第五十五話 逃げなかった理由

「くそっ これも使わなきゃか。はあ!」


 直後、リックの目の前に地獄の業火を圧縮したような球――獄炎球ヘルフレアボールが出現した。

 これが全力のリックが成せる技――上級魔法の完全無詠唱。

 Sランク冒険者でも限られた人しか出来ないその技に、レイは思わず目を見開く――が、迫る死にただ茫然とするなんて真似は冒さない。


「だあああっ!」


 レイは勢いよく地を蹴ると、全力で後ろ上空へ跳び上がる。その高さはおよそ20メートル。

 一方リックはその勢いで地面が割れたことでバランスを崩す。

 お陰で獄炎球ヘルフレアボールの軌道が逸れ、獄炎球ヘルフレアボールはレイの遥か右を飛んで行った。


(くっ 流石にヤバい……)


 何もない上空では撃たれ放題だと判断したレイは、襲撃者――リックの仲間がいる地上へ勢いよく下りる。リックの仲間がいる地上なら、そう闇雲に上級魔法は放ってこないのではないか、と思ったからだ。

 すると、リックは再び完全無詠唱で獄炎球ヘルフレアボールをレイに放つ。風槍ウインドランスのように同時に何発も使えないのは幸いと取るべきなのだろうが、それでもマズいことに変わりはない。


「くっ はああ!!」


 レイは再び地を蹴り、勢いよく後方へ跳ぶことで、獄炎球ヘルフレアボールを回避する。


「くっ あ、バラックさん!」


 後退に後退を続け、気がつけばレイはバラックたちの所に戻っていた。だが、そこの戦況は一言で言えば最悪だった。

 ほとんどの仲間は既に倒れており、とどめは刺されていないようだが、もはや戦うことなど不可能。そして、戦えているのは満身創痍となったバラックとノイズ、そしていつの間にか黒の支配者カースロードを解除して、直接戦闘に切り替えていたルイだった。

 すると、バラックが口を開く。


「レイ。お前は逃げろ。ここは俺らが食い止めるから」


 バラックの言葉に、レイは目を見開く。

 すると、バラックの言葉に賛同するようにノイズとルイも口を開く。


「ええ。この状況ならいずれ全滅です」


「ああ。ここまで消耗した俺たちじゃもう逃げきれないからね。あ、俺は逃げられるか。黒魔の呪いブラックカース!」


 ノイズは片手剣を振りながら、ルイは呪いを広範囲に散らして敵を寄せ付けないようにしながらそう言う。


「……うん。分かった」


 レイは言葉を詰まらせるも、直ぐに頷く。

 3人が足止めしてくれるのなら、自分は生き残れるだろう。なら、それで十分だ。

 これからのことは、これから考えればいい。

 そう思うと、レイは直ぐに背を向け、走り出す――かに思えたが。

 何故か、レイの足は動かなかった。


(な、何故動かないの!?)


 魔法によるものではない。だが、何故か動かない。まるで足を石化させられたようだ。

 そして、何だ? このこみ上げてくる感情はなんだ?


(分からない。どういうことだ? 僕は生きたいんだよな! なのに何で動かないんだよ!)


 レイは頭の中を支配する理解不能な感情に混乱する。

 生きたいと願い、生きる為ならあらゆるものを犠牲にすると決めた僕が、何故死地から逃げようとしないんだ。

 だが、そう考えればそう考えるほど、頭の中がぐちゃぐちゃになり、より一層混乱する。


「……!?」


 ふと、死の気配を感じ、レイは振り返る。すると、すぐ目の前に地獄の炎――獄炎球ヘルフレアボールがあった。

 あと、2メートル。

 これは――避けきれない。

 あの魔法すら唱えられない。

 だが、それでも抗おうとレイは動く。

 その直後のことだった。


「ぐああああああ!!!」


「!?」


 目の前に突然バラックが現れ、剣を盾にするように構えて獄炎球ヘルフレアボールを受けた。

 バラックが、残る魔力全てをそのミスリル製の剣に込めたお陰で、何とかレイの元まで到達することなく、やがてふっと消滅した。

 だが、その圧倒的な熱量をほぼ直接受けたバラックが無事であるはずがなかった。

 全身が炭化し、今にも息絶えそうな状態だ。


「が……は……」


 そして、仰向けに倒れた。


「バラックさん!」


 レイはすぐさまバラックに駆け寄る。そんなレイの目には、いつの間にか涙があふれていた。


「に、げ、ろ……」


 バラックはその唇を震わせて、何とか言葉を紡ぐ。

 だが、レイは何かに押されるように限界突破オーバーロード常時回復オートリカバリーを解除すると、詠唱を唱えた。


「魔力よ。万物を癒す光となれ。その光をもってして、この者の傷を全て癒せ。完全回復フルリカバリー!」


 そして、残る魔力全てを使って最上級光属性魔法、完全回復フルリカバリーを行使する。

 すると、まるで逆再生するかのように傷が癒え、あっという間にバラックの傷は完治した。


「な、何故逃げなかった! 生きたいんじゃなかったのか!」


 傷が完治したバラックは、直ぐに声を荒げて叫ぶ。

 その言葉に、レイは咄嗟に叫び返した。


「大切な仲間だからだ! ……ッ!」


 そして、自分の言葉にはっとなる。


(そうだったのか。僕は……そうなのか。だから逃げなかったの……?)


 何故、自分が逃げなかったのか。

 その理由が今、はっきりと分かった。


「……うん。僕は生きたい。それは変わらない。これからもずっと、様々なものを犠牲に生きようとするだろう。だけど、僕は大切な仲間であるバラックさん――皆にも生きていて欲しい。だから――」


 命を少し使うね。

 そう言って、レイは目を見開くバラックから立ち去ると、襲撃者を見据える。

 一方、襲撃者たちは今もなお、ノイズとルイを相手に戦っている。レイたちの方は見てすらいない。リックの魔法で、バラックとレイの2人はもう障害になりえないと思っているのだろう。

 そんな中、リックだけはレイを見ていた。


(これで終わりだな……)


 リックは悪の道へ堕ちたレイをこの手で殺すことが、友人としてすべきことだと思うと、レイの最期の攻撃に備えて構える。

 その直後のことだった。

 レイが、誰も知らない奇妙な詠唱を紡ぎ出した。


「命よ。燃やせ。魔力とかせ。生命力転換サクリファイス!」

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