4-4 大事な人ですか?

 犬を洗うなとあるのを見て、少し迷ってから蛇口をあけた。


 秋深まり、日和ひよりの陽気にも締まりが見え始めている。黒く重たいコートにはまだ早いが、公園の水は少々冷たい。


 まずは試しと、すそを流水に当て、指でみこんでみた。つぶしたり、引っ張ったりを何度かくり返す。

 最後に固くしぼって広げてみる。黒い生地にもかかわらず、目だつ大きなシミが残っていた。


「一瞬ぐらいいいだろ?」


 背後に声を聞き、水を止める。


 振り向くと、真っ白な髪の若い男が、両手を黒いジーンズのポケットに入れて立っていた。白のTシャツに黒いカーディガンのように薄いテーラードジャケット。目立つ赤紫色の光彩を隠すための、色の濃い丸目のサングラスも記憶にあるとおり。


「ほんの一瞬、フィールドへ行ってマスコットの姿になりゃいい。人間モードに戻ったときには、装備品はピカピカだ。知ってるだろ、トバリ?」

「ヨサク先輩……」


 トバリは恐縮したように立ちあがって、しかしすぐに視線を泳がせた。自分で閉めたはずの手洗い場の蛇口へ、めの甘さを気にするように目が行く。


「……規定がありますので」

「みだりにフィールドをひらくなかれ、か? かってぇなー、あいかわらず」ヨサクは口を大きくあけてため息をついてみせた。「服もカッチリだし、髪黒いし、個性マーカーはアゴヒゲぐらい。あの子らだって、服が戻るのは織りこみ済みで投げつけたんだろうによ」


 ヨサクの視線が公園の外を向いたので、トバリもそちらを見る。


 通りの向こうのファミリーレストラン。ちょうど並木の合間に見える窓際のボックス席で、四人の少女たちが談笑している。制服で高校生だとわかるが、髪も顔も飾り立てて一様に派手な印象だ。金髪のひとりは、頭頂部に地毛の黒が覗いていた。


「ま、かてぇのはおまえら世代はそんなもんか。ユウキが変なだけだな」

「ユウキさん、元気ですか?」


 急に振り向いたトバリに、苦笑していたヨサクは少し驚く顔をした。すぐにまた口もとをゆるめたが。


「後輩にさん付けかぁ」

「あの、いまたいへんだと耳にして……」

「たいへんもたいへんさ。なにがどう転ぶかてんで予想つかねえ。ビギナーズラックどころかおにふだ引いちまったんじゃねえかって毎日ブルっててな。しかも、ジョークの切れ味が壊滅的に悪いと来た。この俺ちゃんがツッコみ負けしそうで胃が痛ぇ。何人関わってもひとすじなわにはいかねえな、魔法少女ってのは」


 大げさな身振り付きでひと息にまくしたてたヨサクを見て、トバリは感心したように息をついた。


「ヨサク先輩がそこまで言うとは、相当ですね……」

「まーな」


 ヨサクは同意しながもら、陽気に口の端をあげてみせた。


「だが、後悔はしてねえ。ユウキもな」

「……」

「おまえもそろそろどうだ? 調子のいい同僚から借りてるだけのレンタル契約者じゃ、必要以上にうしろに引いちまう。ポンコツユウキくんとは違うだろ、トバリ?」


 トバリはうつむきがちに、また手洗い場のほうを見た。そのそばに置いてある、汚れたドラッグストアのビニール袋を。


「……ポンコツですよ。がんばっているユウキさんなんかより、ずっと」白いビニールの口のあたりには、赤みがかったクリームのようなものが付着している。「だからうっかり、色も間違えるんです」

「なるほど。確かにその色は濃すぎてちとダセえかもな。だからってわざわざフタあけて投げつけなくてもいいだろ? 人をパシッといてよ」


 ヨサクは一転して顔をしかめ、ファミレスに向かって、べっ、と舌を出してみせた。


「いい気なもんだ。立ってるだけで出てくるモンには執着しませんよー、ってか?」

「……それでも、おれたちは感謝しています」

「なにに?」

「っ……!?」


 とぼけたような声色。にもかかわらず、トバリは息を飲んで身を固くした。ヨサクはまだファミレスを見ていたが、答えがないことを怪しみもしなかった。


「ま、してないよりはいいよな? 人間サマのご協力も音楽もなきゃ、俺たちはここにいねえ。複雑なんだ、生かされてるってのは。うまく答えられなくたって、そんな顔しなくていいだろ。それに、みんなが同じってわけじゃねえしな」


