第29話 答え

 生首が元の身体に戻れた時に、少女をどうするべきか。


 主たる生首に問われ、一緒にいてもろくなことにはならないだろうと答えた吸血鬼は、全てが終わったその後で、親戚に少女のことを任せようと思っていた。

 それがきっと、正しいからと。

 少女から渡されたはがきを元に、見つからぬようひたすら隠れて親戚の家を探っていく中、吸血鬼の脳裏には少女との最後の会話が延々と流れていた。

 何故、怒鳴りつけたのか。

 何故、きちんと説明せず逃げたのか。

 何故……こんなに胸が痛むのか。

 主を生首にした女の娘、だが憐れな立場で、恨むに恨めず、主と共に目を掛けてきた。

 いずれ主が元に戻れば、別れる。

 そう、決めていたはずなのに、主が少女の身の危うさを説き、共にいられる道を示すものだから……吸血鬼の気持ちは揺らいでいく。

 それはきっと、正しくない。

 魔法使いと吸血鬼が一緒にいても、ろくなことにはならないはず。搾取して、搾取されるだけの関係になるだけだ。そのはずなのだと。


『アスター、いつもありがとう』


 ──上手くやっていける可能性も、あるのではないか。

 少女と共に過ごした時間が、そんな幻想を抱かせる。

 永い間、主と吸血鬼だけだった。

 そこに入り込んできた少女の存在は、まるで最初から共にいたのではないかと思うほどに違和感がなく、心地好さも時に感じる。

 そんな資格は本来ないにも関わらずだ。

 ──吸血鬼は少女の母親を殺しているというのに。


『恨まないよ』


 何故、そんな言葉を掛けてくれるのか。

 主の仇と言えど、暴力を振るっていたとしても、少女の母親であることには変わらないのに。

 その言葉に、すがりたくなる自分がいる。

 ……このまま、主と少女と共に穏やかな時間を過ごせたらどんなにいいだろう。観てみたい映画があったりするのだ、感想を言い合いたい。作ってやりたい料理もある。


「──カエデ」


 主たる生首を抱えて、無表情で見つめてくる少女の姿がまるで頭から消えなくて──吸血鬼は予定よりも早く洋館に戻った。

 正しさを選ぶべきだ。

 けれど答えは──その逆を求める。


「カエデ」


 真っ直ぐに少女の部屋に行くが、そこに少女の姿はない。書庫に向かってもそれは同じ。駆け足にダイニングに行けば、ソファーでじっとしている主がいるだけだ。


「シャムロック様、あの」

「アスターか。──カエデを見なかったか?」


 遮るように問われた言葉に、吸血鬼は何故だか悪寒が走る。


「いつの間にか、いなくなっていた」

「──カエデ!」


 走り出す吸血鬼にあてはない。

 闇雲に駆けまわり、嗅覚を研ぎ澄ませ、少女の名前を叫んだ。

 まるで、我が子を見失った親のように。

 ──そうした末に、中庭に続くベランダに置かれた毛布の存在に気付いた。いくらか濡れたそれには、微かに、少女の匂いがする。

 十一月の雨に濡れるのも構わずに飛び出す吸血鬼。

 中庭には何があるか? よく足を運んでいたせいか──温室を思い浮かべて、慌てて首を横に振る。そんなはずはない、主たる生首が近付くなと注意したはずだ、と。

 違う、きっと違う、違うはずだから──せめて一目確認しよう、それで少しは安心できるはず。


 温室の扉は開いていた。

 覚えのある甘い匂いが鼻につく。

 首のない胴体に混じり横たわる少女。

 露わになった首筋には、首筋には……。


「──はっ!」


 気付いた時には、吸血鬼の手足は赤く汚れていた。特に足元が酷い。何かを潰したかのように汚れがへばりついている。

 覚えはない。

 訳も分からず、仄かな吐き気に苛まれながら辺りを見渡せば、すぐ傍に少女が横たわっていた。

 ──赤い桜の簪を贈って以来、少女は毎日それを付けてくれた。

 二本結びにしていた髪型をお団子にし、似合うかどうか無表情で、けれどほんのり嬉しそうに訊ねてきて、もちろんですよと答えてきたが──お団子はすっかり崩れ、髪はぐしゃぐしゃ、簪も見当たらない。それでも、露わになった首筋が、どうしようもないほどに食い破られているのが、嫌でも目に入る。


「カ……」


 名前を呼びたかった。なのに何故か発音できない。

 近寄って、少女の頬を叩く。小さく、本当に小さく、吸血鬼の耳でなかったら聞こえていなかったかもしれない吐息をもらす。

 まだ生きている。

 そう思った瞬間、止めどなく涙が溢れ落ち、一粒拾って少女の口に捩じ込む。どうか魔法で自身を治してくれと願いながら。


「………………?」


 もう一粒、もう一粒と捩じ込んでも、首筋の傷は塞がらない。


「カ、エデ。カエ、デ」


 呼び掛けても何も返ってこない。頬を叩いても、気持ち強く叩いても、反応がない。


「……ぁ」


 魔法使いのことはよく分からない。

 吸血鬼の涙を口に入れれば、たちまち何でもできる存在だと思っていた。

 それなのに、何故、こんなに無力なのか。

 少女も、吸血鬼も。


「……」


 きっと少女は助からない。力が入らない。間もなくただの骸となるだろう。息ができない。たったの十三年しか生きていないのに。涙が止まらない。

 役立たずの涙。

 役立たずの魔法。

 ──なら、何が役に立つ?


