第20話 求めた情報の発見

 資料館で調べものを始めてから、およそ七時間。


「間違いない。ここだよ」


 天井や窓から差し込む光が建物を茜色に染める中、私は読書用のソファに腰かけたまま、両手に持っていた本の頁を見つめながら言った。

 開いた頁の右上には、川を挟んで山と隣接している小高い丘の校舎が映った写真。白と黒だけで表現されているものの、その光景は間違いなく、私が夢の中で見たものに相違なかった。


「時間ギリギリではあったけど、思ったよりも早く見つけられたね。日を改める必要が消えて、本当に良かった」

「感覚が麻痺していると思いますが……」


 私の安堵の言葉に、隣に座っていた史輝が言った。


「調べものに七時間というのは、相当長いですからね。普通は数十分で終わるものです」

「そうかもしれないけど、ここ一週間のことを考えたら凄く短いのは本当じゃない?」

「まぁ、見つかっただけマシと思いましょうか」


 改めて、史輝は私の手元を覗き込んだ。距離が近くなったことで鼻腔を史輝の良い香りが擽ったが、極力、私は気にしないようにした。この距離になることなんて日常茶飯事なのだから、一々気にしていては身が持たない。まぁ、そんな思いとは相反して、鼓動は僅かに加速するのだけど。

 微かに心臓を高鳴らせた私には気が付かず、史輝は本に掲載された写真を見て言った。


「これが、先生が夢で見た景色ですか?」

「うん。この写真では川沿いの桜が映っていないけどね」


 最も印象に残っていた満開の桜を思い浮かべた。

 写真の横に記載されている説明文によると、ここは山城小学校という名前らしい。十年ほど前に閉校し、以降、非常時には町民の避難場所として使われていたらしい。

 鬼辰戦争時には兵士の臨時宿舎として使用されており、三十を超える部隊、小隊がここで寝食したという。その際、一度だけ反政府勢力の奇襲を受けており、当時寝泊まりをしていた四人の内、三人が戦死したという事実。加えて、犯人は逃亡してしまった、と書かれた文も添えられていた。

 あたかも相手が悪いように書かれているけれど、実際は何とも言うことができない。戦争は互いの正義のぶつかり合いであり、そこに悪は存在しない。政府に逆らった者たちも、自分の正義を信じて戦ったのだから。

 複雑な気持ちになりつつも私は気持ちを切り替え、学校がある場所を確認した。


「……皇来から東に百五十キロか」


 ひと昔前であれば数日かけて進む道のりだったのだろうが、今は車という非常に便利な乗り物がある。移動時間を考えると、およそ二時間と少し。ただ、都会と違い否かは道路の整備が進んでいない可能性が高く、実際には三時間程度かかると考えたほうがいいだろう。今から出れば、到着は夜になるはずだ。

 まぁ、日付が回る前に帰ってくることができれば上々。

 本を閉じて私が立ち上がると、同じように史輝も立ち、問いを投げた。


「行くつもりですか?」

「勿論。調べたからには行かないと」


 本が収納されていた本棚に向かって歩きながら返すと、史輝は微かに眉を顰め『まさか』と、嘘であってほしいという願いを声音に込めて、更に問うた。


「今から行くつもりで?」

「? そうだよ。明日以降に延ばす理由はないし」


 私は決めたらすぐに行動するタイプの人間だ。行くと決めた時点で、後日という選択肢は存在しない。日付を回っているほどの真夜中であれば話は別だが、今は夕方。まだまだ活発に行動できる時間である。


「あのですね……」


 それに異を唱えたいらしく、史輝は額に手を当て、呆れ気味に告げた。


「無茶はやめてくださいと、僕は言っているでしょう。今から三時間もかかるところに行くなんて、絶対に疲れます。貴女は病み上がりなんですよ?」

「大丈夫だよ。車に乗っているだけなら動くわけじゃないし、そこまで疲れない。あ、何なら私が運転しても──」

「その冗談は面白くありませんね。運転は絶対に許しません」

「……ですよね」


 アハハ、と私は頬を掻いた。

 忘れてはならないのは、私の不幸体質という厄介な特性。あらゆる因果を捻じ曲げて自分に不幸が降りかかる私が運転などしようものなら、命が幾らあっても足りないことになる。ものの数十秒で重大な事故を起こすことになるだろう。

 その点、史輝が運転をしている時は比較的安全に移動することができる。運転者が私ではないことが影響していると考えられており、私の運転でなければ事故は起きないと発覚して以後、史輝は私の運転を頑なに禁じていた。

 当初の私は反発し、自分にも運転をする権利があると主張したが、そのこと如くを史輝に論破され、結局今後の人生における運転を完全に諦めることになった。不服ではあるが、言い負かすことができない、と。

 資料館の出入り口に向かいながら、史輝が『仕方ありませんね』と言った。


「言ったところで聞かないと思いますので、付き合いますよ。運転は僕がしますので、先生は助手席で何か面白い話でもしてください」

「サラッと高難易度なことを言うね」

「これくらいに要望はしてもいいでしょう。眠気を我慢して、先生の我儘に付き合ってあげるわけですからね」

「はいはい。ありがとうございます」


 私はおざなりな礼を言い、鉄扉を開けて外に出た。

 夕日を浴びて茜色に染まる街。仕事から帰る人々だろうか。誰もがホッと一息ついたような、安堵の表情を浮かべている。彼らを見ると、一日の終わりというものを鮮明に実感した。

 道行く人々を眺めていると、史輝が私の手を取った。

「では、行きましょうか。まずは珈琲の調達です」

「珈琲? なんで?」


 これから行くのは探偵事務所。車はその車庫にあるため、態々お茶をしに行く必要はない。

 と、私は思ったのだが……史輝はさも当然のように返した。


「これから長時間の運転になるわけです。まさか、飲み物も持たずに行くつもりですか? それでは快適なドライブデートとは呼べませんよ」

「デートって……これから行くのはそういうものじゃ──」


 言いかけ、私は途中で言葉を切った。

 考えようによっては、ドライブデートということもできる。何せ、男女が一つの車に乗り込み、遠くを目指して走るのだ。目的が何であれ、当人たちがデートと思っていれば、それはデート。態々否定するようなことでもない。

 であれば、飲み物の一つや二つ、車に持ち込むのは当然だ。私もどうせなら快適な移動をしたいと思う。

 そうだね、と頷き、史輝に手を引かれるままに進んだ。


「私は抹茶ティーがいいな。簡単なお菓子もあると嬉しいかも」

「いいですけど、車内でぶちまけるのはやめてくださいね? 先生は時折──釣り上げられた真鯉みたいな動きをするので」

「はーい。満面の笑みで女性にそういうこと言わなーい。好きな子をからかっても良いのは初等教育までだよ~」


 私は史輝の頬を指先で割と強めに突くが、史輝はそれを咎めることも、抵抗することもなく笑って受け入れる。

 傍から見れば恋人に見えるのだろうか。

 不意に浮かんだそんな考えを振り払い、私は史輝と並んで、人々の影が長く伸びる道を歩き進んだ。

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