織田からの使者③
「嘘ー⁉」
盃を片手に叫ぶ愛姫。
刻は夜。
謁見の間からは先ほどの重々しい空気は抜け、奥羽自慢の料理と地酒が並んだ宴会場に姿を変えていた。
上座の前で、輝宗から直々に地酒を振る舞われている光秀。
愛姫が叫んだ原因は、彼の一言によるものだった。
「
その眼で愛姫を見て来い、と信長は光秀を使いに出したわけで、家臣として召抱えろとは命令してはいない。
今回の勧誘はあくまで光秀独断の行動であると、そう説明した。
「じゃ、じゃあもしも、もしもよ。私が織田に行くって言ったらどうしたわけ⁉」
お酒で顔を火照らせた愛姫が問う。
前回の反省を生かしつつ、今回は自分のペースで酒を口にする。左月と飲んだ時は、急激に気持ち悪くなり、せっかく貰った戦服を汚しそうになったのを憶えている。
「ハハハ、その時は冗談であると申すであろうな。いくら織田と伊達の仲といえど、こればかりは無事に帰れると思いませぬ」
「冗談にも程があると思うが……」
笑いながら扇子で頭を叩き、盃の酒を勢い良く飲み干す光秀に、困り果てた様子の輝宗。空いた盃に、再び酒を注ぐ。
「じゃが、愛よ。お主どうやって信長公のやった馬揃えを予言したんじゃ?」
「え?」
政宗は愛姫に問う。
そう。今回光秀が米沢城に来たのも、そもそもはこれを調べるためである。
上座の近くにいる皆が、愛姫に視線を向ける。
「や、やだなぁ。まさか本当に予言したと思ったわけ⁉ 偶然よ、偶然」
「ぐ、偶然?」
あまりにも中身の無い答えに、光秀は逆に困惑する。時期や余興の内容を全て当てたのだ。偶然の訳がなく、何処かで情報が漏れたのだと光秀は思っている。
「偶然なんて……、何かカラクリがあるので御座いましょう?」
「いやいや、ホントに偶然だって。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるって言うじゃない」
内心焦りながらも、全力で誤魔化しにかかる。
疑いの目を向け、何度も問い詰めるが口を割らない愛姫に、光秀は諦めた。
「でもまあ、織田領内に伊達の忍びの痕跡はありませんでしたから、本当に偶然の当てずっぽうなのかもしれませんな……」
「そう、偶然よ! そんな神様みたいな力が私にある訳ないじゃない! ほらっ光秀さん、飲んで飲んで!」
今度は光秀の盃に、愛姫がお酒を注ぐ。内心何とか誤魔化せた事に安堵している。
光秀は酒を注ぐ愛姫を見ると、自国の君主について語りだした。
「しかし、愛姫殿の伊達を想う心、この光秀感服致しました。我が君主も少しだけそのお心を持っていただければ……」
光秀は盃に自分の顔を浮かべた。何とも悲しい、哀れみに満ちた表情である。
「信長……、じゃなくて信長さん、何かあったの?」
ついついタメ口になりそうな所を瞬時に言い直す。お酒が入ると色んな所が緩んでしまうのでいけない。
光秀は全てを語る事はなかったが、今の信長は変わってしまったと愚痴を漏らした。
仕えた時は凛々しく、勇ましく、更には天すら味方につけ、麒麟が如く豪快な御方だったと言う。
それが今では血に飢えた獣が如く、天下布武を急がんと躍起になっている。
不満を漏らす者がいれば、身内であろうと容赦なく切り捨てる。その心は悪鬼羅刹そのものだと語った。
この時、上座近くで光秀の話を聞いていた者達は凍り付いた。
傍から見れば、酒に酔った勢いで日頃の不満を溢しているように聞こえる。
だが、見方を変えれば、これは警告にも聞こえる。裏切るような動きを見せれば、織田は伊達を攻めるぞと言っているのだ。
しかし、愛姫だけは光秀の言葉に同情した。
理由は、この後に起きる有名な事件『本能寺の変』である。
史実通りであれば、約一年後光秀は本能寺で信長を自害まで追い込む。事の原因は色々の説があるが、有力なのは
光秀は信長の正室である
その後、帰蝶は突然姿を消し、義昭は京を追われる始末を受けている。恨んでいても仕方がないのだ。
(でも、この眼は何だろう。怨み……?)
