっかりこなす。彼ならどこででも上手くやっていけるだろうと、誰もが感じていたに違いない。うだつの上がらない香坂にも、笑顔で接してくれたのを覚えている。

「それで、おじさんが生首になったのはその、天沢さんが関わってるかも知れないって?」

 何かあれば相談すると約束して千鷲を見送った後、来客用のカップを洗いながらヒロコは香坂に尋ねる。

「いや、単に最後に会ったのが彼だっただけで、関係あるかどうかさえ判断つかないけども」

 夢に手掛かりがあるかもと言うヒロコの言葉を真に受けて言ってしまったが、本当に飲み屋での記憶が蘇っただけなのだ。それに派遣社員だった彼に偶然にも会えて、尚且つ自分を覚えていて貰えたのが嬉しくて飲み過ぎたなんて思い返すと恥ずかしくなってくる。

「せめて最後に会った時のおじさんの様子を聞けたらと思ったけど、派遣社員だと今の連絡先とかは教えてくれないだろうしね」

 戻ってきたヒロコは、香坂の対面に座りため息を吐く。結局、千鷲に見て貰ったのも、最後に誰と会っていたか判明したのも、香坂の生首化の解決には繋がらなそうだ。

「おじさんは、オーディンって知ってる? 北欧神話の最高神なんだけど」

 ローテーブルに置かれた書物の首塚から、ヒロコはまた一冊を持ってきて香坂の前に広げる。

そのページには文字の他に、唾の広い帽子と白く長い髭を蓄えた老人が、巨人に見守られながら水を湛えた器を口にしようとする絵が載せられていた。

「本来、このミーミルという知恵の巨人はオーディンの伯父にあたっててね。神同士の戦争の後、和睦の証として相手方にヘーニルと共に人質として送られているの。

でも、狩猟に据えたヘーニルはミーミルに相談してばかりで、失望した相手方はミーミルの首を切り落としオーディンたちに送り返した」

「とんだ、とばっちりじゃないか?」

「まあね。そこで知恵のあるミーミルの死を悼んだオーディンは、首が腐らないように薬草を擦り込み魔法で復活させて相談役にしたの。ミーミルは飲んだ者に知恵を与える泉の番人でね、オーディンも片目を担保にいれる代わりに泉の知恵を分け与えられてる」

 ほら、と指差した挿絵はその場面を表しているそうだ。多くの知識を有する生首に、最高神が相談に来るのは不思議な光景にも思えるが、神話の世界では大して不思議でもないのかも知れないと香坂も無理やり納得する。

「生憎、俺は会社の機密事項も重大な情報も握ってないから生首として生かす価値はないぞ?」

「だよね。おじさんは知恵の泉より、湖の方が似合うもん」

 どう言う意味か考えあぐねていると、犬神家みたいな、と付け足される。

 湖面に突き出た両脚ならぬ生首を想像して、その間抜けさに眉を顰める。

「間抜けっぽいってことか?」

「いや、殺されたんじゃないかって」

 ヒロコの言葉の剣呑さに、香坂は思わず生唾を飲み込んだ。

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