だんまり祭り(お題3「だんまり」)

「おびと様の前では喋ってはいかんぞ。絶対に。静かにしておるのだ。よいか。だんまりだぞ」

 曽祖母はおびと神社の祭礼の日の朝には必ず私にそう言って聞かせたものだった。

 首神社。私が小学校二年生まで住んでいたT県Y村にある、薄暗い林に囲まれた小さな社である。

 祭礼が行われるのは毎年十一月三日。首神社の祭礼はとても奇妙なもので、通称「だんまり祭り」と呼ばれていた。

 祭りであるのにお囃子は無いし、神輿も出ない。夜店の類も一切ない。

 それなのに、夕刻近くになると村の人々が三々五々、神社の境内に集まってくる。本殿の前には祭壇が設けられている。

 まずは神主による祝詞の奏上から祭りは始まる。祝詞はだいたい十分くらいだったと思うが子供だった私には随分長い時間に感じられ、欠伸をしたりもぞもぞ動いたりして、その度に曽祖母に睨まれたのだった。

 だが、その時点ではまだ音を立てたり、しゃべったりすることは許された。

 境内が本当の意味で緊張と静寂に包まれるのは、祝詞が終わり、おびと様が皆の前に姿を現してからだ。

 神主はゆっくりとした所作で本殿に入る。そして、しばらくすると白い布に包まれた御神体、おびと様を恭しく捧げ持って出てくる。

 おびと様は祭壇の上に置かれ、神主は一礼をしてから白い布をはらりと外す。

 おびと様は木造りの人形の頭部だった。真っ白に塗られた顔に簡素な目、鼻、口、眉毛等が描き込まれている。頭部には無数の黒い糸のようなものが貼り付けられ、髪の毛を表現していた。かなり古い時代のものだと思われたが、丁寧に扱われていたためか、保存状態は良いようで、特に色が禿げていたり等、劣化していたような記憶はない。

 口元には鮮やかな朱が入れられ、おびと様の白い肌の上で、その唇だけが妙にぽっちりと艶っぽく思えたの覚えている。

 神主は姿を顕にしたおびと様に向かって無言で幣を振る。

 その後、集まった人々が順番に祭壇の前に行き、二礼二拝一礼を行う。

 柏手は、音が出ないように、掌を合わせる「ふり」だけをする。

 そして、一通り祈り終わった人々はそのまま何も言わずに静かに帰っていく。

 それが「だんまり祭り」の全てであった。

 なぜ人形の首から上が祀られているのか、なぜおびと様の前では音を立ててはいけないのか……それは曽祖母にも、村の誰にも分からないようだった。

 しかしながら、曽祖母が亡くなり私たち一家がY村から引っ越す前年、つまり、私がだんまり祭りを見た最後の年、私は首神社で大変恐ろしい経験をした。

 あろうことか、おびと様の前で声を出した者がいたのである。

「あっ動いてる!」

 無邪気なその声が今でもどこかからはっきりと聞こえてくるような気持ちになる。

 声を出したのは私の小学校の同級生でけん君という子だった。お母さんに連れられてだんまり祭りに来ていた。私はさほど仲良くはなかったが、とにかく明るくて、ちょっとお調子者なところがある子だったと思う。

 けん君のお母さんは慌ててけん君の口を塞ごうとしていたが、時はすでに遅かった。

「ねぇ、お母さん、動いたよ! おびと様が動いた!」

 彼はだんまり祭りのしきたりを知らなかったのか。それとも、目立ちたがり屋らしかった彼の気質がどうしても無言を貫くことを許さなかったのか。

 しかし「おびと様が動いた」というのは嘘ではなかったのではないか、と私は思う。

 なぜなら、次の瞬間、私も、曽祖母も、その場にいた全員が、目撃したからである。

 バリン……!

