店長の大冒険

どじょうのおでん

 王は退屈にんでいた。

 大きな国を打ち立てた偉大な王様は、変わらない日々にうんざりしていた。


 ――こんなことならば、戦っていたあの頃の方がよかった。


 王は次第に、配下の者たちに無茶を言って困らせるようになっていった。


 ――この黒く塗った部分のない艶本を持ってまいれ。


 配下の者たちは黒塗りの部分を拭き取ろうと努力し、削り取ろうと努力し、結果的に穴が開いたので、これがリアリズムですと釈明して王に献上した。


 ――竜の肉の味はどのようなものだろうか。食べてみたいものだ。


 配下の者たちは榴弾砲の弾をソテーにして晩餐に饗し、王の歯を三本折った。


 ――あーあ! 折れた歯が痛いなー! この世で一番柔らかいものを食べたいなー!


 王の言葉に配下の者たちは、隠し味に柔軟剤をふんだんに取り入れたバリ硬ラーメンを提出。王の口から未消化物を噴出させた。

 ここに至り、王は無茶を言うとなんかひどい目にあうと学び、これまでに比べ控えめな要求を口にした。


 ――どじょうのおでんが食べたい。


 それなりに実現の可能性がある要求を前に、配下の者たちは現実的な手段を模索し始めた。

 料理のことであれば、料理人に依頼するのが筋であろう。

 真面目に情報を集めた配下の者たちは、王都の市街に向かう所敵なしの食堂があると知り、依頼に向かうのであった。



 その食堂は王都の大通りから少し離れた所にあった。

 所々穴の開いた壁は効率的な換気を可能にし、一部失われた屋根は空の恵みを容易に受け取り、扉の失われた入り口はどのような客であろうと受け入れる覚悟を示しているようにみえる。

 あと登記簿的に建物があるはずの両隣は更地になっていた。


 配下の者たちは軋む床を踏みしめながら店内に歩を進ませる。

 空気に重さがあるような錯覚を覚える暗い店内。尋常ではない雰囲気の中、配下の者たちは奥の方に一つの影を見出した。


 ――何用か。


 大きな巌のような影は、重量感のある声を発した。

 おそらくこれが店長であろう。

 そう推測した配下の者たちは、重低音の声に、周囲を圧迫する存在に圧倒されながらも義務を果たすべく声を上げる。

 王がどじょうのおでんを所望していること、そしてそれを料理する人間を探していること、そしてこれは王命であること。

 配下の者たちの言葉に、大きな岩のような店長は暗い店内よりもさらに暗い光を宿す目を開いた。


 ――委細承知。


 それだけ言うと、店長は再び目を閉じる。

 配下の者たちは安心したような表情で、足早に食堂から出て行った。

 店内に残された大きな影は微動だにしない。


 ――ぐー。


 まるで寝ているかのような吐息が、その口から漏れる。

 店長はその日一日、料理の構想を練り続けた。



 翌日、構想を練りに練りまくった店長は、よだれの跡も鮮やかに食堂を後にして歩き出した。

 陽の光に照らされたその肉体は、巨大にして強大。丸太のような手足に鎧のような胴体、いかつい顔は髭でおおわれている。

 街ゆく人々はその威容に圧倒され、次々と道を開けていく。

 広場に着いた店長は、まず情報収集すべく、そこら辺の人に話しかけたらその全員が逃げた。

 仕方なく道で寝ている顔が真っ赤に染まっている自由人に話しかける。


 ――聞きたいことがある。


 店長の言葉に、焦点の合ってない目をした顔真っ赤の自由人は、声のする方向をぼんやりと見上げた。


 ――どじょうとは、なんだ。


 店長の問いに、自由人がろれつの回らない口調で答えて曰く。

 “なんか魚?”

 “細長い?”

 あとは言葉としての意味を持たない音が空気を振動させるだけ。

 店長は何かを考え込んだ後、体をひるがえして広場から出ていくのであった。



 どこか冷たい曇天に、吹き荒れる風は秋の空気を翻弄する。

 砂浜に立つ店長は、荒れ狂う波を前に厳然と立っていた。

 魚、というキーワードを元に推理を推し進めた店長は今、海を前にして立っている。

 無言で歩を進めた店長は、叩きつけるように向かってくる波をかき分けるように前進する。

 前へ、前へ、ひたすらに前へ!

 砂浜はすでに遠く、周囲を狂乱の波が躍り狂う。

 前へ、前へ、それでも前へ!

