第3話 吸血鬼の血液検査



「まさかベッドがこんなことに役に立つとは思わなかった。棺桶で眠るのをやめてよかったな」


 枕元で苦笑する男の声で、エヴァンゼリンは目を覚ました。


「ここは、どこ……?」


 窓のない薄暗い部屋。

 しかし、ろうそくの明かりが静かに燃え、あたりをやわらかく照らし出しており決して怖い場所だとは思わなかった。


(ここは、墓場の地下室かしら?)


 ぼんやりと考えながらエヴァンゼリンが横目で見れば、ヴァンパイアの青年が心配そうに覗き込んでいた。

 彼の持つカップからは、湯気に混ざりワインとシナモンの暖かな香りが漂ってきた。


「咳も治まったようだね。なに、気にすることはない。すぐに家に返してあげよう」


「ヴァンパイアさん。わたし、おかあさまの幽霊に会いにきたの」


「君のお母さまは、天国に行ったんだよ」


「うそっ、私を置いて行くわけない」


「よい行いをした者は、みんな天国に行く。ならば君のお母さまが行かれるのは当然だろう?」


「でも……わたしは、おかあさまに会うの。そして、迎えに来てもらうの!」


 頭を振るエヴァンゼリンに差し出されたのは、ホットワイン。


「しーっ。悲しいことなら思い出すことはない。これを飲んでゆっくりおやすみ」


 促されるままにひとくち飲むと、ほのかに残ったお酒のため胸が熱くなった。

 ワインとオレンジの酸味、シナモンのさわやかな香り。

 体がじんと温かくなり気持ちが落ち着いた。


「死を望むなんていけない子だ、ここでは不用意に不吉なことをいってはいけないよ。ヴァンパイアの住む墓場の地下室だから……」


 ヴァンパイアは黒いマントを揺らし、牙を光らせわらってみせる。


 エヴァンゼリンを少し怖がらせ、帰りたい気持ちを誘うとしたが逆効果であった。

 彼女は、怯えるどころかヴァンパイアが思いも付かないことを言い出した。


「おにいさん、本物のヴァンパイアなのよね? だったら、お願い仲間にして!」


 彼の胸に飛び込み、少女は懇願した。

 まっすぐに見つめるその瞳は、闇に生きるものが決して手に入れることのできない空の色をしていた。



「幽霊に会いたがったり、ヴァンパイアになりたかったり。困ったお嬢さんだ」


 彼は軽くため息を吐いたが飽きれたのではない。

 本当の彼のことを知らず、ひたすらに頼ってくる娘を好ましく思ったのだ。


「わたしは、大人になるまで生きられないと言われたわ。だから、ヴァンパイアになって生きたいと思ったの……」


 ヴァンパイアの青年は、少女の青空を涙で曇らせたくない。できることなら、何か力になってやりたいと心を動かされた。


 そして、ひとつの提案をした。


「どんな医者だか知らないが、君の病がどれほどのものか調べようか?」


「そんなことができるの?」


「血を飲めばわかるよ。なにせ、ヴァンパイアだからね。どうする、怖い?」


「怖くなんてないわ!」


 頬を膨らますエヴァンゼリンの様子を見て、小さなレディに失礼があってはいけないとヴァンパイアは笑いをこらえた。


「少しちくりとするからね」


 彼は、タイをとめていたブローチをはずすと、その針でコットンのような彼女の白く柔らかな指を突いた。


 左手の人差し指の先に、ビーズほどの輝く血球が浮かぶ。


 それを確認すると、ヴァンパイアは彼女の指を口に含んだ。


「んっ……」


 エヴァンゼリンは、驚いて目を閉じた。


 彼の手は、ひんやりと秋の夜風のようであったが口付けられた指先は火がともったように熱く感じた。


 鼓動が早鐘のように鳴り響く。


(私も、ヴァンパイアになってしまうの??)


 早く過ぎて欲しいようで、ずっと続いて欲しい。


 空いた右手で、苦しいのか切ないのか分からない胸元をきゅうと押さえた。

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