第五話――かくして始まる物語



 ムヤミは駆ける。


 表通りは既に兵士ひしめく危険地帯。裏路地にもいくらか捜索の手が回り始めた。それでも表よりは数段安全だ。

 だがムヤミにそんなことを考える暇は無い。


 殺した。人を殺したのだ。この手で、確かに触れて、訳の分からない、魔法のようなもので、殺した。それも、この世界に来て唯一笑顔を向けてくれたゴードンさんを。


「は、は、はあ……!」


 自責の念に押し潰されそうになるムヤミは今、ただ人のいない場所を目指し、表通りも裏路地も出鱈目に走り回っていた。

 そんな状態ですら、そこらの兵士の刺突や斬撃、魔法を躱し、いなすことに難は無い。

 時に壁の突起を足掛かりに駆け上り、時に屈強な兵士を足掛かりにムヤミは逃げ果せた。


 ただ、ただ、逃げ出したかった。自分を殺そうとする者達からも、この理不尽な世界からも、自責に溺れるのに死ぬことだけは決して選べないでいる醜い自分という存在からも。


 逃げる中で、今朝方に通った道を駆け抜けたことにムヤミは気付かなかった。


 ゴードンと出会った道を横切った。

 硬貨の価値を調べられないかと入った店の正面を駆け抜けた。

 誤って入った酒場に飛び込み、その裏口から飛び出した。それを見世物として酒を仰ぐならず者たちにも気付かなかった。

 最初に出会った店主の頭上を飛び越えた。


 いつの間にか、ムヤミを追うのは馬に乗った兵士ばかりであった。

 後方、時折前方や左右からも飛び交う火球や水球、風の刃に稲妻を躱した。


 街の端を囲う外壁に辿り着く。ムヤミはすでに地面を走っておらず、家屋の屋根を伝い、騎馬兵をも撒いていた。それにさえ気付かず、ムヤミは未だ背後に迫る幻影に怯え、駆けていた。


 外壁へ飛び移り、間髪入れずその外へ。

 背の高い木を足場に勢いを殺し、ムヤミはとうとう、怨嗟渦巻く街からの脱出を果たした。


「おい! なにやってるんだお前! すぐに戻りなさーい!」


 そう叫ぶのは外壁を飛び越えるムヤミを見た警備兵。ムヤミを追っていた兵士と比べれば些か貧相な防具に思えるが、それでもムヤミにとっては同じだった。


「ひう……ひぐ……、う」


 ムヤミは草原を走った。

 いつの間にか辺りを照らすのは夕暮れだ。暖かく照らすそれに向かって、ただ走る。


 日もやがて沈み、夜が空を覆いだした頃、街の外壁も見えない程に遠ざかった道無き月明かりの草原。


 ムヤミはとうとう、何でもない窪みに足を取られ、転んだ。


「あがぁ!」


 倒れ込み、起き上がる気力も感じないムヤミは、膝を付いて蹲った。


「ああ、ああああああ……!!」


 言いようの無い感情が叫びとなってあふれ出す。

 大きく口を開いたせいで、まだ乾き切って無い顔の傷がじんじんと痛む。


 誤解の一つも解けなかった悔しさか、罪無き自分を追い立てた憎しみか、行く先も無い逃亡への絶望か。

 

 ムヤミだと言うのに、行く先は闇ばかりのこの惨状。

 どうして僕はムヤミなんて名を受けた。

 こんな、自身すら闇に沈むような人間だというのに。


 こんな奴、いっそのこと死んでしまえば――。


「――」


 ムヤミの思考は途絶する。


「――あっはは! ホントに躱しやがるぜコイツ!」


 薄らとした夜闇の草原に、品をこそぎ落としたような女の声がした。


「……あなたは、誰ですか」


 顔を上げた。そこにいるのは暗い赤髪をぼさぼさに束ねた女だ。腰にナイフを提げているが、冒険者というには少々軽装にも思える。

 突如目の前に現れたその女。普段のムヤミならば、固まって石のようになり、いずれは呼吸困難にまで陥ったことだろう。しかし、この現状を“普段”と形容には、あまりにも、あまりにも。