◆◆◆


 生首は待つことしかできなかった。


 歩く為の足も、這う為の手や胴もなく、静かに、少女の無事を、従者たる吸血鬼の帰還を、祈るしかできない。


「……っ」


 もどかしい。

 今すぐに、元の身体に戻りたかった。彼らを探しに行きたかった。

 大切な従者、放っておけない娘。

 彼らは果たして、無事に戻ってくるのか。酷く取り乱しながら消えた従者の姿が、不安を煽る。

 瞼を閉じて、耳を澄ませる。雨音しか聞こえない。集中する。聞こえない。まだなのか。聞こえない。もっとだもっと。集中し──ようやく微かな足音が、耳に届いた。


「アスター!」


 どんなに雨音に紛れようと、聞き慣れたその足音を間違える生首ではない。従者の名前を何度も叫んだ。生首にできることはそれだけだから。

 叫んで叫んで叫ぶたび、足音は徐々に近付いてきて──。


「……シャムロック、さま」


 ずぶ濡れの従者が、ダイニングに現れる。腕には探していた少女を抱き抱えていた。

 両者共に濡れ鼠なせいか、普段まとめている黒髪が解け、身体にへばり付いて寒々しい見た目になっている。

 それ以外に変化もなく、

 生首は吐息を溢し、労いの言葉を掛けようとした。


「無事だった……いや」


 おかしい。

 安堵するには早かったと、生首は少女を凝視する。

 雨に混じって血の匂いがすることもそうだが、それよりも──人の香りがしない。少女が傍にいるにも関わらず、この場からは吸血鬼の匂いしかしない。


「カエデ」


 呼び掛けても返事はない。小さな寝息が聞こえるのみ。固く閉じた瞼の下を、確認することはできない。

 ──否、見なくとも匂いで、本能で、生首は分かっていた。


「……カエデは、そんなに危ない状況だったのか」

「……」


 少女から従者へと視線を向ければ、口を一文字に結んで俯く従者の姿が目に入る。細められた深紅の双眸には、悲哀しか宿っていない。

 生首はそれ以上何も言わなかった。従者の閉ざされた口が開くのを、静かに待つ。待つことにはもう慣れた。生首はいくらでも待つつもりだ。

 ──雫が垂れる。

 服の裾から指先から──従者の瞳から音もなく。


「……シャムロック様」

「あぁ」

「……シャムロック、様」

「あぁ」


 まるで少女のように淡々と、従者は言葉を紡いでいった。


「……お約束を、果たせなくなりました」

「元から諦めていたことだ」

「カエデの努力を、踏みにじることになりました」

「カエデの命の方が重要だ」

「──シャムロック様」


「だからお前は謝らない、そうだろう?」


「……」

「いいんだアスター、もういい。それがお前の答えなんだろう? オレはそれを認めるよ。他の誰か、たとえお前自身が否定したとしても」

「……貴方にお仕えできたことが、私の生涯において何よりの幸せです」


 淡く笑みを浮かべて、従者は少女をソファーに座らせる。背もたれに倒れる少女に起きる様子はない。

 生首はちらりと少女の顔を見た後で、従者に目を向け、アスター、と名前を呼んだ。


「──首を切り裂くつもりでした」


 従者は生首を見ず、互いの視線は重ならない。


「吸血鬼は魔力を保有するにも関わらず、魔法を行使することができない。だから涙を人間に、魔法使いに搾取される。……カエデは唯一、貴方を元の身体に戻せたかもしれなかったのに、もう、魔法使いではなくなった。私がそうしてしまった。だから、その責任を果たそうと、この首を……」

「アスター!」

「ご心配なく、もうそんなつもりはありません。──そうやって貴方の声が聞こえたのです、アスターと、私を呼ぶ声を」

「……何度も何度も、呼んだからな」

「ありがとうございます。そのおかげでしょうか、なんだか……貴方に会いたくなりまして……」

「……っ」

「……シャムロック様」


 絶え間なく赤い涙を溢していきながら、従者は視線を生首に向けてくる。


「こんな役立たずの従者ですが、今後もお傍に置いてもらえませんか?」

「……オレに役立たずの従者はいない」

「償わせてください」

「オレじゃなくて、カエデにな」

「もちろん、もちろんで、す……!」


 その言葉をきっかけに泣き崩れた従者を、生首は眺めることしかできない。

 せめて、手があれば。

 片手でいい、それで従者の頭を撫でるなり、涙を拭うなりできたのにと。


 未来永劫叶わず、口にすることももはやできない。


 従者の嗚咽を子守唄に、少女はすやすや眠り続ける。無表情な少女にしては珍しく、とても幸せそうな笑みを浮かべていた。

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