第26話 故郷

 少女は柔らかなベッドに横たわる。

 すぐ傍には生首、反対側には椅子へと腰掛けた吸血鬼が控えていた。

 いつも通りの、睡眠前の一時。


「──カエデ、お訊ねしたいことがあります」


 今日はこんなことがあったね、明日はこんなことをしてみたい、こんなものを食べてみたい、なんて話を直前までしていたが、ふと口を開いた吸血鬼は、声も表情も暗くなっていた。

 重くなる瞼を持ち上げながら、なあにと少女は返事をする。

 吸血鬼は何かを言おうとして、けれど何も言わない、を何度も繰り返し、待ちくたびれた少女が睡眠の誘惑に負けそうになった頃、「明日にしろ」なんて生首の声で、ようやく吸血鬼は問い掛けた。


「ご母堂の故郷について、何か知っていることはありませんか?」

「……?」


 寝惚けた頭では、すぐに答えることはできない。

 母の、故郷。

 そんな話をしたことが、はて、あったか。


「わか、らない、けど……はがきか、なにか、へやに……ある……かも」

「お手数ですが、探してもらってもよろしいですか?」

「……」

「カエデ? ……カエデ」


 吸血鬼の悲しげな声が、ほんのり耳に残っている。


◆◆◆


 眠る間際に交わした吸血鬼との約束は、次の日に目覚めた少女の頭に残っており、すぐに母の部屋を探した。故郷への手掛かりになるはがきが何通か見つかり、特に何も訊かずに吸血鬼に渡す。

 泣きそうな顔で受け取る吸血鬼が少し気になったが、少女の為だからと言われ背を向けられては、少女にできることはない。


「先に寝ていてください」


 夜、眠り仕度を調え、吸血鬼に声を掛ければ、申し訳なさそうな顔で少女はそう告げられる。


「どうして?」

「少し、やることがありまして」

「……いつもそう言うよね。カエデが渡したはがきと、何か関係あるの?」

「……っ!」

「あるんだ」

「──もう寝てください!」


 突然の大きな声に驚いている内に、吸血鬼はいなくなる。辺りを見渡しても、影も形もない。手元には生首から回収した涙があったから、追い掛けることもできたが……吸血鬼が望まないからと、仕方なく生首の待つ自室へと一人で向かった。


 この件以来、吸血鬼の姿を見ていない。


 冷蔵庫に何日分か食事を仕舞い込んで、書き置きもなくどこかに出掛けてしまったようだ。

 生首に問い掛けても、冷蔵庫の中身が空になる頃には戻るだろうから、とにかく帰りを待とうとしか言われない。

 どれだけ訊ねてもそれ以上の答えはない。仕方なく、少女は修行に集中し、ひたすら吸血鬼を待つことにした。

 生首がいるから淋しくない。生首がいるから大丈夫。──それでも心にぽっかり、穴が空いたような心地になった。


 生首がいて、吸血鬼が傍にいる日常。


 それが当たり前になっているのに、片方がいなくてどうするのか。

 生首と共にベッドに入り、誰も座っていない椅子を静かに眺める。いつもなら、もう瞼が重くて仕方ない時間だというのに、眠気はまるでない。


「眠れないのか?」

「ちょっと」


 溜め息と共に、どうしたいと再度問われる少女。


「どうしたいって?」

「このまま起きるか、寝る努力をするか」

「寝る努力って、それが無理そうだから困ってるんじゃん」

「……」

「シャムロック?」


 生首に視線を向ければ、眉根を寄せて、険しい顔をしていた。

 じっと、見つめ続ければ、その険しさは増していく。


「……思いつかないんだったらさ、シャムロックが何かお話してよ」

「は?」

「聞いている内に、眠くなってくるかもしれないし、お願い。カエデより、アスターよりも長く生きているんだからさ、楽しい話の一つや二つ、持ってないの?」

「……そんな生涯は送ってない」

「絶対? 何でもいいんだよ、何でも」

「……っ」


 舌打ちをして、黙り込む生首。

 少女はしばらく見つめていたが、待てども待てども何も語られず、溜め息をついて瞼を閉じた。きっとその内眠るだろう、そんな風に諦めて。


「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……む、むかし、むかし」

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