第5話 会いたかった大魔女にようやく会えました。

 翌日、私が目覚めたのは昼過ぎだった。宮医が呼ばれたことも知らずに寝ていたらしい。心身ともに疲れ果てたのは確か。

 ベッドルームの隣室にあるドレスルームで、マイラが選んだ深紅のドレスを身に着ける。アクセサリーもルビーで揃えられた。

「全身、赤?」

 昨日から赤一択。

「皇太子殿下のお色ですから」

 婚約者や恋人の色をひとつでも身に着けるのは淑女の嗜み。

「アイリーンの服は赤ばかり?」

 ドレスルームにある衣類やアクサセリーをすべて見たわけではないけど、今のところ、明るい赤から渋い赤まで赤一色。

 宝石箱や扇など、皇室の紋章入りアイテムは目についた。なのに、カーライル公爵の紋章入りはない。実家から冷遇されていた? 

 兄には先祖代々の物が譲られたけど、私には何もなかったし、生前贈与もなかった。ここでも同じかな?

「リボンでも髪飾りでも耳飾りでも首飾りでも靴でも、いつもどこかに皇太子殿下のお色を身に着けていました」

「アイリーンに赤は毒々しい。悪女じゃない?」

 肌は透き通るように白いし、髪も瞳も金色だから、どんな色でもあう。けど、深紅はアイリーンの華やかな美貌が際立ちすぎる。……うん、悪女そのもの? 

「……お、お似合いすぎるだけです」

 マイラ、好き。

「アンジェリカみたいに清純そうな白やピンクのドレスはどう?」

 カメリアの花園で白とピンクは最強色だと聞いた。なんだかんだ言いつつ、男はそういうタイプに弱い、って。

「アイリーン様、アンジェリカ様をお気にすることはありません」

 マイラに鼓舞されるように言われ、私は苦笑を漏らした。そんな気はなかったけれど、どこかで引っ掛かっていたのかな?

「マイラ、ここは皇太子殿下の宮殿よね?」

「さようでございます」

「私の部屋は皇后宮にあったのよね?」

 皇帝の権威を象徴した皇宮がどれだけ豪華で広大か、カメリアの花園でも話題に上った。皇宮はひとつの街のように広く、本宮のほか北宮や南宮、皇后宮や皇太子宮など、幾つもの建物が並んでいる。皇宮内を馬車で移動するどころか、ゲートを使うこともよくあるという。

「昨日より、アイリーン様のお部屋は皇太子宮になりました」

 マイラは頬を紅く染め、嬉しそうに微笑んだ。本宮の東にある皇太子宮の主人は皇太子殿下だ。

「……え? 昨日?」

「昨日、皇太子殿下がお申し出になり、皇帝陛下と皇后陛下がお許しになられたのです。お荷物も移動しました」

「……じゃ、このドレスルームもアイリーンの部屋?」

 借り間にアイリーンの私物を運んだとばかり思っていた。

「アイリーン様専用のダイニングルームやリビングルーム、ライブラリー、ゲストルームもございます。食事の後にご案内しますね」

 周囲を見回せば、ドアが三つもある。バスルームやトイレのドアもあるけど、すべてアイリーン専用の部屋に続くドアだ。

「アイリーン専用、いったい何部屋あるの?」

「今は少ないけれど、ご成婚されたらもっと部屋は増えます」

「多いよ」

 ドレスルームで身なりを整えてから、豊穣の女神像が飾られたリビングルームでブランチを摂る。天然大理石のテーブルにはサーモンのパイやカシューナッツのスープ、マッシュルームのサラダが並べられた。すべてアイリーンの好物だったという。