 緊張に凍りつく静寂の中で、まずは、おびと様の前に備えられた御神酒徳利が突然割れ、破片と中身の酒が辺り一面に飛び散った。

 どよめきが起きる。

 流石に思わず声を出してしまう者もいた。

 次に、祭壇が揺れた。ゆさゆさと左右に、ゆっくりと。

 おびと様も揺れていた。まるで怒りを表現するかのような動きだった。そして、しばらく揺れた後、前にぐらっと傾いたと思うと、ゴトン、と鈍い音を立てておびと様は地面に転がったのだった。

 転がり落ちたおびと様の顔は、偶然なのか、真っ直ぐにけん君の方を向いていたように記憶している。

 けん君は口をぽかんと開けたまま、流石に真っ青な顔で立ち竦んでいた。

 神主はおびと様を慌てて布で包んで拾い上げ、慌ただしく本殿の方へ入って行った。

 しばらくして本殿から現れた神主は険しい表情で祭礼の中止を告げた。神主の目は赤く、頬には涙の跡があった。

 私は恐怖と混乱に打ちひしがれながらも、震える手で曽祖母の手をぎゅっと強く握ったまま帰路についた。

 

 けん君が交通事故で亡くなったのはそれから一週間後のことだった。

 

 けん君だけではない。病死、事故、火事、自殺等による突然の死が村内で相次いだ。思い返せば、亡くなったのは、あの祭礼の最中、御神酒徳利の破損やおびと様の落下に驚いて思わず声を出してしまった人達ではなかったか。

 そして、次の年、曽祖母が亡くなった。曽祖母はあの事件の最中でも一言も声を漏らさなかったので、おびと様の祟りではなく、老いによる死であったのだろう。

 曽祖母の死を機に、私と私の両親、祖父母は転居し、村を離れた。

 その後、私は社会人になるまで一度もだんまり祭りのことやおびと様のことは人には話さなかった。私にとって、思い出すのも厭わしい程に恐ろしい経験だったからだ。それに加え、時が経つにつれ自分の記憶にだんだんと自信がなくなっていったというのもある。

 果たして、あれは現実に起きたことだったのだろうか?

 おびと様とは……だんまり祭りとは、結局何だったのだろうか?

 私の心の中には、私の気持ちとは裏腹に、いつまでもおびと様の白い顔と赤い唇の残像がこびりつき、だんまり祭りの謎は大きなわだかまりとなって長い期間、私を苦しめ続けたのであった。


