第3話 メラニーの父が後悔して、迎えに来てくれたそうです。
翌日、食材費を気にせず、チョコレートケーキを焼いて喝采を浴びた。
チョコしか勝てん。
どうしたら、カカオが安く手に入るか?
帝国は農業大国で野菜も果物も穀物も質がよくて安いのに、輸入に頼るカカオがとんでもなく高い。ヨーロッパの歴史と一緒だ。
真剣に考えていると、待ち詫びていた人が顔を出した。私を奴隷商人から買って、娼館に売った女衒だ。
「イーモン、久しぶり。待っていたよ」
女将さんが笑顔で迎えると、イーモンは女衒とは思えない表情を浮かべた。
「麗しのカメリア、今日も綺麗だ」
チュッチュッ、と左右の頬に挨拶のキス。
「当たり前だろう」
「メラニーはいるかい?」
イーモンの口から私の名が出て、女将さんも大きく頷いた。
「あぁ、うちもメラニーのことで話があったんだよ」
女将さんに手招きされ、私はイーモンに挨拶をする。座り心地のいい長椅子に腰を下ろすや否や尋ねられた。
「メラニー、記憶は戻ったかい?」
イーモンの探るような目をじっと見つめ返す。
「何も思いだせません」
本物のメラニーはどこに行った? そんなことは口が裂けても言えない。
「……実は父上から連絡があった。とても後悔している。金策が上手くいって、引き取りたいそうだ。私が金を預かった」
想定外、イーモンはパンパンに膨れ上がった袋を八つ、テーブルに乗せた。即座に女将さんが中身を確かめる。間違いなく、本物の金貨だ。私を売った時の値段の何倍?
「……父が私を?」
金貨を確かめても俄かには信じられない。
「没落貴族の当主だ。メイドに産ませた子供がメラニー、お前だよ」
「あぁ、私生児ですか……それで貴族録に載っていないんですね」
父親に売られたショックで本物のメラニーは消えてしまったの? 亡くなった? 今、どこにいる? 私の脳裏は深い霧がかかっているような感じ。
「父上のもとに戻ってくれるかい?」
「お会いしたいです」
「よかった。断られたらどうしようかと思っていた。準備してくれるかい?」
イーモンの言葉に応じ、私は腰を浮かせかけた。けれど、隣で金貨を数えていた女将さんに止められた。
「イーモン、メラニーの父親の名前を教えておくれ」
「それは会ってから」
イーモンが手を振ると、女将さんの柳眉が吊り上がった。
「私も一言、言ってやりたい。同行していいね?」
「……や、今回ばかりは勘弁してくれ」
「まだメラニーはうちの子だ。朝から晩まで、花のために一生懸命働いてくれて助かった。いくらあんたでも託せない」
数多の娼婦と家族を見てきただけに、海千山千の女将さんは思うところがあったのかもしれない。私も今までの注意を思いだした。
「困ったな」
「イーモン、メラニーの父上はどこにいるんだい?」
「帝都だ」
「帝都? 自分で娘を迎えに来ず、女衒を寄越したのかい?」
女将さんが食ってかかると、イーモンは手を振った。
「立場があるんだ。大目に見てくれ」
「その父親、信用できない」
女将さんのジャッジに私も賛同する。正直、父としての愛情が微塵も感じられない。目の前に積まれた金貨が愛だと思えなかった。
「麗しのカメリア、貴族っていうのはそういうもんだ。わかっているだろう?」
「メラニーがメイドの子なら、父親には夫人がいるね? 次は夫人に売り飛ばされる危険もあるんじゃないか?」
女将さんの懸念に気づき、私は頬を引き攣らせた。根本的な問題は解決していない。
「わかった。出直すから待ってくれ」
「父上が後悔しているなら、娘に誠意を見せておくれ。そう伝えてほしい」
女将さんの凄まじい剣幕に折れ、イーモンは渋々ながら去っていった。私に再来訪を約束して。
イーモンを見送った後、名前のつけられない感情がこみ上げ、いてもたってもいられなくなる。女将さんに抱きついた。
「……お、女将さん……」
肝っ玉母ちゃんは優しく抱き返してくれた。
「メラニー、よかったね」
なんであれ、父親が見つかったのは嬉しい。
「はい」
「ただ、ここが肝心なんだ。どんなお貴族様か知らないけど、私生児に対する夫人の恐ろしさはよく知っている。記憶喪失も夫人が原因じゃないのかい?」
女将さんも引っかかっているようだ。
「……はい。家名も教えてくれませんでしたね」
「私に聞かれたくなかったんだろう」
女将さんが肩を竦めた時、伝達の魔道具が光った。一見、細長いペンケースに見えるけど電話みたいなもの。ポンッ、と楕円形の印に触れたら、発信者の声が聞こえてきた。魔女のレオノーラだ。
『メラニー、頼まれていた防犯の魔道具が完成したよ。いつ取りに来る?』
娼婦に持たせるつもりで、レオノーラ特製の指輪型で作ってもらった。殺傷力はなく、単に睡眠ガスを発射したら眠るタイプ。ただ強力な魔力による睡眠ガスだから少しでも嗅いだら夢の中。
「ありがとうございます。すぐ伺います」
今すぐにでも身につけさせたい娼婦がいる。
『待っているよ……あ、時間に余裕があるかい?』
「時間? なんでしょう?」
『……ほら、例の記憶の件』
記憶喪失ではなく記憶を封印されたのかもしれない。先日、レオノーラからそう告げられたばかり。
メラニーの記憶を封印? メラニーが封印されたのかもしれない? 大魔女ならば私がメラニーの身体に入ったとわかるかな?