「……美味しいけれど、アイリーンは出てこない」

 新鮮なサーモンをパイ生地で包んで焼いたんだから不味いわけがない。濃厚なスープもアップルヴィネガーのドレッシングがかけられたサラダも絶妙。

「アイリーン様、思いつめないでください。時間がすべて解決する、と宮医も申していました」

 宮医のその言い回しを信じたら詰む。

「時間が解決する前に投獄されたくない」

 昨日のカーライル公爵の冷徹な目が、私の心に突き刺さっている。皇太子殿下の本心もわからない。

「……そ、そんなことはありえません」

「カーライル公爵はあれから何か?」

「何もございません……ないと思います」

 見通しがつかない今後を考えれば食欲は湧かない……わけではなく、デザートのジンジャーケーキまで平らげた。

 食後、薔薇で香り付けした紅茶を飲みながらまったり。

「大魔女のパメラは?」

 皇宮専属医師より皇宮専属魔女に会いたい。隣国との戦争も大魔女の暗躍があったから終結したという。レオノーラの師匠自慢のひとつ。

「体調を崩して療養中です」

「……療養中? 昨日、そんなことを聞かなかった」

「皇太子殿下もご存じなかったようです。私たちも知りませんでした。弟子が上手く隠していたようです」

「大魔女が体調を崩して弟子が隠して……皇室でそんなことがまかり通るの?」

 多種多様の攻撃や呪詛を受ける皇室において、大魔女の存在は必要不可欠のはず。

「魔女も人間ですから」

「そういえば、レオノーラも風邪をひいて寝込んでいた時があった」

 魔女は自分で自分を治癒できない。自分の魔力が入った薬も効かないと聞いた覚えがある。

「レオノーラ様はとはどなた様ですか?」

 マイラに怪訝な顔で尋ねられた時、控えめなノックの音が響く。入室を促すと、若い侍女が地獄を垣間見たような顔で現れた。

「カーライル公爵夫人がお見舞いに参られています」

 その途端、マイラは手にしていたポットを落としそうになった。……けど、侍女のプライドでセーフ。

「カーライル公爵夫人といえば、アイリーンの継母?」

 昨日、カーライル公爵の隣にいた年齢を感じさせない淑女だ。アンジェリカの髪と瞳の色、清楚な美貌は母親譲り。

「アイリーン様は静養中です。ご遠慮していただいて」

 マイラが枯れた声で指示すると、若い侍女は泣きそうな顔で首を振った。

「……そ、それがすごい剣幕で……私たちを投獄すると……」

 若い侍女が言い終える前に、バタンッ、とドアが開くけたまましい音が響いた。カーライル公爵夫人ことヘンリエッタが乗りこんできたのだ。

「アイリーン、跪きなさい」

 激高したヘンリエッタの後ろには、お取り巻きの夫人や護衛騎士が並んでいる。ほんの一瞬で敵陣地に放りこまれた感じ。

 謝ればいいってもんじゃない。足元を見られるだけ、と女将さんには叩きこまれたし、警備バイトの上司にも注意された。ここで西洋式土下座したら詰む。

「カーライル公爵夫人、ごきげんよう」

 私が椅子から立ち上がり、習いたてのカーテシーを決めると、カーライル公爵夫人の怒気はアップデートされた。

「相変わらず、傲慢ですわね。これ以上、お父様の顔に泥を塗ることは許しません。今すぐ皇宮から下がりなさい」

 繊細な扇が差された先は開けっ放しの扉。

「カーライル公爵夫人にそんな権限がありますか?」

 社交界で派閥を作るぐらい力を持っているけれど、皇后陛下でもあるまいし、決定的な権力は持っていない。夫の絶対的な愛があるからこその強気。

「なんですって?」

 ヘンリエッタの清廉な美貌がメデューサに変化? カーライル公爵との一途な愛を貫いた乙女、っていう噂は嘘? 噂には尾鰭がつくのを知っているけどヤバくね?

