第三話

「あたしたち、やっぱり、能力なかったね」

 名木なぎがふわふわの髪を弄びながら、言った。

「……うん」

 嘉乃よしの名木なぎも、たちばな氏の傍流だった。橘氏と名乗れないほど、遠い血筋。


 文字の能力は大変稀有な貴重なものなので、一人でも多くの能力者が見つかるようにと、少しでも六家りっかの血筋が入っていれば、成人の儀のとき真澄鏡まそかがみの前に立つことになっていた。そのようなわけで、二人とも二年前、真澄鏡まそかがみの前に立ったのだ。


 嘉乃は、空の高みを見た。

 嘉乃のまっすぐで艶やかな髪が、風になびいて、嘉乃のすらりとした白い首筋が露わになった。嘉乃は眩しそうに眼を細めながら、風を感じていた。


 そのようすを見ていた名木なぎが言った。

「……嘉乃、ほんとうにきれいだね。文字の力があれば、嘉乃が皇太子妃だよね」

「そんなこと、ないよ。――文字の力は当然ないし。皇太子妃、なんて考えるだけでも畏れ多いわ。橘の傍流ではあるけれど、末端だし氏は名乗れないし。それに、橘は、今はふじ氏に追いやられているし」

「そうなのよね。……橘はいま、力のある人、少ないのよね。藤氏が強くなっているわよね」

「……うん」


 世界は不調に陥っている。

 一つの御代だけなら耐えられたものが、数代続くとだんだん重く暗いものが溜まっていくのだった。

「とりあえずさ、早くめあわしの儀が行われるといいね」

「そうだね」

 めあわしの儀、つまり婚姻の儀式のような大きな儀式があると、祝詞のりとが詠まれる。

 祝詞が天に届けば、この世界の不調が少しは解消されるかもしれない。


「戻ろうか」

 嘉乃は籠を手にして、立ち上がった。

 もう一度、美しい景色を見る。

 夕飯の支度を始めた家々があって、煙が立ち上っているのが見える。

 人々の声が微かに聞こえた。


 風が、ざあっと吹いて嘉乃の髪をさらった。長くて癖のない、美しい髪。

 嘉乃は顔にかかった髪を細く白い指で払った。

 抜けるような白い肌。長いまつ毛に縁どられた、切れ長の黒曜石の瞳。通った鼻筋に、紅を塗らずとも、赤く濡れているような唇。――嘉乃には儚げな美しさがあった。そして同時に若さの瑞々しさがあった。儚げな中にも前向きな強さがあり、手足はのびやかで、着物から伸びた脚は、大地をどこまでもゆけそうで、とてもしなやかだった。


「うん、帰ろう! ごはんの支度の手伝いしなくちゃね」

 名木なぎも籠を持って立ち上がる。

 そして、愛すべき笑顔を嘉乃に向けると、二人は笑い合いながら、家へと向かった。



 遠くで鳥の音と人々の笑い声が聞こえ、緑を撫でる風の音が優しく響いた。

 家へと急ぐ、二人のあとに、ふわりと小さな白い花が舞っていた。

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