(違う、光秀は悲しいんだ。自分の憧れた信長が、共に夢見た天下布武が変わってゆくのが……)
そう解釈する愛姫。そして悩める顔に、昔の自分を当てはめていた。
(それでいて、詰まらなそうな顔。この後がどうなるか、結果が分かっている顔だ。中学生の私を見ている気がする)
なら答えは簡単。そんなのが嫌で陽徳院 愛華は変わったのだ。それを光秀に教えてやればいい、と愛姫は腕を組みながら偉そうに語り始める。
「そんなので悩んでるの⁉ 光秀さんの言いたい事を、そのまま素直に信長さんへ言ってやればいいのよ!」
愛姫の突拍子の無い答えに、広場全体が凍り付く。
お酒で少し頬が赤くなった光秀も、無神経の答えにムッっとした表情を見せる。
「それが出来たら苦労致しませぬ! 愛姫殿は拙者の立場を考えて頂きたい!」
「立場なんて関係ないわ!」
光秀の正面に移動し、お互い睨み合う。
流石の無礼に、光秀のお付きの兵が立ち上がる。
「貴様! 光秀様に何たる無礼な――」
立ち上がる兵に腕を出し、引き止める政宗。
「政宗殿⁉ 何を⁉」
「愛の無礼は詫びよう。じゃが、ここは酒の場ゆえ、しばし様子を見て貰えんだろうか」
政宗はその場でお付きに詫びを入れる。
一国の次期当主が頭を下げたのだ。これを無下にすればどうなるか、わからない兵達ではなかった。仕方なく、その場に座り戻す。
「アンタ、信長に何年仕えてんだ⁉ これまで一回も意見しなかったわけ?」
「そ、それは……」
光秀は愛姫の言葉に、
共に天下を語り合い、戦の策を練り、時には意見もぶつかった。そんな何十年も前の記憶が光秀の脳内を駆け巡る。
「今の信長様は拙者の意見など聞きませぬ! 進言致しても、虫の戯言のようにあしらわれるのです!」
光秀の声が高々に響く。会場は更に静かになり、皆の視線を一斉に集めた。
「虫ねぇ……。相手にされないなら……、この距離で話したら? いくら信長でも、これじゃ払う事出来ないわよ」
愛姫は光秀の胸ぐらを掴み、顔と顔数センチまで無理やり近づけた。
当然光秀のお付きは怒るが、横では政宗が何とかしてくれている。
「あ、愛姫殿……」
「…………」
愛姫は手を放さない。
「主を立てるのは良い。だけど、私から見たら今の光秀さんは自分が傷つくのを恐れて他人のせいにする、ただの臆病者よ」
「……!」
この時、光秀は愛姫の後ろにかつての信長を見た。
その影を支えているのは麒麟ではない。桃色に輝く一輪の華。大きな蓮の華の残像が、愛姫の偶像として現れたように見えたのだ。
圧倒的カリスマ性などとは無縁な、泥沼から生える一輪花。髪の色か和服の模様がそう魅せたのかはわからない。
ただ、信長とは違う人を魅了する力、それを愛姫は持っていると光秀は感じ取った。
光秀の緊張が解けた。肩にのしかかっていた重荷が取れてしまったように清々しい。
そう思うと、こんな事で悩んでいる自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。
「プッ、ククク……。アハハハ――! 臆病者かっ! 確かに、その通りでありますな!」
歳が十五もいかない小娘に、自分の心情を暴かれたのだ。もう笑うしかない、と光秀は思い声に出した。
「信長様はいずれ気付いてくれる。それこそが我が傲りであり、
愛姫も光成の服から手を放す。お互い言いたい事を言ったおかげで、とても清々しい表情をしている。
「拙者にここまで言ってくれるお方は上様以外おらん故、何だか終生の友を得た気持ちでござるよ」
「フフ、それは良かったじゃん!」
そう言ってもらえると悪い気はしない。光秀も人の子なんだな、と愛姫は改めて思った。
――――――――――
「いいぞ! もっとやれ!」
酒の場が始まって約二時間。
会場に響く煽り声。唄と手拍子に合わせて、出来上がった家臣達が踊り回っている。
皆が盛り上がっている中、ブルっと愛姫は身体を震わせた。さっきの出来事が中途半端に酔いを醒まし、身体が冷え尿意を
「ちょっとトイレ……」
愛姫はその場を立ち、そそくさと広場を出て便所に向かう。
(うぅ……、やっぱり飲み過ぎた……。ちょっと気持ち悪くなってきたかも……)
フラフラと柱に摑まりながら廊下を歩く。季節は夏だというのに、夜風は何だか冷たく感じた。
さっさと用を済ませ、自室で休もうとも考える。
「それにしても、まさか明智光秀が来るとはねぇ……。予想外過ぎるっての……」
歩くのも辛くなり、柱に肩を押し付け身体を支えながら、今日の出来事を独り言のように振り返る。
「光秀若干闇墜ち気味だったけど、これって『本能寺の変』の伏線だったりしてね。だとしたら私が介入した事で、光秀が信長を殺す未来が無くなる可能性も出てきたわけよね? そうなったら歴史ってどうなるのかしら?」
ギシギシと廊下の軋む音が小さく聞こえるが、酔った愛姫は気付いていない。
ブツブツ呟きながら休憩する愛姫の後ろに、闇の中で眼の色を変えた男がゆっくりと立っていた。
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