「皇帝陛下と皇太子殿下のお許しがない限り、私は皇宮から下がることができません」

 誰を怒らせても決定権を持つ権力者を怒らせるな。カメリアの花園で叩きこまれた。

「いったいどこまで傲慢なの。殿下を裏切っておきながら、よくも言えたわね。躾が必要だわ」

 ヘンリエッタは鞭を取りだし、私に向かって振り上げた。

 ヒュンッ。

 もちろん、私は鞭を躱した。

「カーライル公爵夫人、正気ですか?」

「アイリーン、どうして避けるの?」

 カーライル公爵夫人の怒りはアップデート更新中。

 お取り巻きは追随するばかり。誰も止めようとはしない。

「カーライル公爵夫人、落ち着いてください」

「家門の恥に対する躾です。娼婦に身を堕としていながら、偉そうな口を叩くんじゃありません。皇太子妃の座を辞退し、謹慎しなさい」

 虫も殺せないような顔をして根性悪のやつ。

 どんなに話し合っても無駄。

 ポンッ、と私は赤水晶の薔薇に見える呼び出しの魔道具を叩く

 刹那、ふたつの扉が同時に開き、近衛騎士団の騎士と第一騎士団の騎士たちが入室してきた。

「カーライル公爵夫人、お疲れのあまりご乱心」

 私の一声でカーライル公爵夫人やお取り巻きを取り囲む。

「無礼者、私を誰だと思っているの?」

 カーライル公爵夫人の怒りが更新されたけど、皇太子宮の騎士たちは怯まない。全員、忠誠を誓っているのはカーライル公爵夫人ではなく皇太子殿下だ。

「カーライル公爵夫人はお疲れのようです。カーライル公爵邸に送ってあげなさい」

 ここは丸く収めましょう、と私は近衛騎士と第一騎士たちに視線で合図を送った。

「アイリーン、それが継母に対する態度ですか? 許されると思っているのですか?」

「お疲れのご夫人を早く連れて行きなさい」

 さすがに、お取り巻きがヘンリエッタを宥めた。ここで喚いても悪評を立てるだけだとわかっている。

 大嵐に遭遇したような気分。

 あれが帝国ナンバーワンの公爵家の正妻? 娼館に不実な夫を連れ戻しにくる奥さんのほうがマシ。

「アイリーン様、お見事でした」

 マイラに涙で濡れた目で称えられ、私は素朴な疑問を投げた。

「マイラ、以前のアイリーンはどうだった?」

「皇后陛下がいない時を見計らって乗りこんできて、一方的に怒鳴って……カーライル公爵夫人が帰られた後、隠れて泣いていらっしゃいました」

 継母にいじめられるシンデレラ……じゃないけど、継母に泣かされるアイリーンが容易に想像できる。傲慢なアイリーン、っていう噂は嘘じゃね?

「アイリーンは言い返さなかったの?」

「一度も言い返しませんでした」

「鞭打ちされるがまま?」

「皇后陛下にお叱りを受けた後、カーライル公爵夫人が鞭を持参することはありませんでしたから……先ほどは驚きました」

 皇后陛下に注意されるまで、継母は鞭打ちをしていたの? それもマイラが知るぐらいだからみんなの前で?

「アイリーンの継母、ひどいね」

 前妻の子が憎いのはわかるけれど、常軌を逸している。私はアイリーンの父親にもムカついた。

「アイリーン様、ご自分で『アイリーン』って他人事みたいに」

 マイラに悲しそうに指摘され、はっ、と私は気づいた。

「……あ、そうだね。私がアイリーン」

 周囲から見れば、私がカーライル公爵家の長女であるアイリーンだ。

「そうです。アイリーン様です。私たち使用人にも優しくて、慎ましくて……いくらでも褒められます。皇后陛下も実の娘のように可愛がっていらっしゃいました」

「姑に愛されても肝心の婚約者には愛されなかった?」

 火のないところに煙は立たない。皇太子がアイリーンを大切にしていたら、あんな噂は流れなかったはず。

 皇太子殿下とアンジェリカとの距離も近すぎた。

「……そ、そんなことはありません……あ、気分転換にお庭でも散歩されますか?」

 マイラは死人のような顔で震えた後、誤魔化すように大きな窓の外を指した。洒落た噴水を中心に左右対称の庭園が広がっている。支配者だけが望める眺望だ。

「パメラのお見舞いに行きたい。無理なら、弟子に会いたい」

 大魔女に会えば、なんらかの糸口が掴めるような気がした。本物のアイリーンがどうなったのか、それだけでも知りたい。

「先ぶれの使者を立てます」

 マイラが皇太子の婚約者としての手続きを取り、私は大魔女がいる魔宮に向かう。本宮や皇太子宮からだいぶ外れた棟だ。皇太子殿下の命令らしく、私には近衛騎士が護衛としてぴっちり張りついた。

 誰にも会いたくなかったけど、場所柄、会わずにはいられない。身分の高そうな夫人のグループに遭遇した。

「……あら、アイリーン嬢ですわ。皇太子殿下を裏切って、修道院に入ったのではなくて?」

「いくら西国の王女の血を引いているとはいえ、処刑は免れないでしょう。近衛騎士に監視されていますのね」

 私の周りの近衛騎士は護衛ではなく監視?

 思わず、私の足が止まった。

「西国の王も外孫にあたるアイリーン様の振舞いには激怒されたようです。国交にも弊害が出ますわね」

 優雅に着飾った貴婦人たちは扇で口元を隠して会話しているけど、私ことアイリーンに聞こえるように喋っている。

「皇太子殿下にも公爵閣下にも捨てられたと認めたくないのかしら? もう誰もが知っている事実ですのに」

 クスクスクスクスッ、と馬鹿にするような笑い声も耳に届いた。正直、井戸端会議のおばちゃんよりえげつない。宮廷の洗礼?