「レオノーラの魔力でなんとかなりませんか?」
『前も言っただろう。私の魔力では無理だ。師匠なら力になれるかもしれないけど、帝都に行くのが遅くなりそうなんだ。一緒に魔道具で連絡を入れよう』
「伺います」
通話が終わると、伝達の魔道具の光は消えた。
「女将さん、レオノーラのところに行ってきます。時間をください」
伝達の魔道具は応対した私だけでなく、隣の女将さんも声が聞こえる。会話の内容を聞いているから、説明する必要はない。
「あぁ、レオノーラの師匠っていえば力のある大魔女のパメラだ。じっくり相談しておいで」
大魔女は皇室専属だから皇宮にいると思うけど、通信と伝達を兼ね備えた魔道具でレオノーラの部屋からやり取りするのかもしれない。
大魔女にありのまま告げたら、なんとかなるかな?
なんにせよ、話したい。
「はい」
「ついでにレオノーラのところで避妊薬と睡眠薬を買ってきておくれ」
「はい。行ってきます」
「今日のチョコレートケーキは美味かった。花の生き甲斐になるチョコケーキの材料なら買っていいよ」
「ありがとうございます。私のスペシャル・チョコケーキを作りますね」
渋みのきついオレンジとチョコの絶妙なマリアージュを味合わせたい。私は意気揚々と花園を後にした。
鬱蒼とした木々が生い茂る中、『魔女の館』と揶揄されるレオノーラの家に向かって歩いていると、貴族用の馬車が私の隣でいきなり止まった。
「メラニー、メラニー、メラニー」
馬車から顔を出したのは、女衒のイーモンだ。つい先ほど、娼館で見送ったばかり。
「イーモン?」
「早速、父上がゲートを使って来てくれた。乗っておくれ」
電車も飛行機もないけれど、ほんの一瞬で遠隔地に飛べる移動魔法陣がある。テレポートとか、ワープとか、場所によって呼び名はあるらしいけど、通称は『ゲート』だ。これがマジ便利。
「帝都からゲートを使って?」
同じ帝国内でも帝都からでは馬車を乗り継いで半月はかかる。ゲートならすぐ。けど、べらぼうに高い。
平民には簡単に手が出させない利器だ。
「そうだよ。ひどく後悔してね……あぁ、乗っておくれ」
イーモンに急かされ、私は馬車に乗りこんだ。
「はい」
向かい合わせに座ると、馬車は活気がある町に向かって動きだす。心なしか、速くなった?
「カメリアが心配する理由がよくわかる」
イーモンにしみじみと言われ、私は瞬きを繰り返した。
「……え?」
「カメリアの教育も無駄だったね」
イーモンは人を人とも思わないような笑みを浮かべ、指輪を私に向けた。……や、指輪型の防犯の魔道具だ。
プシューッ、という音とともに睡眠ガスが私の顔に発射された。
「……う?」
油断した。
避けることができず、まともに睡眠ガスを食らってしまう。強力な睡魔に負け、目を開けていられない。
それでも、最後に確認したのは、使用された防犯の魔道具がレオノーラ特注品だということ。
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