 店長の脳内には前方しか存在していなかった。魚はどっかいってた。



 それから三日ほど進んだ所で店長は、海底から異様な気配を感じて前進を停止した。

 これまでに経験したことがないような脅威が底にある。

 波乱の予感に、店長は口の端をわずかに歪めて潜水を開始する。

 暗い暗い底へ向かって、深く深く潜っていく。



 潜り続ける店長の目に、薄明るい光が映った。

 脈動するように明滅する青白い光を目指し、店長はさらに深く潜る。

 潜っていく店長の周囲から、突然海水が消え失せた。

 湿り気のある空気の中を落下していく店長。

 口の端を少し歪ませて空中で態勢を立て直し、硬い石で出来た床に着地する。

 わずかな地響きが周りの柱を震わせた。

 店長がゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡すと、石の柱がいくつも立っている。

 所々崩れたりしているその様子は、何かを守るような、何かを祀るような。

 何かを封じるような。


 ――神殿か?


 そう呟いた店長の声は、泡のように消えていく。

 どこかからくる青白い光が周りを薄く照らしている。


 少しだけ、空気が揺れた。


 何かに気づいた店長は凄惨な笑みを浮かべて振り返る。

 その眼前にいたのは、山のように大きく、蜃気楼のように歪んだ何か。

 世界を冒涜するような触手が蠢いていた。


 ――これが、どじょうか。


 店長は拳に力をこめる。

 輪郭もはっきりしない、曖昧にゆらめく巨体を前に、店長の大きく開いた口からは空気を震わせる咆哮が放たれた。

 蠢く何かはゆっくりと歪むように店長へと近づく。

 ここに、どじょう漁がはじまった。




 店長が海に旅立って一か月。

 つかの間の平穏を享受していた王国の海岸に、一人の店長が姿を現した。

 丸太のような手足に鎧のような胴体、いかつい顔は髭でおおわれている。

 そしてその右手には、輪郭が、周囲との境界が、ぼうとして曖昧な触手が、世界を冒涜しようと蠢いている触手が握られていた。


 店長は砂浜をゆっくりと歩く。

 それを見かけた巡回中の兵士が、職務上の質問をしようと店長に近づき、その右手に握られているものを見た。

 兵士の瞳から意志の光が消え、手足から力が消え、糸の切れた操り人形のように砂の上に横たわる。


 店長は道をゆっくりと歩く。

 前方から散歩中の老人が、会釈をしようと店長の方を見て、その右手に握られているものを見た。

 老人の精神は彼岸へと旅立ち、取り残された肉体は道の上に横たわる。


 店長は街を歩く。

 人々は声もなく倒れていく。

 ある疑問を抱える店長は、その答えを得るべく人に近づくが、その全ての正気がふっとんで質問どころではなかった。

 やむを得ず店長は道で寝ている顔が真っ赤に染まっている自由人に話しかけた。


 ――聞きたいことがある。


 店長の言葉に、焦点の合ってない目をした顔真っ赤の自由人は、声のする方向をぼんやりと見上げた。


 ――おでんとは、なんだ。


 店長の問いに、自由人がろれつの回らない口調で答えて曰く。

 “煮る?”

 “だし汁?”

 あとは言葉としての意味を持たない音が空気を振動させるだけ。

 人々が倒れている街の中で、店長はあごに手を当てて何かを考えている。

 治安維持のために派遣された守備隊が、バタバタと倒れていく中、店長が天啓を受けたように呟いた。


 ――だし汁、か。


 世界を凌辱する何かを、冒涜するように蠢く何かを握りしめて、店長は自分の店へと歩き出した。




 店長が煮るための弟子の募集をはじめた頃、王宮では突然現れた脅威に対応するための会議が開かれていた。


 ――ぜってーアレヤベーやつじゃん。


 王の言葉に臣下の者たちは青ざめた顔をして頷いた。


 ――追放追放追放追放!


 王の言葉に臣下の者たちはとにかく頷いた。

 こうして店長の国外追放が決定。

 まともな方法では追放できないので、店長がぐっすり寝てる所をこっそり馬車に乗せて睡眠薬山盛りにしながら国外に廃棄。

 店の厨房にある何かは、視界に入れるのも危険なので、店の周囲に神殿を建てて内部が見られないよう隔離。周囲を禁足地とし、住民の接近を厳しく制限。

 捨てた店長は翌日に戻ってきちゃったので、神官ということにしてついでに隔離することとなった。

 あとどじょうのおでんは、臣下の者たちが土下座しながらキャンセルした。

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店長の大冒険 @marucyst

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