 けど、必殺スルー。勝手に言っているだけだから実害はない。好きなだけ言えばいい、って私は開き直った。

 アイリーンがこれを聞いていたら辛かっただろうな。毎日だったらメンタルやられていたと思う。

 皇宮はお上品に言っても戦場だ。




 大魔女が統括する魔宮は鬱蒼とした林の中にあった。どこからどう見ても、皇宮とは思えない場所。魔宮に弟子はひとりもおらず、マイラが怪訝そうに首を傾げた。

「パメラに連絡を入れたのに」

 近衛騎士を先頭に私たちは奥に進む。ギリギリまで落とされた証明の魔道具の下、独特のムードが流れていた。

 けれど、レオノーラの魔女の館を連想する。……や、レオノーラが師匠の本拠地を模倣したのかもしれない。

 珍しい魔道具が並んだ待合室で私たちは待機。

「アイリーン様、ご無沙汰しております」

 ローブ姿のパメラが現れ、私は妙な懐かしさを覚えた。この感覚、初めてだ。きっと何かがある。

「パメラ、お会いしたかったわ」

「アイリーン様、こちらへどうぞ……侍女様や騎士様たちはこちらでお待ちください」

 パメラに止められ、近衛騎士やマイラたちは待合室に留まった。マイラの心配そうな顔はあえてスルー。

 階段を上がり、大きな虹色の水晶が並んだ部屋に通された。小窓から陽射しが差しこみ、移動魔法陣が描かれた床を照らしている。

「……ここはゲートですか?」

 以前、レオノーラに魔術の本を見せてもらった。魔法陣の種類はわからないけれど、瞬間移動できるゲートで使用される移動魔法陣は知っていた。素人でもわかる特徴があるのだ。

「アイリーン様、ゲートだとおわかりですか?」

「はい」

 私が肯定するように頷いた時、薔薇模様の魔法陣が描かれた扉が開いた。隠し通路に続く隠し扉だ。現れたのは、可愛い花柄のドレスに身を包んだ異母妹と若い騎士。

「お姉様、早くお逃げになってーっ」

 アンジェリカに抱きつかれ、私は思い切り面食らった。

「アンジェリカ?」

「このままだとお姉様は尖塔に監禁され、餓死させられます。愛し合ったリーヴァイとお逃げください」

 アンジェリカの背後には亜麻色の髪の若い騎士がいた。捕まって、拷問されていたんじゃなかったの?

「アイリーン様、俺のこともお忘れですか? リーヴァイです」

 リーヴァイと名乗ったイケメンに記憶はない。ただ、私の推しだったアイドルにどこか似ていた。それでも、心は動かない。

「記憶にありません」

「深く愛し合いました。俺と一緒に生きていくことを誓ってくれました」

 リーヴァイに苦悶に満ちた顔で迫られ、私は首を振りながら後退した。

「覚えていません」

「ふたりで逃げている最中、奴隷商人に襲われ、不覚にもアイリーン様を奪われてしまいました。お守りできなかったこと、お許しください」

 アイリーンがリーヴァイと駆け落ちした? ……で、奴隷商人に襲われて、アイリーンを拉致られた? リーヴァイはカーライル公爵の追手に捕まった? イーモンと奴隷商人の会話を思いだせば釈然としない。

「覚えていないわ」

 イーモンと奴隷商人は依頼人らしきボスの指図を受けていた。アイリーンを娼婦に堕としたかったのは誰?

「アイリーン様は純潔も捧げてくださいました。殿下と枕をともにすれば発覚し、処罰を受けます。必ず、お守りします。俺の手を取ってください」

 純潔に枕をともに……って、つまり、えっちしたの? 噂とは真逆のおとなしい令嬢が専属騎士とえっち?

 断頭台で首を斬られたような気分。

「……アイリーンを……私を愛しているの?」

 無意識のうちに、口が勝手に動いていた。これ、私が言ったんじゃないよね? アイリーンが言ったの? ……や、誰かが言わせた? ……ううん、私がリーヴァイに聞きたいこと?

