エピローグ:変わっていく何か



「とっても美味しかったです……」

「良かったよ喜んでくれて」



喫茶店から出れば、もう20時を超えていた。

楽しい時間はあっという間と言うが、その通りだ。



「朝日君は凄いですね、こんな店を知ってるなんて」


「たまたま見つけてさ。俺はなにもしてないよ、凄いのはあの店だから」



タンタンと階段を降りながら、彼女と話す。

昔はぎこちなく昇ったそれも、今は随分慣れた。


ビルから出れば、辺りは街灯が照らし人も少なくなっている。

そして彼女は足を止めた。



「? どうしたの?」

「で、でも。どうして私なんかにここまで……?」



夜風が優しく吹く。

髪が揺れて、彼女の眼鏡の奥の瞳が揺れているのが見えた。


その感情は――きっと恐怖だ。



「……ごめん。怖がらせちゃったかな」

「いっいやいや! その、むしろ数年分ぐらいの運を使ったぐらい良い思いをしてまして」


「はは。大げさ過ぎだよ」

「そそそんなことありません……だからこそ、何もお返し出来なくて……その……」


「え?」



何か、また彼女の様子がおかしい。

体をよじらせて、耳まで顔を赤くして。



「もっ、もう私の身体ぐらいしか……釣り合うモノがないかと……っ」

「は?」



一体何を言うのか、と思ったらそんな台詞。

思わず思考が停止する。



「鈴宮さん」

「ひゃっ、ひゃい!」

「深呼吸しようか」





「ご、ごめんなさい……私またおかしくなってました」

「びっくりしたよ」



ビル街の空気が美味しいか美味しくないかはさておき、落ち着いた彼女。

ようやく歩き出せた。


未だ鈴宮さんは恥ずかしそうだ。

駅までに落ち着いてくれたら良いんだけど。



「ぷ、プリンが美味しすぎてですね……」

「それは嬉しいんだけど、あんまりああいうことは言っちゃ駄目だよ」


「ごごっごめんなさい」

「そういうのは……もっと……大事にしないと」


「? は、はい」



自分は、こんな説教をかませる人間じゃない。

俺は――


……やめよう。今は鈴宮さんと話してるんだ。



「俺が悪い人だったらどうするの?」

「あ、朝日君はそんな人じゃないって……」


「買いかぶり過ぎだって」

「……でも」


「ありがとう。もちろん気持ちは嬉しいよ」

「!」



笑って鈴宮さんに言う。

嬉しいのは本当だ。


ただ、俺は彼女の思い描くような人物じゃない。


気味の悪い優しさを押し付けた。

ただ、欲しいものを得るために。



「今日の事は、全部俺の為にしたことだから」

「……へ?」


「君の為にやったんじゃない。だからお返しとか考えなくて良いよ」

「……」



そうだ。

お茶を彼女に渡して、勉強に付き合ったのも。


これは予想外だったけど……先輩を退かしたのも。

とっておきの喫茶店を紹介したのも。


全部――俺が、一人で居たくなかったからだ。

翔馬のグループから追い出された、孤独を癒やしたかったから。

言いようのない渇きを、満たしたかったから。



「ごめんね」



その為に彼女を利用したんだ。

都合がいい、一人だった鈴宮さんを狙って。



「謝る事じゃないと思います」

「え?」

「自分が自分の為に行動するなんて当たり前じゃないですか?」

「そ、それは……」



しかし帰って来た言葉は予想しているものと違った。


思わずどもる。

返す言葉が見つからない。



「それで私も良い思いをしているのなら――朝日君はむしろ胸を張っていいと思います」

「!」

「というか、朝日君は自分が自己中心的みたいに仰っていますけど……私の好きなモノばっかり頂いている時点で、そうじゃないです」

「わ、分かった。分かったから!」



スイッチが入ったように、こちらに喋ってくる彼女。


思わず押されてしまう。



「……わ、ごっごめんなさい!」

「大丈夫大丈夫。びっくりしたけど」

「すいません、熱くなっちゃって……」



謝る彼女は元の鈴宮さんだ。

あそこまで気圧されるとは思わなかった、けど。



《――「むしろ胸を張っていいと思います」――》



こんな事を言われたのは、初めてだった。

胸が暖かくなっているのを感じる。


もっと、彼女と居たい。

自然にそう思った。



「駅、着いたね。どっち方面?」

「えっと、○×方面です」


「そっか。じゃあ俺とは逆だね、残念」

「! は、はい……」



でもそこまで、運は良くないらしい。

改札、定期を通して別れ道。


金曜の夜。

今日は、ここで終わってしまう。



「あのさ――」

「なっなんでしょう?」


「……っ。いや――」



声を掛けて、固まる。

久しく感じた。

声を掛ける時に、手が震えているのを。



“また一緒に帰らない?”



その言葉が出てこない。

まるで喉奥でつっかえた様に。



「?」

「あ、いや――」



なんでだ?

どうして、こんなに鼓動が早い?

どうして、こんなに怖いんだ?



「……?」



不思議そうな顔をする彼女に。



“また何処か行こうよ、良い喫茶店知ってるから”。



そんな言葉が。


出てこない。

これまでずっと、軽く言えた一言が。

なんでもない様に言えていたはずなのに。


躊躇なんてしたことがない。

断られる事なんてない。

こんな言葉、数え切れない程言ってきたのに。



「……ごめん。何でもない」



考えれば考える程ドツボに嵌る。

頭の台詞は最後まで、喉から出てくれなくて。



――“俺と友達になってくれないかな”――



一番言いたかったソレも、出る気配すら見せてくれずに。




「……はっはい。了解です……?」


「うん。それじゃ、気を付けて帰って」

「はい、朝日君も!」



手を振って彼女と別れる。

その鼓動は、ようやく落ち着いたけれど。



「っ……」



分からない。

でも――


何か。

何かが変わっていく。


一体俺は、どうしてしまったんだろう。

















▲作者あとがき


プリンへの旅路完!


いつも応援ありがとうございます。

おかげさまで、コンテストのプロ作家部門にて100位内に入っております。

嬉しいです!!!


次はようやく関西人パート……の前に、一話ばくまを挟んでから次の章に行きます。


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