 ムヤミは怒りを覚えていた。

 その女にではない。死んでしまえばいいと思った癖に、その直後に訪れた絶好の死に時すらふいにした自分に、耐えがたい怒りを覚えている。


 思考の途絶する直前。ムヤミは首を傾け、頭部の位置をずらした。

 瞬間、女の拳がそこを撃ち抜き、地を深く穿ったのだ。

 本能による回避でも何でもない。

 追われていることも、近づいていることも、拳の放たれることも、全てわかって放っておいたのに、ムヤミはまた、生を選んだ。


 自身の尾行が気取られていたことも知らぬ女は愉快気に言う。


「お前さ、国一番の兵士団に追われてたろ。何やったってんだよ」


「……殺した、らしいです」


「はあ? らしいだぁ? 記憶がねえクチか? まあいいや。しらばっくれんのなんざアタイらの常套手段だもんな」


 などと勝手な納得をした女。

 いよいよ、ムヤミにも疑問が湧いてくる。

 この女は、なんで。


「ぼ、僕の……この顔が、怖くは、無いんですか」


 ムヤミの上げた顔は見るに堪えない切り傷と、乾いた血と涙が一面に張り付き、ごちゃまぜにねじくれた感情からのわらいを浮かべている。なのに彼女は、それを見て眉一つ動かさない。


「きっも」


 そう吐き捨てた女はムヤミの顔に唾を吐き掛けた。はねる様に避けた空中のムヤミを蹴り上げることで追撃。体を捻って回避したムヤミ。それに女は、飛び付いた。


「ひ、ああ!」


「よっしゃ。捕まえた」


 体力の限界、動きなれない体、頭で鳴り続けるエーリッヒの叫び。

 どれが、とも言い切れぬ原因の蓄積の結果、ムヤミは高校生となって以来、初めて他者の接触を許した。


「今日一日、どんだけお前のこと観察したと思ってんだ。パターンは透けてんだよ」


 馬乗りになった女はムヤミの顎を抑え、殴りつける。


「もっとキモく笑え! おら、笑えよ!」


「が、あ、ひあ、ひや、ひ、ひは、ひひ、ははは」


 どうして殴られているのだろう。

 ムヤミの頭で浮かぶ疑問はそればかりで、答えを見つけられるわけも無かった。なんせ初めて会った相手なのだ。


 しかしそこに、悔しさや憎しみや絶望といった感情は無かった。

 ムヤミに触れることが出来た存在が、そこにいるのだ。

 ムヤミを殴ってくれる存在が。


 エーリッヒの弟を奪い、その師までもを手にかけ、それでも死にきれぬ、どうしようもない自分を、何の理由も無く殴る彼女が、眩しく思えた。


「は、はは、あ、あははは、あは……ははっはははは!」


「そうだ! 笑え! もっとキモく笑え! ぎゃはははは!!」


 愉快ゆえの笑い。

 崩壊ゆえの笑い。

 混ざりあう笑いのカオス。


 乾いた血と傷口が、重なる殴打と歪む口元によってひび割れ、凄惨な痛みを伴う。それさえ、ムヤミには自身を戒める救いに思えて――。


「ははははははははははがふん――」


 最後の……かもわからない拳を喰らった瞬間、ムヤミの意識は落ちた。



 * * *



 じんじんと訴える痛みに、ムヤミの意識は呼び戻される。


「……あえう……ここ、は」


 目を開き、飛び込んできた景色は、森。


「やっと起きたかよキモ笑顔」


 そして耳朶を打つその声。ムヤミをひたすら殴った女。


「……ひ! だ、だれぇ!」


「ひゃははは! なっさけねえ声!」


 がばと勢いよく上体を起こしたムヤミは後退る。


「アタイの名はヴァンギロ―! 盗賊だ!」


「ひえええええ!」


 盗賊というその一言に、ムヤミはこれまた後退り、ぶつかった木を流れるように上る。枝の上から女――ヴァンギロ―に震えつつ言う。


「おおお、お金なら、五枚しか、あり、ありません!」


「いや、金はいいって」


「持ち物も! あ、ありませ――「だぁから、お前から取ろうってんじゃねえ」


「ううううう……へ?」


 あまりの恐怖にまたも言語を失いかけたムヤミ。それにヴァンギローはこう弁解する。


「お前が逃げんの、助けてやんよ。どうせあいつら、お前のことこの国の果てまで追ってくんぜ」


「てつ、だう……? なんで……?」


「あー、んー」


 目を逸らしたヴァンギロー。しばらく目を泳がせ、これだ! と言わんばかりに手のひらをぽんと叩き大仰な態度で言う。


「……アタイがお前を気に入ったからだ!」


 そのあからさまな嘘くさい態度にムヤミは――。


「――よ、よよよよよよ、宜しくお願い、しまぁあす!」


 ムヤミ、女性経験皆無である。


「そんじゃあ行こうぜキモ笑顔!」


 そう言って歩き出すヴァンギロ―。

 木の上からぬるぬると降り、後を追うムヤミは尋ねる。


「……どこへ?」


「森と山を抜けた先の隣国――アルカロン大王国だ!」


 かくして始まったムヤミの逃避行。


 ――やっぱり僕は、異世界行っても逃げ回る。



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異世界行っても逃避行!?〜鬼ごっこ中に死んだ僕は異世界行っても逃げ回る〜 jigoq @jigoq

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