「愛しています」

 リーヴァイに優しく手を取られ、愛しそうに口づけられた。深窓の姫君に対する騎士そのもの。

「アイリーンが娼館にいたことも知っているわね?」

「娼婦として客を取っていても、俺の愛は変わりません」

 情熱的に言われ、手を握り締めなおされる。私は横目でアンジェリカを見ながら溜め息をついた。

「娼婦として客は取っていない。娼館では女将さんの指導の下、冷静に男の観察ができた。……あなた、私を愛していないわ」

 愛した女を前にした男の目じゃない。正確に言えば、夢中になった女を前にした男の顔じゃない。

「俺の愛を疑うのですか?」

 リーヴァイは心外だとばかりに声を張り上げた。芝居がかっている。もう惑わされない。

「帰りなさい」

「あんなに愛し合った俺を捨てるのですか?」

「あなたは私を愛していない」

 吐き捨てるように言うと、リーヴァイは私を抱き上げようとした。

「話はあとで」

 間一髪、リーヴァイの逞しい腕を阻む。

 けれど、いつの間にか壁際に追いやられ逃げ道がない。

「下がりなさいっ」

 私は声を張り上げながら、防犯用の腕輪を触った。鳩の血の色のようなルビーを押せば、護衛騎士に繋がるはず。

「パメラ、お姉様とリーヴァイを助けてあげて」

 アンジェリカが私の前にパメラを立たせた。

「パメラ、何も覚えていないけれど、弟子のレオノーラから話は聞いていたわ。孤児を拾って育てていることも知っている。すべての魔女が敬愛する大魔女にお会いしたかった」

 大魔女は確実に何か知っている。私は魔女の頂点に立つパメラにかけた。

「魔女の力を利用しながら蔑ずむ貴族も多いのに、アイリーン様はいつも魔女を尊重してくれた。誰にでも優しいからつけ込まれるのです」

 パメラは毅然とした態度で杖を握りなおし、移動魔方陣の外輪を突いた。魔女にとって魔力の源である杖を突くのは意味があるという。なんでもないように見えて意味があるはず。

「パメラ、どうしたの?」

 私が怪訝な顔で尋ねた瞬間、アンジェリカの金切り声が響き渡った。

「パメラ、仕事よ。忘れたのっ?」

 その刹那、パメラは隠し持っていた宝剣を取りだした。

「アンジェリカ様、立ち止まるなら今です。後悔しませんか?」

「さっさとお姉様を始末しなさいっ」

 アンジェリカが悪魔のような顔で言うや否や、パメラは宝剣で自分の首筋を斬った。

 止める間もない。

 プシューッ、という不気味な音とともに大魔女の首から血飛沫が飛び散る。

「……え?」

 私の頬にパメラの血がべっとり。

 ほんの一瞬の出来事だ。

「……パメラ、違う……どうして? ……あ、あ、あ、お姉様が錯乱して大魔女を殺しましたーっ」

 目の前のアンジェリカの悲鳴が遠くで聞こえる。

 ……うっ?

 ……く、苦しい。

 ……あ、頭が割れる……誰かが霧の中にいる……あれはパメラとアンジェリカ……おかしい……どうしてこんなものが見える? 

 私は立っていられず、その場に崩れ落ちた。

 アンジェリカの命令でリーヴァイが私にパメラを殺めた宝剣を握らせた時、皇太子殿下が側近たちを引きつれ、飛びこんできた。

 空気が一変する。

「アイリーン?」

 皇太子殿下が真っ直ぐ私に駆け寄る。……や、アンジェリカが阻むように殿下に抱きついた。

「……あぁ、殿下……恐ろしい……助けてくださいーっ」

 アンジェリカが皇太子殿下の胸で泣きじゃくる。

「何があった?」

 皇太子殿下はアンジェリカの身体を引き離す。……あ、離れない。腕力で引き剝がそうともしない。

「お姉様がリーヴァイを愛するあまり、パメラを殺めてしまいました。どうかご慈悲を」

「アイリーン?」

 皇太子殿下はアンジェリカを張りつけたまま、リーヴァイに抱かれる私を見つめた。近衛騎士たちはパメラの死亡を確認する。

「殿下、お姉様がリーヴァイと駆け落ちしようとしたのをパメラが止めたのです。お姉様の裏切り、どうかお許しください」

 アンジェリカが涙ながらに言えば、リーヴァイは私を抱いたまま謝罪するように頭を下げる。

 ……違う。

 アンジェリカの罠。

 ようやく、わかった。

 やっと霧が晴れた。

 アイリーンは私。

 パメラが私の記憶の封印をしたんだ、と訴えたいのに全身が焼けたように熱い。苦しくて意識が遠のく。

「アイリーン、しっかりしろ」

 殿下がアンジェリカを振り切り、リーヴァイから私を奪い取った。……だよね? 今、私を抱いているのは冷たそうな殿下? ……氷みたいな顔だけど体温は高い?

「お姉様を追い詰めてしまったのは私たちです。お姉様を楽にしてさしあげましょう。皇太子妃の重責から解放してあげてください」

 相変わらず、アンジェリカが泣きながら騒いでいる。

 言い返したいのに声が出ない。

 ……無念。

 詰んだ。

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