第1話 あの日のこと

 俺の暮らすハーグ孤児院は、元は地母神メーテルを信仰する教会だった。

 それが今から五年前、産まれたばかりの赤ん坊が門の前に捨てられていたのを保護したことをきっかけに、一人、また一人と行き場のない乳幼児が集められ、敷地の一部を孤児院にして子どもたちを養育することになったのだ。


 当時はシスターとして勤めていたバレンシア先生のほかに、もう一人司祭さまがいらっしゃったのだが、流行り病に罹り帰らぬ人となった。三年前のことだ。


 しばらくのあいだ人手の募集をかけていたのだけれど、経営の逼迫した孤児院で雇われてくれる人を探すのは難しく、やむを得ずバレンシア先生はたった一人で孤児院を切り盛りしていくことになった。

 が、足りない人手に対し預けられる子どもは増えるばかり。たった一人の赤ん坊を育てるのだって、親には相当な労力がいるというのに、それを何人も一度に一人きりで見るなど、土台無理な話だったのだ。

 三時間ごとの授乳。夜泣き。寝る時間もおしめ替えの時間もばらばら、寝る暇などない。

 その上に、シスターとしての職務。

 とうとう倒れてしまったのが、つい一年前のことだ。

 俺が前世の記憶を取り戻したのも、その時だった。


 ――はじめは三歳の頃。日々の生活の中で、なんだか妙に違和感を覚え始めたのだ。

 今ここにいる自分を、遠くからもう一人の自分が見つめていて、同じ自分なのに捉え方も考え方も違って、頭がずきずき痛んで気持ち悪い。

 夢と現実が入り混じったような、曖昧になっていく感覚。

 それが日に日に頻度を増していき、一年経つ頃には目の前の出来事と頭の中の出来事のどちらが正しいのかわからず、自分が溶けて失くなっていくような不安さえ覚え始めた。


 そんなある日のこと、育ての親でもあるバレンシア先生が悪い風邪で倒れた。

 ただでさえオーバーワークで疲労していたところに、高齢ということもあって、酷く重症化してしまった。

 ばあちゃんが薬を煎じてくれたが、あまり強い薬は逆に体に悪い。

 ……もう好くならないかもしれない、と神父様やシスターと話しているのを、偶然通りかかった俺は聞いてしまった。


 そして、その日の夜のこと。

 いてもたってもいられなくなった俺は、こっそりと大人たちの目を盗んで、感染るといけないからと一人寝かされている先生に会いに行った。

 布団の中で全身にびっしょりと汗をかき、苦し気に息を漏らす先生を見つめていたとき。

 唐突に、ここではないどこかの記憶がフラッシュバックを起こし、僕は――いや、俺は自分の前世をはっきりと思い出した。

 自分を見つめていたもう一人の自分は、前世の俺の人格だったと、そのときわかった。


 前世の俺は、払い切れない大量の借金を抱え、頼れる身寄りもおらず、独り朝から晩まで働く毎日。とうとう無理がたたって心と身体を病み、やがて過労に倒れて、搬送先の病院で亡くなった。二十一歳だった。


 どうしてこのとき前世の記憶が思い出されたのかはわからない。

 今の自分はもう別の人生を生きていて、見た目も性格も違う、別人のはずだ。

 なのに、かつて最後に病室のベッドで見上げた天井の、日に焼けて褪せてしまった色模様が、脳裏に焼き付いてどうしても離れなかった。霞む視界の中で、自分の心がほどけてこぼれていくように感じたのを思い出した。


 ……あのときの、心に重くのしかかってくるようなしんどさを、どのように表現すればいいのかはわからない。

 ただその言いようのない思いが、眠る先生の横顔を見ているうちに、むくりと起き上がってきたのかもしれなかった。


 その日から俺は子どもではいられなくなった。

 俺の人格というか、心はゾルバ・ラ・ヴォンのままであったように思うけど、鮮明に呼び起された生前の記憶の数々は、未熟だった俺の精神に著しく影響を及ぼした。

 自分とは別の人生……とはいえ、二十一年分もの体験を見せられれば、変化があって当然というものだろう。

 あるいは、かつての自分が抱き続けた想いが、果たせなかった後悔が、ゾルバを呑み込んでしまったのかもしれなかった。


 先生を死なせたくない。

 俺を、俺たちを救ってくれた先生を、あんな風に苦しめたくない。

 子どもたちにも、俺のような惨めな思いをせず、幸せな未来を生きてほしい。


 それからの俺は、湧き上がる感情に突き動かされるまま、懸命に働いた。

 わずか四歳の小さな体でもできることを探して、家事手伝いに率先して勤しんだ。

 今の子どもの体では、孤児院の運営に関しては役に立てない。ならばせめて家事の一つもしなければと思ったのだ。

 先生はそんなことはしてくれなくても良いと言ったのだが、聞く耳を持たなかった。前世の自分を思い出してしまった後では、もはや何もしないではいられなかったし、何より孤児院の運営をすべて一人でこなすのは、完全に先生の許容量を超えていたからだ。

 

 幸い、二週間ほどで先生の具合は良くなったのだが、以前に比べてめっきりと体力が落ち、椅子に座っている時間が長くなった。

 もともとそんなに体の強い人でもなかったし、年齢のせいもあるだろう。

 限界にきていることは、誰の目にも明らかだった。


 それでも、先生は孤児の受け入れをやめなかった。

 無茶をしていることはわかっていただろうけれど、行き場のない子どもたちを見捨てたりすることなんてできなかったのだ。

 今でこそ、教会からシスターや神父様が交代で手伝いに来てくれているが、彼らだって人手不足のところを、時間を割いてきてくれている。本来の職務が優先で、どうしても常勤はできない。

 俺が手伝いを買って出るようになったのも、そんな先生を放っておけなかったから……なんて、口が裂けても言ったりはしないけど。

 それに前世がどうあれ、今はこの孤児院が俺の居場所であり、先生が俺の母親代わりなのだ。

 他の子どもたちのことも放っておけないしな。

 

 そんなわけで、俺――ゾルバ・ラ・ヴォンは今日も働いている。


~・~・~・~・~・~


 いつもお読みいただきありがとうございます。


 ストックは10万文字を超えまして、第一章まではなんとか書き終えることが出来ました。


 次に悪魔が登場するのはちょっと先の第25話からになります。


 それまでは毎日更新していきたいと思っておりますので、


 皆さまどうぞお付き合いくださいませ。


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