 金髪プリンの向かいにいる、黒髪のショートの子に目を向ける。首にかけてある外側が木目のヘッドフォンは有線モデルで、いま彼女が身に着けている中ではなにより高価だ。


「うちのはむしろこじらせてるけどなぁー……そういや、おまえのとこにもいなかったっけ? ライブ外でリアル機材にこだわるような子。確か、そう……よぶあか

「……」


 ヨサクが声色を変えるのを、トバリはうつむいたままで聞いていた。「似合いそうだよな、その色?」と続いたダメ押しにも、無言をつらぬく。


 ヨサクもこだわらず、自慢話のように饒舌じょうぜつぶった。


「割り出すの時間かかったぜ? よく思い出しゃ、おまえといっしょのとこ見かけた気もすったけど、髪も染める前で雰囲気からなにから違ってたし、いまよりだいぶ細っこかったしな? そんでもって、除籍者じょせきしゃの個人情報保護は鉄のおきてだ。だが一時期有名人だったおかげで、まぁどうにかなった。元々ギターやってた超うめぇ子を魔法少女にしてみたら、魔楽器とも相性最高、おまけに歌も天才でもう大活躍のかい進撃しんげき、だったってな」

「……なぜ、彼女のことを?」

「いや。おまえを調べてた」

「……!?」

「呼子赤緒の契約をいてねえな、トバリ?」


 息を飲んだトバリに、ヨサクはたたみかけた。トバリはようやく目を合わせたが、言葉を待つほかにない。見とおせないはずの濃い色のレンズの向こうからの、射るような視線にとらわれる。


「契約解除の主権はマスコットの側にある。マスコットの個体ごとにだ。契約者がコミューンを除籍じょせきされるとき、マスコットは自発的に契約を解除する。逆らうメリットがねえし、コミューンにせきのない魔法少女がどれだけライブで稼いでも、契約マスコットへの魔力支給にはかんげんされねえ。コミューンの管理から魔法少女がはずれれば、活動があくできなくなるデメリットしかねえ。だから除籍と解除はセットが決まり。だが、あくまでシステム上は連動してねえ」


 ヨサクはいったん言葉を切り、やれやれと苦笑して肩をすくめた。「いいかげん古いよな? 戦時中の契約システムそのまま流用してりゃあ、いまのやり方とかみ合わねえ部分も出てくるってのに」最後はかすかに憤懣ふんまん自嘲じちょうがないぜになった様子で。


「幸いマスコットのほうは、世代交代が進んでより理性的になるようデザインが直されてる。除籍済み魔法少女を管理局が把握できなくても、慣例に従わない個体なんてそもそも想定されねえわけだ。ユウキみたいな例外はマークされてるだろうが、おまえみたいな優等生が情に流される、なんていうのはだな」

「……報告しますか?」

「するわけねぇ」

「……?」


 青ざめていたトバリは思いがけず鼻白んだ。一方でヨサクは、心外だとばかりに口をとがらせる。


「管理局サマのお仕事を代わりにしてやる筋合いはねーよ。俺ちゃんはただの興味本位だ」


 またおどけた様子で白い歯を見せ、かと思えば、急に口角をさげて有無を言わさぬ冷たさを放った。


「呼子赤緒になにがあった? おまえはなんにも知らないやつでも納得できるような話にこだわるタイプじゃねえ。かといって、誰かれ教えられねえ話もある。俺には無理か?」


 トバリはしばし、きつねにつままれたように目をゆらしていた。

 だがやがて、神妙に顔を引きしめると、また手洗い場のほうを見おろした。


「……誰でもよくないと、おれが思いこんでいただけなのかもしれません」


 濡れたコートの袖口そでぐちをつかむ。生地に付着したヘアカラーは、きっと自力では落とせない。それが致命的なら、魔法をいとうている場合ではないのだろう。いまさらのようにそう思い知って、つきそうになる溜め息を飲みこんだ。


「おれが赤緒に、マジョ狩りをさせたんです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る