第13話 騒がしい朝の一幕
翌日、午前九時の事務所書斎。
「本当に場所も時間も関係なく不幸に見舞われる人ですね、先生は」
呆れているような、感心しているような。どちらとも判別できない声で言葉を形成し、史輝は私に細めた目を向けた。
「数時間の眠りから覚めた後に、今度は永劫の眠りに就こうとするなんて……佳人薄命と言いますか。まるで神が先生を早く自分の手元に連れてこようとしているみたいですね。神に愛されているのか、いないのか。僕と出会う前に死んでいなかったのが、不思議でなりません」
「明らかに神に嫌われてるからこんなことが起こるんだと思う……好かれてたら、毎日のような散々な目にあったりしてないよ」
史輝の腕に抱かれたまま、私は安堵に肩の力を抜いて言葉を返した。
私の不幸体質が、朝から発揮された結果になった。起床し、朝食を取った後に書斎で子猫と戯れながら一休みしていた時、突然部屋の天井から吊るされていたシャンデリアが落下してきたのだ。あまりにも唐突のことに身体は全く動かず。結局、私は以前のように子猫だけは守ろうと抱きしめることしかできなかった。
質量の大きいガラス細工のシャンデリアが直撃すれば、怪我は避けることができない。私は衝突による猛烈な痛みを覚悟していたのだが、大惨事になる寸前、丁度部屋に入ってきた史輝によって助けられたわけである。
今現在、史輝は私の上に覆いかぶさるような姿勢を取りつつ、右手で落下したシャンデリアの支柱を持ち上げていた。かなりの重さがあるはずだが、彼は重量を一切感じさせない、まるで鳥の羽を持ち上げているように涼しい顔をしている。
史輝がいなかったら、何度死んでいることか。
そんなことを思いながら、驚きに加速していた脈が正常に戻ったことを確認した後、私は右手のシャンデリアをそっと床に下ろした史輝に礼を告げた。
「ありがとう、史輝。今回ばかりは本当に死んだと思ったよ」
「お怪我がなくて何よりです」
短く言葉を返し、シャンデリアの傍で膝を折った史輝は天井とそれを繋いでいた鎖を手に取った。埃を纏い金属本来が持つ光沢を失っているそれは、先端が引き千切れたような形状になっている。
史輝はそこを指の腹で触った。
「金属疲労でしょうね。埃の下には錆も見えますから、元々状態が悪かったんだと思います」
「定期的に掃除はしていたんだけどね」
「掃除だけで錆は防げませんよ。もっと、徹底的にやらないと」
「そうだね。今後は定期的に、鎖も変えないと」
史輝の指摘に私は頷きを返した。
思い返して見れば、私の掃除は確かに大雑把なものが多かった。時折大掃除をすることはあるけれど、数ヵ月に一度程度。しかも、シャンデリアの鎖なんて一度も変えたことがない。錆びも埃もある中、これまでよく耐えたほうだと思う。本当に、大惨事になる寸前で終わって良かった。
子猫をソファの上に安置し、私も史輝と同じようにシャンデリアの近くに移動した。
「あとで修理を業者に依頼しておこうか」
「使い続けるならそうですね。ただ、個人的にはもうシャンデリアは外したほうが良いと思いますよ」
「え、なんで!?」
とても気に入っているインテリアの撤去を勧められ、私は思わず驚いた声で史輝に理由を尋ねる。と、彼は当然でしょう、と言わんばかりに告げた。
「自分が不幸体質であることを自覚してください。こんないつ落ちるのかもわからない不安定なものが頭上にあれば、また今日と同じようなことが起きますよ。今回は僕が来たからよかったものの……僕がいない時に落ちてきたら、それこそ大惨事です。貴女だけではなく、子猫もね」
「う……っ」
史輝の考えは理に適っており、私は否定できずに押し黙った。
確かに、その通りだ。常に不幸が身に降りかかる私に適した照明は不安定に吊り下げられているものではなく、例え落下しても軽い怪我で済むようなものだ。最近は巷で天井埋め込み型の照明も出ているので、そういった安全性が高いものに変更するべき。
ただ、シャンデリアは私のこだわりだ。
近代風に整えた書斎を照らすそれは、見栄えという点で言えば満点の代物。そのこだわりを捨てるのは私……いや、人間にとって容易なことではない。どうしても手放したくないものを手放せ、と言っているようなものだ。
とはいえ、自分と子猫の安全には変えられない。こだわりに執着した末に命を危険に晒していては、元も子もない。こだわりとはあくまでも、命があるからこそのものなのだから。
「……前向きに検討させていただきます」
「煮え切らないですね。素直に別のものに取り換える、と言えばいいものを」
「男も女も、こだわりだけは中々捨てられないものなんだよ……」
そんな言い訳を口にし、私はクッションの上に移動した子猫の頭を撫でた。
「とにかく、ありがとね。透花様のところに行く前に、大惨事にならなくてよかったよ」
「予定時刻まで、あと二時間ほどですからね。直撃していたら、確実に間に合いませんでした」
「だよね。本当私って……ギリギリの人生を送ってる感じがするなぁ」
机の前にある椅子へ移動し、私は溜め息を吐いて天井を見上げた。
今まで自分が経験したことを考えると、思い出すだけでも億劫になる。生と死の運命の間で反復横跳びをしているような、そんな人生だ。特に史輝に出会ってからというもの、彼がいなければ死んでいるような出来事が幾つも起きている。助けてくれる人が現れると、危険も増える効果でもあるような感じだ。
運のない自分の人生を振り返っていると、史輝は私の背後に立ち、手入れの行き届いた私の髪を櫛で梳かした。
「先生が不幸に見舞われる度に思います。先生は僕がいなかったら、何度死んでいるんだろうと」
「軽く三桁は言ってそうなのが自分でも理解できるよ」
「そうでしょうね。まぁ、ウミウシのような先生についていくと決めたのは僕自身なので、特に文句もありませんけど」
「間接的に動きが遅いって言ってない?」
「すみません、わかりにくかったですね。先生はとても鈍間です」
「言い直さなくていいよ!!」
背中越しに見える満面の笑みを浮かべた史輝に、私は大きな声で鋭く返した。
言い方については抗議したいところだけれど、実際に自分が注意散漫である自覚が多少なりともあるので、強く否定することができない。どうも史輝は、私が強く言い返すことができない部分を的確に突いているような気がする。狡猾であり、小憎たらしい。
絶対にいつか、自分も同じようにやり返してやる。
復讐心……とも違う気持ちを胸に灯し、私は片手にグッと握り拳を作った。
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