「だんまり祭り?」

 痩せて骨と皮だけになった祖父は片眉を上げた。

 二十年の月日を経て私がようやく意を決してだんまり祭りのことを口にしたのは、祖父の死期が近いことをなんとなく感じ取ったからに他ならない。

 祖母は昨年亡くなり、祖父もめっきり体が弱くなって、この頃では入退院を繰り返していた。

 だんまり祭りの事を祖父に聞ける機会はこれきりという気がした。曽祖母の息子である祖父ならば何か詳しいことを知っているのではないか、と私は思ったのだ。

「ほら、毎年十一月の初めにやってた変なお祭り。小さい頃、よくひいおばあちゃんに連れて行ってもらった思い出があるんだけど」

「ああ、あれか……」

 祖父は眉根に皺を寄せ、戸惑うような、苦々しいものを思い出すような、複雑な表情を見せた。

「だんまり祭りなんてもんは、ねぇんだ」

「え?」

 祖父の言葉は思いもよらぬものだった。

「おふくろは確かにそんな事を言っとった。だか、あれはボケたおふくろの妄想だ。おふくろの中にだけあった架空の祭りなんだ」

 私は唖然とした。

「で、でも……小さい頃、毎年、十一月になると……ひいおばあちゃんと……」

「ああ、悪かったと思ってるよ。まだ小さかったお前をボケた婆さんの妄想に付き合わせちまっててな……」

 そう言う祖父の口調は私に対して本当にすまなさそうで、嘘を言っているようには思えなかった。


 翌週、十一月三日はちょうど祝日だった。

 私は電車を乗り継いでY村へと向かった。正確には、H市内の元Y村に当たる場所だ。隣町と合併されてY村という地名はもう存在しなくなっていた。

 最寄りの駅を降りると、大きなショッピングセンターやマンションが出迎えてくれた。私がかつて住んでいた時とはすっかり様変わりをして、発展も著しい様子が伺える。

 スマートフォンの地図アプリで首神社の場所を調べようとした。けれど首神社は出てこない。

 近くに別の名前の神社はあるようだった。とりあえず、そちらに向かうことにした。


――やっぱり違う……。

 神社に足を踏み入れて、一番最初に思ったことがそれだった。

 確かに見覚えのある神社である。幼い頃に何度も来た記憶もある。

 けれども、ここはだんまり祭りが行われた首神社ではない、と直感的に思った。

 祖父の言うとおり、首神社も、おびと様も、だんまり祭りも、曽祖母の妄想に過ぎなかったのか。

 そして、幼かった私は曽祖母の話を聞くうちに、頭の中で曽祖母の妄想と自らの子供らしい恐怖心とを混ざり合わせ、具体的なだんまり祭りの光景をまざまざと思い描いてしまったのだろうか。

 どこか安心した気持ちが半分、がっかりした気持ちが半分で、私は手持ち無沙汰のまま、なんとなく境内をぶらぶらと歩き始めた。

 私以外には人の気配はなかった。

 涼しい秋風に吹かれながら、私は曽祖母との思い出を穏やかな気分であれこれと思い出していた。

 しかし、ある場所で私の足が止まった。

「首神社」という文字が目に飛び込んできたのだ。

 私の心臓が跳ね上がり、暴れ出す。

 それは境内の裏手にひっそりと佇む小さな末社だった。

――首……おびと……おびと様……だんまり……けん君……。

 頭の中を断片的な単語が駆け巡る。

 私は意を決しておそるおそる首神社の鳥居をくぐった。

 黒ずんだ木造の社、半ば壊れて朽ちかけた賽銭箱、その上には灰色に色褪せてボロボロになった五色の布が垂れ下がっている。

 もはや管理する人もいないのか、と容易に思わせるような荒廃ぶりだ。

 社殿の前にお供え物のように置かれたある物体が、ふと、私の目を引いた。

 小さな人形の首。

 否が応でもおびと様を想起させた。

 しかし、おびと様とは違うのは、それは掌に載るくらい小さく、安っぽいプラスチック製の玩具だということだった。

 かなり古いものらしく、頬には黒い泥がべっとりと付着し、目鼻立ちの判別も曖昧になっている。

 もしや認知症を患っていた曽祖母は、この小さなガラクタを「おびと様」と思い、崇めていたのだろうか?

「ひいおばあちゃん……」

 私は不意に哀しいような切ないような気持ちに襲われ、思わず曽祖母を呼んでいた。

 その時だった。

 人形の首が動き、こちらをギロリと睨んだ……気がした。

「声を出してはいかんと言うたじゃろが」

 はっきりと耳に届いたは明らかに曽祖母の声だった。

「ひっ……!」

 私は声にならない悲鳴を上げた。

 踵を返し、鳥居の外へ走り出ようとする。

 しかし、何かに躓いて転倒した。

 突然、ボールのようなものが足元に転がってきたのだった。

「いたたた……」

 地面に打ちつけて痛む肩を押さえながらなんとか起き上がり、振り向いた。

 そして、私は息を呑む。

 そこにあったのは、けん君の生首だった。

「うごいたよ……おびと様がうごいたよ」

 けん君の首はそう言ってニヤリと笑った。

 呆然とする私の前で、けん君の生首はケタケタ笑いながらゴロゴロと何処かへ転がっていってしまった。

 気が抜けたように座り込む私は、ぼんやりとする頭で改めて確信する。今日は、十一月三日、だんまり祭りの日である、と。

 曽祖母の妄想であっても、私の幻覚であっても、関係はなかった。

 だんまり祭りで声を出してしまった私はおそらく無事ではいられないだろう。

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