第18話 覚醒と助手

 次に私が目を覚ますと、目の前には知らない白い天井があった。

 視界の右端には白いカーテンと透明な輸液バッグ。左端には、星の瞬く夜空が見える開け放たれた窓。夜風が吹き込んでおり、肌を撫でるそれはとても冷たい。

 先ほどから全身に伝わる感触は柔らかく、身体の上には毛布と思しき薄い布がかけられている。鼻腔を擽るのは、消毒用アルコールの香り。

 どうやら、自分は病院のベッドに眠っているらしい。

 五感で得た情報から推察した私はまず、今は何時なのだろう、と時計を求めて上体を起こそうと腹部に力を入れる。夜なのはわかるけれど、具体的な時間はわからない。この位置からでは月も見えず、予測することすら不可能だ。

 暗順応する前の見えにくい視界の中で起き上がる。するとその時、私の近くで聞き馴染んだ青年の声が聞こえた。


「先生」


 夜の病院ということで配慮したのか、その声は小さい。しかし、静寂が包む病室の中では十分以上に大きく聞こえ、私は声のしたほうへと顔を向ける。

 そこには、とても安心したような表情を浮かべている史輝がいた。彼は椅子に座り自分の胸に手を当て、心を落ち着けるように小さく呼吸を整えている。


「史輝──」


 史輝の姿を認めた私は、求めていた時間の答えを尋ねようと口を開く。が、肝心の質問を口にする直前──正面から、史輝に抱きしめられた。全身を包む、史輝の香りと身体の感触。それは決して不快なものではなく、寧ろ、とても心が安らぐものだった。

 普段から私に対して好意を伝えることはあるものの、ここまでの行動に移すことは珍しい。

 一体どうしたのか。という私の疑問に、史輝は問われる前に答えた。


「良かった。このまま……目覚めないかと」

「……」


 喉奥から絞り出したような声音と言葉。加えて、私を抱きしめる史輝の両腕は微かに振動している。

 明確な回答ではない。けれども、今の史輝の状態だけで。私には理解できた。

 そっと、史輝の腕に手を添える。


「ごめんね、史輝。心配させて」


 その謝罪に、史輝は言葉を返さない。ただ私を抱きしめ続けるだけだった。

 史輝は、とても恐れているのだ。私を──唯一心を許すことができる相手を失うことを。信頼できる相手の死を。

 小さな声で、私は史輝の耳元で囁いた。


「大丈夫。私は貴方の前からいなくなったりしない。貴方の仲間のように、目の前で手の届かないところへ行ったりしない」


 そこで一度言葉を止め──言った。


「黒龍隊の人たちのように、貴方の前で死んだりなんてしないから」


 私の言葉への返答は変わらず無言で、代わりに、抱きしめる力が少しだけ強くなった。

 鬼辰戦争で最も有名な逸話となった、黒龍隊員たちの総自刃。史輝は、その唯一の生き残りなのだ。世間的には生存者なしとされている悲劇の部隊の、ただ一人の生存者。

 史輝が極端に私を失うことを恐れる原因は、ここにある。自らが率いた隊の部下たちが次々と自刃する中、自分はそれを許されず、目の前で仲間が次々と死んでいくのを見ていることしかできなかったという。手の届く距離にいながら、手を伸ばすことができずに全てを失った経験が、トラウマになっているのだ。

 今回、私は史輝の眼前で倒れ、意識を失うことになった。それは、心に傷を抱える彼には相当の心労になったはずだ。再び、大事な者を失うかもしれないという恐怖が史輝を襲ったことだろう。

 落ち着くまで、しばらくこのままでいさせてあげよう。史輝の背中に手を置きつつ決めた時、不意に、史輝が私の耳元で言った。


にはもう……貴女しかいないんです」

「うん。そうだね」

「あまり、心配をかけさせないでください。遠くに行こうと、しないでください」

「うん。傍にいるよ」

「……」


 私は言い聞かせるように、安心させるように言う。と、無言のまま私を抱きしめていた史輝はその腕を解き、元々座っていた椅子に腰を落ち着けた。一度咳払いを挟み、若干恥じらうように口元に拳を当てる。


「すみません、少し取り乱しました」

「大丈夫。謝らなくていいよ」


 そう言って、私は時間を尋ねた。


「今は何時?」

「午後十一時です。先生が気を失ってから……丁度一日半が経過した頃でしょうか」

「え」


 そんなに眠っていたのか、と私は事実に驚愕した。

 眠っていた当人である私には一瞬にしか感じられなかったが、どうもそれなりの時間が経過していたらしい。そんなに目覚めなかったのなら、相手が史輝でなくとも心配するだろう。彼ならば、猶更だ。


「本当にごめんね。心配かけて」

「いえ、先生も好きで気を失ったわけではないことはわかっていますから……ところで、あの時に何が起きたんですか? かなり苦しそうにされていましたけど……」

「あぁ、それはね──」


 自分の記憶を掘り起こしつつ、私は気を失う直前に起きたことを話した。

 魔骨が独りでに動いた直後、私の耳には耐えられないほどの絶叫が聞こえてきたこと。史輝や透花様が聞こえていないということは、その声は確実に魔骨から発せられたものであること。意識を失う直前、透花様に謝る声が聞こえたこと……など、記憶に残っていたことは全て共有した。

 勿論、目覚めたばかりの私はまだ頭が完全に覚醒しているわけではない。中には思い出していないこともあると思うので、それは記憶が蘇り次第、随時共有していくつもりである。ここで隠しごとをする意味は、全くない。

 話を聞いた史輝はやや難しそうに首を捻り、こめかみに指を当てて悩んだ。


「どうして突然、魔骨は先生が気絶するほどの声を上げたのでしょう。これまで、全く声を上げなかったのに」

「何かきっかけがあったんだろうね。でも、あの瞬間の前後に、何かがあったはずだよ。今後はそれを調べなくちゃね」


 私が言うと、史輝は疲れた表情で溜め息を吐いた。


「魔骨の声を聴いてヒントを貰うつもりが、さらに調べものが増えるとは思いませんでしたね」

「まぁ、確かにね」


 苦笑しつつ、でも、と私は続けた。


「そのおかげで得られたものもある。特に、私が長い時間気絶していたのは、決して無駄じゃなかったよ」

「? それは、どういう──」

「ねぇ、史輝」


 真っ直ぐに史輝の目を見つめ、私は彼に言った。


「一緒に探してほしいものがあるんだ。いや、ものというよりも、場所なんだけどさ」

「?」

 

 内容がわからないそれに、史輝はただただ、首を捻るだけだった。

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